短編集105(過去作品)
真希と卓の間に、それほど会話は存在しない。どちらかというと無口に近かった。それはすべてが暗黙の了解で成り立っている関係だと思ったからだ。その原則が崩れかけていることを、その日の最後に思い知らされたような気がする。その日、一緒にいる間も、ずっとそのことを感じていたはずなのに……。
その日以来、卓からの連絡が途絶えてしまった。分かっていたような気もしたが、寂しさと不安が真希を包む。
不安よりも寂しさだった。最初は不安だと思っていたことも、すべては寂しさから繋がっているものだと気付くと、卓から連絡のないことに対して苛立ちが目立つようになっていた。
――彼って薄情な人なのね――
と思わずにはいられない。そんな時優しく話しかけてきたのが俊夫だった。
俊夫の優しさに甘えてしまいたい気持ちになりかかっている自分に気付き、それを必死に止めているもう一人の自分がいる。自分の本心がどこにあるか分からない中で、必死に止めようとするのが自分の中にある理性であることだけが分かっていた。
――理性――
寂しさの中に、理性など存在してはいけないはずだった。元々卓との関係自体が不倫である。そこにはどんなに言い訳してもし切れない倫理の壁がある。そこには理性などという言葉が入り込む資格はなく、真希が自分の中でのジレンマを生む結果になっていたのだった。
卓に薄情さを感じてくると、不思議なことに、どこか俊夫が似ているのではないかと思えてきた。粘着的なところのある俊夫だが、どこか冷静な大人の部分を持っている。
――人はどこか必ずいいところがある――
と思っている真希は、それが表に最初から現われている人がいいか、それとも内に秘めている人がいいのか、二人を見比べて考えていた。
見かけだけで判断すると、ひどい目に遭いそうな気がしたからだ。
次第に俊夫にも惹かれていく。
それまで避けていた自分がウソのように俊夫に近づいていくと、今度は俊夫の方で避け始めているように思えた。
――私が積極的になると、男性は避けるものなのかしら――
と感じていた。
だが、それがいつの間にか真希の中でジレンマになっていた。どちらかの男性を選びたいという気持ちは次第に強くなるのだが、どちらを選んでも、真希にとって将来がないとしか思えなかった。
気持ちが気付かないうちに表に出ていることは今までにもあった。時々人に忠告されて我に返ることもあったが、二人の男性を意識し始めてから、さらにひどくなっているようだ。
「真希、俺は離婚を考えている」
夫の達男にいきなり言われて、その場で立ちすくんでしまったことは、しばらく夢に出てきたほどだった。
「どうしてなの?」
「自分の胸に聞いてみるんだな」
どうやら、卓とのことが分かってしまったようである。
だが、その時の気持ちは卓への一途な気持ちではない。俊夫が真希の気持ちの中に入り込み、まだ身体を知らないだけで、別れ話を持ちかけられた時に、最初に頭に浮かんだのが俊夫の顔だったくらいである。
だが、それが俊夫の計画の一部だったことに気付いたのは、俊夫の態度を見ていてだったことは何とも皮肉なことだろうか。
その時に真希は、以前夫が話していたパズルのピースの話を思い出していた。最後の詰めで、合わないピースを何とか合わせようとする。そのためには、どこまで過去に遡るかというのが一番の問題。真希はどこから自分の人生が狂い始めたのか、ゆっくりと思い返していた。
パズルの最初の型埋め、達男に任せていたはずだった。しかし頼りないと思い、まわりを見るとそこには年下だが頼りがいのある卓を見かけ、惹かれてしまった。
まず、そこで狂ってしまった。だが、それが本当の狂いかどうか、まだ分からない。
そこで自分を表に出すことを思い出したのだが、そのことが俊夫の気持ちに火をつけたのかも知れない。そう考えると、元々のピースの付け間違いは、やはり、卓に出会ってしまったところに行き着くのだろう。
だらしない男性をあまり好きになれなかった真希だが、パズルを埋め合わせるには、相手を思いやる気持ちを持つことが大切である。遠回りしたが、そのことを教えてくれたのは、皮肉にも俊夫と卓だった。
――考えれば考えるほど、二人は似てくる。それでいて平行線のように決して交わることがないんだ――
ピースが似通っていては、いくら合わせてみても合わないことに気付かないに違いないことを真希は気付いた。表に出てくる性格はまったく違っているのにである。
達男が許してくれるかどうか分からないが、すべてを打ち明けるつもりだ。なぜなら、今の真希が自分を見つめ返す上で一番ハッキリと見えているはずだからである。そして、そのハッキリした顔の奥に見えているのは、夫の達男であることはハッキリしていた……。
( 完 )
作品名:短編集105(過去作品) 作家名:森本晃次