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音楽による連作試行

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 しかし、正反対であっても、別の観点から相手を見るという発想は、同じものを見ている以上、決して交わることはない。交わらない平行線が続いている以上、、決してぶつかり合って消滅することはないだろう。
 そんな妄想を抱いていた。
 だからと言って、一人目の女の子とはぶつかりあって壊れてしまうと言っているわけでない。もしぶつかるとしても、何かお互いに相手の職を和らげる力があるはずだ。だから、同じ方向を向いているのだし、しかも別の観点からではなく同じ観点から見ている。そのために、見る方向が同じであることから、却って相手の栓がどのようなものかを見ることはできない。まったく同じ軌跡を描いていると言えるからではないだろうか。
 この三人の川島と関わった女性が皆どこかが似ているというのは、確かに川島が見た時に見つめた相手が似ているところにあるのだろうが、彼女たちもそんな川島の視線を感じなければ、決して話をすることも縁もないはずである。
 それを思うと、
「人生の縁などというのは、どれほど偶然と思えるほどの薄い表面で覆われているのだろうか?」
 と思えてくる。
 三人目の女性である宇月さんと見ていると、その縁が色濃く感じられるから不思議だった。
 それも、過去の二人との出会いがあったからであり、二人が同じソープ嬢だったというのも偶然なのかも知れないが、逆に、
「ソープ嬢だったら、お互いに知り合うことができたんだ」
 と思えばいいことだった。
 普通の出会いでは出会うことのできない相手と出会えるという感覚も川島にはあった。
「僕の出会いには、音楽や芸術、それに偶然とは思えない感覚が大いに結び付いているような気がする」
 そう思うと、川島はこれまで感じてきた音楽のジャンルが、何かに自分を結び付けてくれるようで、楽しみであった。

               テクノポップ

 そんな音楽のジャンルでいよいよ最後ともいうべきジャンルとして、
「テクノポップ」
 を選択することにした。
 テクノポップと呼ばれるジャンルは。
「シンセサイザー、シンセベースなどを多用したSF的なサウンドが特徴」
 ということである。
 いわゆる電子楽器のテクノロジーをフルに活用することで高度な音楽性を発揮でき、想像力によりSF的な音楽を可能にするとでもいうべきであろうか。この発想は、今から半世紀前に一世を風靡した「プログレッシブロック」の発想に似ているではないか。いわゆる、
「プログレッシブロックの派生型」
 と言えるのではないだろうか。
 そのプログレッシブロックというものが、
「高度な演奏技術によって、クラシックやジャズを融合させ、幻想的な音楽を創造する」
 といわれたことで、
「クラシックやジャズの派生型」
 とするならば、テクノポップは、
「クラシックの孫」
 とでもいえるのではないだろうか。
 発想が同じで、同じ理念を持ちながら、創造できる音楽はまったく違っているところがこの三つのジャンルの違いと言えるのではないだろうか。
 これらの発祥は海外であり、シンセポップやコンピュミュージックなどという言葉で呼ばれていたのに対し、日本ではイエローマジックオーケストラのヒットによって、ジャンルとしての、
「テクノポップ」
 という名前が定着したのも特徴である。
 クラシック、プログレ、テクノポップという流れは、どちらかというと音楽のジャンルの中では、マイナーな部分を継承しているのだが、実際には数年と言えども、世界的に大むーむを巻き起こしたジャンルであることは間違いない。
 そうでもなければ、ジャンルとしての名前が定着することもないだろう。テクノポップのヒットは、プログレほどは長くもなかったが、センセーショナルであったのは同じである。イエローマジックオーケストラなどのメロディは実にアジア色が豊かで、日本のバンドがアジアでの不動の地位を確立したパイオニアと言ってもいいかも知れない。
 川島はそんなジャンルである、テクノポップをよく聴いていた。もちろん、ブームの時代を知っているわけではないが、ブームが去ってから聴いているのはプログレッシブロックと同じで、最初に聴いたのはプログレで、プログレからクラシックへと逆に遡ったのだが、テクノポップでも同じことをしたのだ。
 テクノポップを聴くことで、やはりクラシックを聴くようになり、そこから今度はまたプログレに戻ってきた。その三つのジャンルと絶えず聴いていたという時代が二十歳を過ぎてからずっと続いていた。
 宇月さんと知り合ってから少しの間はプログレを聴いていたが、いつの間にかテクノを聴くようになっていた。テクノの場合はそのほとんどが、イエローマジックオーケストラで、その音楽性にアジアンテイストを感じていた。
 親、子、孫と考えれば、孫を聴いていることになり、三人の似た人という発想で考えれば、今おつきあいをするようになった宇月さんをイメージしていると言ってもいいだろう。
 過去の二人、つまり、クラシックとプログレには、それぞれ幻想的なイメージと、SF色豊かなイメージを抱いていた。それは起点がテクノポップであり、そこから遡ってみるという意味で、クラシックの派生型として親の立場から見たものとではまったく違っているという発想ではないだろうか。
 宇月さんと知り合ってから半年以上が経っていたが、自分では恋人同士のような感覚でいるが、宇月さんの方でいえばどうなのだろう?
「川島さんの誠実そうなところが、気に入ってるわ」
 と言ってくれたが、誠実という言葉をハッキリ言いきらなかったところは、まだ付き合いが浅いということで考えればいいのだろうか。
 年齢的にそろそろ四十歳が見えてきたことで、過去を振り返ってみると、三十代には何もなく、それまでの十年ずつをくくった中でも、あっという間に過ぎてしまったという感覚しか残っていない。
 似十歳代は、波乱に満ちていた気がした。初めて女性と付き合ったのも二十代。結婚したのも二十代、さらに離婚も二十代だ。異性との関係において、大きなイベントのほとんどを二十代で経験したからだ。
 そういう意味で、波乱万丈な時期は、あっという間に過ぎていったが、三十歳代のように何もない時代が、
「気が付けば過ぎていた」
 というそんな時代とはまったく違っていたのだった。
――ひょっとすると、もうすぐ結婚するかも知れない――
 と思い始めてから、どれくらい経っただろうか。
 三十七歳で知り合って、いろいろ一緒に出掛けるようになってそろそろ一年、最初に身体を重ねたのは、二度目のデートだったら、知り合って半年近くは経っていただろう、デートにこぎつけるまでには結構時間が掛かったが、初めて身体を重ねるまでには、あっと今だったような気がする。一度お互いにある程度まで近づいてしまうと、異性を知らない同士ではないのだから、身体を重ねるということは、一種の通貨儀式のようなもので、別に精神的な障害があるわけではなかった。
作品名:音楽による連作試行 作家名:森本晃次