音楽による連作試行
会ってみて必ず気に入るというわけではなく、会ったからと言って、絶対に結婚しなければいけないわけではない。。昔のように許嫁のようなものは今の時代にはないのだからである。そういう意味で気楽に合うことは別に問題ないのだろうが、話を持ってきてくれた人に対して、そこまで礼儀を尽くすかというところは逃れられない問題であった。
もし、付き合い始めるのであれば、いいのだが、断るのであれば、いくら相手も断られることは慣れているとはいえ、断り方次第で、今後の対応も変わってくることを考えると、なかなか一筋縄ではいかないだろう。
ただ、今回は見あいというわけではない。相手は知らない相手ではなく、自分が少なくとも好意を抱いている人である。
――相手はどうなのだろうか?
もし、相手が自分のことを嫌っているのであれば、おせっかいな人はいないだろう。
世話を焼いてくれるということは、少なからずの脈ありだと思っているからこその世話焼きであって、まさかトラブルをわざと起こそうとなど考えているのでなければ、少なくとも相手も自分のことを、
「憎しからずや」
と思っていることであろう。
それを思うと、楽しめばいいのだと思って気を楽にしてきたのだが、最初に会話ができなかったのは、気を楽にしすぎて気を抜いてしまったからなのだろうか。なきにしもあらずであるが、精神的に余裕を持ちすぎたために陥った落とし穴だったのかも知れない。
その温泉の個室の中ではジャズが流れていた。
――こんな温泉にジャズなんて――
と思ったが、室内の音楽は有線放送が独自に敷かれていて、音楽チャンネルを自分でチョイスできるサービスになっていた。
――きっと、前に入った人がジャズを聴いていたんだ――
ということは一目瞭然だった。
彼女の名前を言っていなかったが、彼女は名前を百合と言った。皆からは、
「百合ちゃん」
と呼ばれていたので、名字が何だったか思い出せないほどだった。
川島の会社では、
「百合ちゃん」
と呼ぶ。
ちなみに彼女は別れた女房ではない。百合ちゃんと付き合うことになってから、女房が自分のことを好きだということに気付いたのだったが、それはまだ先のことであった。
温泉では結局ほとんど喋ることもなく、その日は終わったが、別の日に、百合ちゃんから夕飯に誘われた。
「川島さん、この間の温泉のお礼に、夕食をご一緒しませんか?」
と言われた、
「ええ、もちろん、誘ってくれて嬉しいです」
と、川島も二つ返事であった。
そのお店はステーキハウスのようなお店だった。少し暗めの雰囲気で、内装が木造になっているのを見ると、川島はなぜかアメリカの西部の舞台を思った。
その理由の一つとして流れてきたBGMがジャズだったことと、内装を見れば見るほど、西部の酒場のイメージを思い起こすからだった。
イメージは視覚と聴覚から与えられた感覚が交互に襲ってくることで、そう思わせたようだ。
ミディアムレアのステーキを注文した二人は、まずは食事を堪能した。一緒に出てきたビールを半分くらい飲んだ後、川島が話しかけた。
「なかなか洒落たお店をご存じなんですね」
というと、
「ええ、たまに来るんですよ」
と言っていたが、実はこれは方便だった。
川島に招待券をくれた人が、この店の情報を教えてくれて、百合をけしかけたのだ、二人は知らなかったが、お互いにこのおせっかいさんから翻弄されていたと言ってもいいだろう。
だが、嫌な気はしなかった。このことが分かっても、結局、後から笑い話として笑い飛ばすだけのことだったので、おせっかいさんの作戦は成功したと言ってもいいだろう。
おせっかいというのは、今も昔も普通に存在する。一歩間違えば誰もがおせっかいさんになれる。それがなれないというよりもならないのは、おせっかいを焼くタイミングが分からないのだろう。おせっかいというのもタイミングが必要だ。それを自覚していないとうまく話を持って行けず、双方から嫌われて終わってしまうという実に損な役回りということになるだろう。
お店に入ると、そのお店にもジャズが流れていた。どちらかというとジャズは苦手なタイプだったが、お店で聴くジャズというのは悪くない。
「百合ちゃんは、ジャズが好きなの?」
と聞いてみると、
「ええ、そうなんです。川島さんもそうでしょう?」
と言われた。どこでそう感じたのだろう?
「どうしてそう思うの?」
「この間の温泉でジャズが流れていたのをじっくりと聴いていたでしょう? あれを見て、川島さんもジャズが好きなんだわって思ったの」
「なるほど、それでジャズが流れているお店を選んでくれたというわけだね?」
「ええ、そうなのよ」
「百合ちゃんは、ジャズのどういうところが好きなの?」
と聞くと、
「ジャズというのは、音楽のジャンルどれにでも言えることではあると思うんだけど、特に高度な演奏技術が必要だと思うのね。西洋楽器を使って、アメリカという世界を描き出すという意味で、異色な感じがするの。特に私は吹奏楽器が好きかな? トランペットであったりサックスであったりね」
「僕も吹奏楽器は好きだね。サックスやフルートなどいいよね」
そう言って二人はやっと意気投合し、会話になったというものだ。
二人の間で他に趣味的な共通点がなかったこともあって、結局、付き合いに長続きしなかったが、百合ちゃんとジャズについて話をしてからというもの、ジャズという音楽ジャンルよりも、彼女の言っていた、
「西洋楽器をアメリカをイメージして演奏する異色な音楽」
という言葉が気になっていた。
百合とは自然消滅だった。どちらからともなく連絡をすることがなくなって、気が付けば別れていたのだが、別れたというほどお互いに付き合ったという記憶もなく、
「いないなら、いないでも別にいい」
というほど、アッサリとしたものだった。
川島の今までの失恋の中で、ここまでアッサリとした失恋はなかった。どちらかというと、アッサリしすぎていたために、付き合ったと思われる時期は半年だけだったのに対して、
「逆に一年くらいだったのではないか?」
と思うほどだった。
機関の感覚のずれが大きければ大きいほど、そのずれた分の期間を無駄に過ごしてしまったのではないかと思ってしまう。別に無駄に過ごしたわけではないが、その期間、自分の頭の中で百合を打ち消そうと無意識に感じていたような気がして仕方がなかった。
そんな時に毎朝の通勤で気になる女の子が現れたのだ。
それが本当に百合と別れるきっかけになったのかも知れない。お互いに付き合っているのかいないのか、中途半端な気持ちでいただけに、別れるには何かのきっかけが必要なのに、付き合っているという確証がないために、そのきっかけがなかなか掴めなかった。
きっかけは自分で掴まなければいけないのに、お互いに付き合っているという意識が薄すぎたため、惰性から一緒にいることに違和感がなかった。そのため、関係が深まるというきっかけもなく、どっちつかずの毎日がただ平行線を描くように続いているだけだった。
「きっかけなんて、理屈じゃないんだ」