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短編集105(過去作品)

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 衝動的な自殺は、この菌が影響しているという考えである。実に画期的な考えのように思える。
 だが、自殺というのは、そんなに簡単に割り切れるものだろうか。遺書を書いて自殺の場所を決めて、計画を立ててから自殺する人が多い。その間、彼の中の時間というものはそれまでの人生とはまったく違った経過を示しているのかも知れない。ひょっとして違う時間を生きていると感じているのかも知れないし、もっと言えば、時間を逆行しているように感じているのかも知れない。
――時間を感じるというのは、その時々でかなり変わるものなんだな――
 その本を読み終わった時の感想である。
 自殺菌という主題よりも、時間に関して感じることが強かったのは不思議だった。短編小説の中でのストーリー展開の中で自殺菌についての話はしていたが、決して感じる時間についての話が出てきたわけではない。それなのに、なぜ時間に対しての思いが聡の頭の中に去来したのだろう? 聡には分からなかった。
 これから旅行に出かける聡は、自分が何をしにいくのか頭の中で整理がついていない。
――時間を自分なりに確かめに行くんだ――
 という思いが強い。本当であれば、
――気持ちを落ち着けて、自分を見つめなおすいい機会だ――
 と思うのだろうが、今さら自分を見つめなおしてどうなるという気持ちもないではない。投げやりではあるが、旅行に出かける意味をしっかり持っていると思う聡にとって、
――未知数のことにわくわくするなんて、何十年ぶりのことだろう――
 という期待があった。きっと結婚前まで遡る心境になるのではないだろうか。
 旅行に出かける日までに、期待が次第に深まっている。
――何か出会いがあるように感じるな――
 妻が死んでから、出会いなんてあったとしても、きっと気付かないだろうと思っていた聡である。もし出会いがあったとしても、それはウソに決まっていると勝手に決めつけ、自分の殻の中に閉じこもってしまうことを懸念もしていた。
――いや、そんなことはない。それほど神経質になることはないんだ――
 学生時代を思い出していた。
 学生時代には一人旅が好きだった、目的はもちろん旅先での出会いである。
 行き先は一日目だけ決めて、後は現地で知り合った人がいくと言った方へ自分も向う。それが来た方向でも構わなかった。それならば、今度は自分が案内できるからである。
 学生時代に数人の女性と出会った。旅行中だけで、後は連絡を取り合うこともなかった人もいれば、戻ってきてから文通した人もいる。中には近くに住んでいる人は会ってから、そのまま彼女になった人もいた。
 しかし、長続きしなかった。二、三回デートをしただけで別れた人もいれば、いいムードになって身体を重ねた人もいて、
「これから付き合っていこう」
 と約束したのに、その次に会うと、明らかにお互いがぎこちなく、そのまま別れてしまったこともあった。
――旅行というのは独特な雰囲気なんだ――
 旅行に出た時の自分を見てみたい気分になっていた。
 客観的に自分を見ることが苦手ではない聡だったので、自分を顧みることはできるはずだった。だが、旅行に出た時は自分を客観的に見ることができなくなっていた。それはきっと旅行中の自分自体が普段の自分ではなく、すでに客観的な自分になっているのかも知れないと感じるのだった。
 旅行に出ている時の自分を思い浮かべたことがあった。
 断崖絶壁の上に立って、下の荒波を見ている自分を下から見上げている。テレビドラマのサスペンスものなどで見られる自殺の名所のイメージだ。
 自分がどうやってその場所まで行ったのかということまで想像できる。
 何の脈絡もないところに立っているバス停には、ベンチもなく、白いガードレールの切れ目が小さく見えるだけだ。
 普段の時間でさえ、冬にもなると車の通りが少なくなり、風だけが強く吹いている。バスを降りると肌を切るような吹き飛ばされそうな強い風がいきなり襲ってくる。思わずたじろいで、必死に足を踏ん張ってみる。すぐ横のガードレールの向こうは、完全な絶壁になっている。
――こんなところにバス停を作るなんて。誰が乗り降りするのだろう――
 まさか自殺者のためのバス停でもあるまい。だが、近くに民家がないのは一目瞭然で、バスを降りる人は皆自殺志願者だと思って間違いなさそうだ。
 そういえばバスを降りる時に見た運転手の何と愛想のないことか。まるで死人のように見えるくらいで、
――この人こそ、こういう場所にふさわしい人なのかも知れないな――
 と感じたほどだった。
 無表情で相手を三つ得ているのに、必死で顔を逸らしている。まるで、一時期の聡を思わせた。
 人の顔を見るのが嫌になる時期が聡には時々あった。
――バイオリズムの関係かも知れないな――
 と感じるほどで、周期的に来るものだった。
 躁鬱症の気があると感じたのは、妻が生前からであった。別に生活に不満があったわけではない。普通のサラリーマンで、確かに仕事に出ればそれなりのストレスも存在し、責任者としての理不尽な思いも味わっていた。しかし、それも慣れてくると耐えられるものである。自分なりに解決方法を見つけていくことも快感に変わってきて、
――まんざら中間管理職も悪くない――
 と感じたほどだ。
 会社では上からは責められ、下からは突き上げられるしがないサラリーマンを演じているが、それは演じているだけで、心の中では、
――お前たちが思っているほど、俺は柔な人間ではないぞ――
 と誰も知らないだろう自分の性格を顧みてほくそ笑むほどであった。
 意外と責められたり突き上げられたりしている姿を見せている方が楽というものである。そこで気を張って、
――俺は強い人間なんだ――
 と思うことで、必要以上に意識してしまえば発揮できるはずの力が出なくなるものであることはそれまでの経験から分かっていた。しかも、やる気に満ち溢れている上司よりも、まわりから突き上げられても、どこか掴みどころのない考えを持っていそうな人の方が、会社で自分の立場をうまく守っているように見える。
――要は気の持ちようで、何とでもなるということだな。人は見かけによらないとは、まさしくこのことだ――
 と思うようになってから、聡は一気に気が楽になってきた。裏表のある人間は嫌いだったはずなのに、これは裏表ではないと思えるからかも知れない。
 いわゆる開き直りである。
 しかし開き直りには二種類があるのではないだろうか。自分に自信が持てる開き直りと、ただギリギリまで追い込まれて開き直るパターンである。時々、どちらの方が強いのだろうと考えることもあるが、聡はどちらなのだろう。
 少なくとも自覚のある開き直りである。自分に自信がある方だと思っていた。すると仕事も楽しくなり、他の時間にも気持ち的に余裕が出てきたのである。
 しかし、人と行動をともにすることはなく、会社では業務の都合上の付き合いがあるが、一人になると、自分だけの時間を大切にするようになっていた。それは妻との時間を削ってでも一人でいたいと思う時間で、何よりも楽しい時間だった。
 ちょうど年齢的にも三十代後半、ちょうど十年前くらいからだった。
作品名:短編集105(過去作品) 作家名:森本晃次