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短編集105(過去作品)

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 翌日彼からの電話が何度か鳴ったが、それに応答することがないと、今度はメールを打ってよこした。
――まだ自分の立場が分かっていないようね――
 美紀は男の未練たっぷりのメールを見て、ため息をついた。
――男ってそんなに簡単に自分の気持ちを変えられるものなのかしら――
 あれだけ罵倒した次の日である。同じ一日でも男と女では感じ方が違うのではないかと思えてならなかった。
――男というよりも彼だけかも知れないわ――
 と感じたが、以前友達の女性から聞かされた言葉を思い出していた。
「女はギリギリのところまで我慢できるんだけど、男はそうも行かないみたいなのよ。未練がましいのは女よりもむしろ男の方、男と別れてみて初めて分かったわ」
 ちょうど男と別れたあとに聞いた話だった。
 最初は彼女の負け惜しみかも知れないと思っていた。彼女からの一方的な話なので、男の意見を聞いたわけではない。だが、美紀は彼と喧嘩している最中にそのことを思い出したのも事実で、まんざら負け惜しみではなかったと感じてもいた。もっとも、男の罵声は想像以上で、完全にヒステリックになっていた。
――これが今まで自分が好きだと思っていた男なのかしら――
 と感じたほどだ。
 確かに彼の考え方には共鳴するものがあった。だからこそ身体も許したのだし、これからもずっと付き合っていくつもりでいた。
――本当に男って知れば知るほど分からない人種なのね――
 呆れてしまうほど彼はしつこかった。
 美紀はいつも会社を出る時間は一緒だった。残業など、月末に少しある程度で、それほど忙しくなかった。冬以外であればまだ明るい時間に会社を出て、帰宅することができる。駅までの道は夏などまだセミの声がうるさい夕暮れにもなっていない時間帯であった。
 それでも影は足元から長く続いて見える。壁に焼きついてしまうのではないかと感じるほどの強さに閉口してしまうこともあるほどで、道を歩いていて、次第に気だるさを感じるほどだった。
 会社の前の道はアスファルトが敷き詰められていて、当然のごとく照り返しもきつい。街路樹が風に揺れているのがせめてもの救いというべきか、それでもうるさいセミはその街路樹で鳴き続けているのだ。何とも複雑な気持ちである。
 駅までの道の途中には公園があって、暑いにもかかわらず子供は元気に遊びまわっている。ビル街が近いせいか、サラリーマンの姿を見かけることもでき、さながら人生の縮図を見ているかのようだ。
 ベンチに座り込んで俯いているサラリーマンを見ると、悲哀を感じるのは美紀だけではないだろう。今までは見て見ぬふりをしてきたが、その日の美紀はどうにも他人事のように見えなかった。
――今の私もあんな感じの精神状態なんだわ――
 と感じるからで、きっと歩く時も心なしか俯いて歩いているに違いない。
 公園のベンチを横目に見ながら公園を横切ろうとした時、ふいに木の陰から男性が現れてびっくりした。その男性に見覚えがあり、今までなら思わず微笑むくらいの癒しを感じるはずなのに、今は苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。
「やあ」
 手を上げて挨拶をしているが、何ともわざとらしく感じる。表情はこわばっていて、いかにもぎこちなく感じられてならない。
 美紀が無視していると、
「おい、どうしたんだい? 電話しても出てくれないし、メールしたって……」
――彼も男だったんだ――
 これほど強い力で引っ張られたことは今までになかった。感情が篭ると、手加減を忘れてしまうものらしい。
 それでも無視していると、彼は逆上したかのように、
「せっかく待っていたのに、その態度は何なんだ」
 道理に合わないセリフにしか思えない。
「誰が待っていてって言ったのよ。私にとってあなたは、もう過去の人なんだから、私に付きまとうのはやめてくれる?」
 精一杯の虚勢を張っていたが、それでも声は震えていたことだろう。今まで震えて話したことなどなかっただけに、美紀の気持ちの一端は彼にも通じたことだろう。
 それにしても、ここまでするとは、何とも男というのはこれほど学習しないものなのか。
美紀は悲しかった。せめて男としてのプライドを最後くらいは見せてほしかった。
 その日から数日は彼が現れることはなかった。
――彼のあんな姿など見たくなかった――
 という思いから、二、三日は彼の顔が頭から離れなかった。それは輝いていた頃の彼の顔ではなく、情けなくも物欲しそうな表情を浮かべた見たくない表情だったのだ。
 彼の幻影に惑わされているように思えてならなかった。
 幻影というものは夢にも出てくるもので、目が覚めてから、
――どうしてあんな夢を見たのかしら――
 と初めて見た夢に対して後悔の念が走った。
 夢と言うのは見たいと思って見るものではないが、潜在意識が見せるものだとあるため、自分がどれだけ惨めかを思い知らされた気がした。最初は輝いていた頃の顔を思い浮かべていたつもりだったので抱かれている夢であっても、
――癒されている――
 という感覚があった。だが、顔を上げるとそこにあったのは情けない彼の顔、見た瞬間に目が覚めたのだが、目が覚めてから記憶の大半を彼の情けない顔を見たという意識が支配していることが自分で許せなかった。
 夢は最初の日だけだったが、数日間、頭の中に残像が残っていた。楽しかった日のことは夢でしか思い出せない。
「男って、いざとなると楽しかった時のことが頭に浮かんできて、たいていは自分から許したり、相手が怒っていても、自分と同じように相手も懐かしさが募ってくることで、何でも許せちゃうと思うものみたいよ」
「そこが女との一番の違いなのかも知れないわね」
「そうね、ギリギリまで我慢できる女性と、一回キレてから、冷静になってしまう男性との違いよね」
「そんなものなのかしらね」
 と美紀は考え込んでしまった。
 その日から、
――男性は豹変することがあるんだわ――
 と肝に銘じていたつもりなのに、それから懲りずに男性と付き合っている。
 付き合い始めて最初はなかなかいい雰囲気になっていて、
――これだったら大丈夫でしょう――
 と自分に言い聞かせていたが、三ヶ月もすれば、何かがぎこちなくなってくる。中には、
「どうも君と一緒にいると飽きが来るんだ。なぜなんだろう」
 公然とそんなことを口走る男性もいた。
「それはあなたが相手を甘やかしているんじゃないの?」
 と言われるが、決してそんなことはない。むしろ、締めるところは締めているつもりだ。
――飽きが来るとは失礼な――
 と思いながらも、少なからずのショックを受ける美紀だった。どちらかというと、男性っぽいところがあると思っている美紀は、今まで付き合ってきた男性が友達感覚で自分を見ているのではないかと思うようになっていた。
 男性っぽいところがあるというのは、潔さではないかと自分では思っている。
 未練がましいのは嫌いである。最初の彼の未練がましさを目の当たりに見てしまったことが大いに影響しているのだろうが、元々そういう性格だったことは否めないと思っている。
 それでも男性を求めてしまうのは寂しいからだろうか?
作品名:短編集105(過去作品) 作家名:森本晃次