音楽による連作試行
CD購入の際の特典も、宅配ならば一緒に持ってきてもらえる。それも便利なことであった。
それでも、駅の近くに本屋があれば、会社の帰りにフラッと寄ってみたくなる人も多い。今でも本を立ち読みとまではいかないが、実際に手に取って内容を確認してから買うという購入スタイルを持っている人は、ネット購入には尻込みをしてしまうだろう。そもそもネット購入にあまり興味を示していない川島には、仕事の帰りに本屋に立ち寄るのは、ある意味一つの楽しみでもあった。
知り合った女性とも、この本屋で何度か見かけていて、川島は少し意識していたが、彼女がこちらをチラッとも見たのを感じたことはなかったので、まったく意識されていないと思っていた。
いつも彼女の横顔を見ながら、
――本を真剣に見ている姿が凛々しいな――
と感じていたのだ。
背はそれほど高いというほどではなかった。少しふっくらした雰囲気を感じさせたが、前の女房が痩せ気味でスラッとした雰囲気はいかにもインテリ風を思わせ、さらに彼女を綺麗だと感じさせた鼻の高さは、今から思えば、高慢ちきな雰囲気を感じさせ、思い出すのも嫌なくらいだ。
だが、本屋で見かけた彼女の雰囲気は、かつての女房とは似ても似つかない雰囲気を持っていた。
ということは、若い頃の自分であれば、見向きもしなかったような相手を今になって気にするというのは、彼女の雰囲気が自分に語り掛ける何かがあったということだろう。
彼女が見ていたもは、意外にも医療関係の本だった。専門誌というわけではないが、救命の本をよく見ているのが少し気になった。
「救命士さんなんですか?」
といきなり声を掛けてしまって、川島も、
「しまった」
と感じたが、相手の女性も声を掛けられ、一瞬たじろいだかのように見えたが、すぐに気を取り直して、
「私は教師をしているんですけど、救急救命士の勉強もしているんですよ。できれば取れればいいなって思ってですね」
と簡単に話しているが、
「確かテストの受験資格を得るだけでも大変なんじゃないんですか?」
と聞くと、
「ええ、大学の時は教師の資格を取ったんですけど、その後一度結婚して教師を辞めたんですが、その後離婚して、また教師に戻った時、学校から派遣される形で救急救命の資格家庭を受講したんです。それが、教師に戻るための条件のようなものでしかたらね」
と言っていた。
「へえ、変わっているんですね」
「ええ、私も変わっていると思ったんですが、そこの校長がユニークな人だったんですよ。私と同じ女の校長先生で、相当若い頃には女だということで苦労された経験をお持ちで、その影響からか、女性にはたくさんの経験をしてもらいたいと思ってくださっているようで、救急救命の養成課程を受講するのも、先生のお気遣いだったわけなんですよ」
「なるほど、それでいよいよ資格を取るために勉強というわけですね?」
「ええ」
「救急救命士の資格を取ったら教師は辞めるんですか?」
「そのつもりはありません。私はその校長先生についていくつもりでいますからね」
と彼女の目は輝いていた。
その時を機会に、よく本屋で会うようになった。
話をすることも多くなり、話の内容もいつも難しい話をするわけでもなかった。最初の頃は本屋の奥にあるカフェで本屋での一時の時間という風に時間を割いてもらっているという形であったが、
「今度一緒に、呑みにでも行きませんか?」
と誘うと、彼女も
「ええ、いいですよ」
と二つ返事が返ってきた。
川島はあまり飲み屋は知らなかったが、一軒本屋の近くにあるバーで気になっているところがあったので一緒に行ってみることにした。
「実は自分も初めていくお店なんですけど」
と言うと、
「それは楽しみですね。初めてご一緒するところが二人とも初めてのお店というのも生鮮でいいじゃありませんか」
と言ってくれた。
店は適度な調度を保っていて、バーのような店であればジャズが流れているものだとばかり思っていたが、流れてきた音楽はクラシックだった。
ピアノ系や吹奏楽系の曲が多いようで、川島的には気に入っていた。それに、インテリな彼女にはお似合いな気がして、
「このお店、なかなかいいな」
と感じていた。
あまりアルコールが強くないので、薄めのカクテルを作ってもらい、お店の看板メニューだというパスタを注文した。ここは、麺を手作りしていて、そこが看板なのだろうと思ったが、まさしくその通りで、オイルそーづの海鮮パスタを注文したのだが、その味に偽りはなかった。
「なかなかおいしいです」
彼女は名前を掛川宇月と言った。非常に珍しい名前だと思ったが、
「お父さんがつけたようなんです。理由は教えてくれなかったんですけどね」
と言って笑っていた。
「嫌いなんですか?」
と聞く、
「そんなことはないですよ。気に入っています。皆と同じっていうのも面白くないじゃないですか」
と言って笑っていたが、その笑顔を見るとまさに川島の性格にソックリだと言わんばかりに聞こえて、思わずほくそ笑んでしまった。
「私、今まで結構気を張って生きてきたような気がするんですよ。人に負けちゃいけないってですね。だから、男の人からは、遠ざけられて、女の人からは、まるで目の上のたん瘤のように見られて、結構きつかったと思うんです」
と、少しアルコールが回ってくると、宇月はそう言って、ボヤいていた。
そんなボヤキなどするタイプには見えなかったので、
――きっとこの人は、僕だからこんな姿を見せてくれているんだ――
と感じた。
実に都合のいい考え方であるが、川島にはいじらしく見えていた。そのいじらしさが、今まで女性に対して違和感しかなかった自分の中で、昔の、青春時代くらいに憧れた女性を思い起こさせているようで、新鮮さがあった。
高校生の時に憧れていたのは、一年先輩だった人だった。生徒会にも入っていて、自分では教師を目指していると言っていたっけ。中学時代に一人だけ女の先生に習ったことがあったが、中学時代に感じた女教師への憧れが、先輩の中に芽生えた。
しかし、先輩はあくまでも高校生で、制服を着た姿しか想像ができない。とても、女教師をイメージすることはできなかったので、憧れの人と女教師を結び付けることができなかった。
――そういえば、宇月さんは、高校時代の先輩に似ているな――
と思った。
あの先輩が女教師になっていたら、こんな風になっていたはずだ。あの先輩も今宇月さんが着ている服を着せると似合ったことだろう。
――でも、あの人もきっと同僚の先生か何かと恋愛して、結構しているんだろうな――
と思ったが、結婚という言葉を思い浮かべただけで、自分の顔が歪に歪んでいるのが分かった。
――思い出さなくてもいいことを思い出したじゃないか――
と、誰にいうともなく、自分に言い聞かせた。
せっかく気に入った宇月さんなのに、余計なことを考える必要はないのだった。
そんなことを考えていると、少し気ますいとでも思ったのか、宇月の方から話を変えてくれた。