音楽による連作試行
「私の場合、結構高いものは一気にあまり考えずに買うことがあるのよ。意外と中途半端な値段の時ほど結構迷ったりするものね。例えば夕飯を表で食べようかどうしようかって一人で悩んでいたら、まず何も食べずにコンビニのカップ麺かお弁当になるのが関の山。私の性分なのかも知れないわね」
と言っている。
「そのあたりも僕に似ているんだよ。ママの性格を見ていると、まるで、本当に『ママ』って感じがしてくるよ」
「嬉しい、お世辞でもね。でも、私はそんなに年は取っていないわよ」
と普通の人と反対の言い回しをする。
それもママの性格の一つであった。
ママさんは、スナックでは、
「朱美」
と名乗っていた。
どうしてその名前にしたのかと聞いてみようと思ったが、店の名前を決めた時と同じような答えが返ってくるようで、それで聴くのを辞めたのだ。
――ママという人はつくづく自分とよく似ている――
と思うと、店にいつも似合っている雰囲気があった。
昼は昼の顔、夜は夜の顔、ただ、夜になると少し顔が大きく感じるのは調度のせいであろうか。
それを思うと、ママを見ている自分がいつもニコニコしているのを感じた。
昼間は、最初は普通の喫茶店だったが、店の雰囲気がいかにもバロック調だというののが広まり、ママは、よりクラシック調に店をマイナーチェンジした。あくまでも、店内の装飾を暗めにしたり、木目調にしてみたりと、雰囲気をクラシックに変えてみただけだった。
――それにしても、僕の考えているのと似たような考えの人も結構いるんだな――
と川島は感じていたが、
それを言うと、
「恭吾ちゃんが言ってくれたから、私は結審したのよ」
と、ママは臆面もなくいうではないか。
「それにしても、恭吾ちゃんというのは、くすぐったいな」
というと、
「そんなこと言わないでよ。まるで弟みたいな気がするんだからね」
ママの年齢はいくつくらいだろうか?
普通に見ていると、そろそろ四十歳が近いのではないかと思うほどだったが、見ようによっては二十歳過ぎくらいにも見える。
そんな時に、恭吾ちゃんなどと言われると、くすぐったいというだけではない気がしてくるのも仕方のないことかも知れない。
まさかいきなり聞くわけにもいなかいし、こういうのはタイミングが問題だが、そのタイミングが見つからない。
それにしても、ママは川島の年齢を知らないのだろうか、確かに若く見られることもあった。仕事で二十代に見られることもあったが、それは決して喜ぶことではない。
ただ、そうなった理由も分からないでもない。あれは大学生の頃だっただろうか、妄想癖が止まらなくなり、妄想が自分の欲望を抑えられなくなることが大学時代にはよくあった。
アルバイトもそれなりにしていたし、仕送りも困らない程度に貰っていたので、金銭的には何ら不自由はなかった。そうなると妄想と欲望の両方を一気に抑えるためには、風俗に通うこともやむなしであった。
元々は、大学の先輩からの驕りで連れて行ってもらったのだが、いつの間にか自分も常連になっていた。
気に入った女の子もいて、その子を贔屓にしていると、その子を妄想に使うことが多かった。
あどけなさの残る雰囲気で、人によっては、あざといと言われるかも知れないが、川島は彼女にお気に入りになった。
もちろん、そんな店なので、本名は言わなかったが、下の名前だけは教えていたので、
「恭ちゃん」
と言われていた。
くすぐったかったが悪い気はしなかった。彼女との甘い時間をお金で買っているということに違和感はなかった。もちろん、彼女とどうにかなとうなどという思いはなく、妄想につなげるだけでそれでよかった。
だが、そんな妄想もすぐに頭から消えていき、自分でも違和感を抱きながら、彼女との新鮮さが薄れていくのを感じていた。
そのうちに、彼女が店を辞めた。風俗ではいつの間にか店を辞めてしまっている女の子も言いうという、中には別のお店に出ている人もいるようだが、彼女がどうだったのか、川島は知らない。それから風俗に行くことはほとんどなくなり、就職してからは、自由恋愛を求めるようになったが、合コンなどで誰かと知り合っても、付き合うというとこるまではいかない。
相手の方も、
「あなたとは、お友達以上になれない」
という、どこにでも落ちているようなセリフを拾って言われたが、川島にはショックはなかった。
――お前に言われたって、別に何とも思わないよ。こっちからいう手間が省けただけ、よかったというものだ――
と思っていた。
実際に、合コンで知り合った女とは、付き合うことはなかった。付き合うに値する女ではないと思うからだ、
それは、いかにもあざとさのようなものが感じられた。
例えば、婚活パーティで、カップルになり、連絡先を交換し、
「今度、ご一緒に食事でも行きませんか?」
というメールを交わしていた人に多い。
そもそも、カップルが成立した日に、
「今日はこれから行くところがあって時間がないの」
などという女性に、最初から付き合いをしようなどという意識があったのだろうか。
そんなと、また別の機会の婚活パーティで一緒になって、気まずい思いをするのがオチなのだが、相手は別に気にもしていないのか、まったく顔色を変えることもなく、
「初めまして」
と、いけしゃあしゃあというではないか。
――実に女というのは恐ろしい――
と感じながらも、自分も別のパーティに行っているのだから、人のことが言える立場ではないのだ。
そんな彼は、それからしばらく妄想癖はなくなっていた。妄想というものを、どうしても性欲と結びつけて考えていたので、悪いことだという意識でしかなかったからなのかも知れない。
しかし、三十歳後半になって、この喫茶、あるいはスナック「ビザンチン」に寄るようになって少し変わってきた。
この店は広間の喫茶店は、週に一回くらいの休みだったが、スナックの方は週に二回くらいしか開けていなかった。スナックのない日は、喫茶店を九時まで営業し、その後は閉めていたが、スナックをする日は、喫茶店を午後七時まで営業し、一旦準備中にしてから、九時開店で、午前零時までというのが、営業方針だった。
昔はカラオケを置いていたが、今はクラシックを基調にするようになってからは、カラオケを廃止した。実際にこの店に来る客でカラオケを歌う人はほとんどいなかった。静かに会話を楽しみながら呑める店ということで、常連もそれなりにいるのだ。
もちろん、昼の店の常連でもある人は、川島を含めてたくさんいる。そういう人がいることから、店を改装する気にもなったのだろう。
改装費用もたいして掛かっているわけではない、常連さんの中にリフォーム関係の人がいて、口をきいてもらうことで、恰好安く上がったそうだ。
「これくらいの改装だったら、ママさんの予算の範囲内で十分だよ」
と言ってくれたことで一発改装になったということだ。
店が臨時休業したのも、そんなに長くはなかった。
「えっ、もう開店するのかい?」
と常連がいうくらい早かった。