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短編集105(過去作品)

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 そんな時、下手に風を起こすと却って暑く感じるものである。それは風呂の湯でも同じことで、自分の体温よりも熱い湯に浸かっていると肌に強烈な刺激として返ってくる。
 風呂に入っている時は理屈関係なく分かっているのだが、表に出た時は扇ぐことでの温度上昇への感覚はない。それだけ普段の常識に捉われていて、少しでも違う環境に陥った時に別の方向から見ることができなくなっているのだろう。柔軟性に欠く考え方で、機転が利きにくいところである。
 断崖絶壁のイメージは、何といっても強烈な冷たい風にある。肌を切るような冷たい風はすぐに肌の感覚を麻痺させ、思考能力を落とさせる。体温よりも暑くなった時も思考能力はまったく働かないが、寒い時も同じである。特に風などによって肌の感覚がなくなってくると、自分がどこにいるのか、自分が何をしているのかという感覚がなくなってきて、そこから意識が遠のいてくる。
 だが、聡が思い描く断崖絶壁はそこまでひどいものではない。裏を返せば潜在意識の範囲内でしか考えることができないからで、夢で見たにしても、遺伝にしても、自分が肌で味わったものではないからだ。
 もう一つ、断崖絶壁のイメージといえば、一人の女が佇んでいるイメージである。黒い服を着ていて、ロングの黒髪が風に靡いている中で後姿しか分からない。
――声を掛けても振り向いてくれないに違いない――
 というイメージもあることから、どんな顔をしているのか想像もつかない。
 道を歩いていて、黒い服を着ている女性でロングの黒髪が風に靡いているのを見たことがあるが、どんな雰囲気の女性なのかいつも想像がつかない。おぼろげなイメージを強引に作り上げてみて、何とか前に回りこんで顔を見たことがあったが、たいていは想像していたのとは似ても似つかない女性だったりする。
 今までに後姿を見てイメージした女性はたいてい前に回りこむと想像通りの女性だったことが多い。この点に関しては女性の雰囲気をイメージするのが苦手ではないということを示しているに違いない。
 聡は小さい頃に一度だけ母親が漏らしていた言葉が耳に残っていて仕方がない。
 兄弟はいないと思っていた聡に、実は姉がいたというのだ。
 何がいけないのかは分からないが、父から損な話を聞いたことは一度もないし、家に仏壇があるわけでもない。姉がいたのなら供養のための仏壇があるはずだし、何よりも毎年の墓参りを欠かさないものではないだろうか。
 小さい子供にそんな事情が分かるはずもない。ただ、
――この話題には触れてはいけないんだ――
 という思いが強く、自分から聞きただしたことは一度もない。もしそんなことを口にしようものなら両親の顔が一瞬のもとに阿修羅の顔に変わってしまうことは目に見えていた。
 成長していくにつれ、ある程度の世間一般常識が分かるようになってきても、この話題だけには、まだ頭の中が小さい頃のままである。ずっと心の奥に仕舞い込まれているだけに、頭の中がそこだけ成長していないのだ。
 夢を見ていて、
――以前にも感じたことがある――
 と感じるのに、それがいつのことだったか分からない感覚に似ている。夢の中の世界はまったく別世界だという考え方もできるが、夢で見る世界は潜在意識の範囲を超えることはできないものである。夢は単独で進んでいくものなのか、それとも起きていて感じる意識の中で進んでいくものなのか、どちらにしてもリンクさせるのは難しいだろう。
 姉がいたとして、どんな雰囲気なのか、想像もつかない。生きていれば絶対に追い越すことのできない年齢という壁を感じるが、死んでいて、しかも会ったこともない人を想像するなど、度台無理というものではないだろうか。
 だが、姉の後姿だけはなぜか想像できる。それが断崖絶壁で佇んでいる女性である。
 もし、姉の存在を知らなければ、断崖絶壁で佇んでいる女性を思い浮かべた時、きっと死んだ妻とダブらせてしまうのではないだろうか。今思い出しても、妻と断崖絶壁の後姿の女性とでは似ても似つかないまったくの別人だと言える。だが、姉の存在を知らなければ強引にでも妻にダブらせてしまっているに違いないため、頭の中の女性を捻じ曲げてしまっていたかも知れない。
 だが、姉の存在を知らなかったら、果たして断崖絶壁の女性をイメージしていただろうか?
 そんな風に感じるのも、姉が死んでいるという事実を聞いてから断崖絶壁の夢を見るようになったからではないかと思うようになったからである。
 断崖絶壁など、小さい子供が思い浮かべるとすれば、テレビアニメや漫画などからしかありえない。確かに小さい頃に見たアニメのワンシーンにそのようなものがあったようにも思えるがそれだけでは説明がつかない。
――やはり潜在意識の成せる業なのだろうか――
 と感じてしまう。
 旅行に出かけようと思ったのもそれを確かめたいというのも一つである。
――後姿の女性が本当にそこにいるのではないか――
 というのが本音である。
 だが、もしそこで自分の想像していたような女性がいたら、話しかけることができるだろうか?
――話しかけるとすれば何と言って話しかけるんだろう――
 自分のことなのに、まるで他人事だ。
 季節は夏から秋にかけての季節。さすがに凍てつくような寒さの中ではないので、幻を見たと思うことはないだろう。だが、秋という季節は他の季節と違い、なぜか寂しさを誘う季節である。幻を見ないとも限らない。
――すべてを幻と思ってしまうのではないだろうか――
 その懸念は十分にある。
――今まで見てきたものすべてが幻ではないだろうか――
 と感じたのは妻が死んでから、実際に感じたのも事実である。
 妻の死が聡に与えた影響は計り知れないものがあったが、落ち着いてくると今度は小さい頃からの疑念を晴らしたくて仕方がなくなった。一人になってしまったことも大きな要因である。家庭を顧みることもなく小さい頃の疑念を晴らそうとすることは、真面目な性格である聡の精神に反するものである。
 一人になると余計なことを考えてしまう。確かに妻が死んでからしばらくは放心状態ではあったが、頭の中はすべてが走馬灯のように思い出が駆け巡っていた。それは妻との思い出だけではない。自分が生きてきたことの思いでも含まれている。当然姉のことも頭から離れなかったのも事実で、時々大きく頭を擡げることもあった。
 父や母の顔が思い浮かんでくる。駆け落ち同然に出てきたのだから、両親の顔を思い出したところで戻れるはずもない。ただ、姉がいたと呟いた時の母の顔が目の前をちらついて離れない時期があった。
――あの時の母の顔、あれが本当の母の顔だったに違いない――
 聡の走馬灯はまわり続ける。
 昔のイメージを思い出すのは年を取ったからだと言われるかも知れないが、聡はそうは感じない。
 頭の中にある潜在意識が走馬灯のようにまわり続け、どこかで元に戻ってくると思っている。その時に感じる時間が長かったり短かったりするのは、思い出している瞬間の思い出をそれだけ意識していたかということである。
 思い出すことにも規則性があるのではないだろうか。
 ふとしたことで、何かを思い出すとする。
作品名:短編集105(過去作品) 作家名:森本晃次