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音楽による連作試行

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 前述のように、夢は途中のちょうどいいところで覚めているかのように思えているが、実際にはすべてを見ていて、その後半の見ていないと思った部分は、記憶の奥に封印されているのではないかという考えを持っていたが、このドッペルゲンガーも夢が作り出した架空の発想であるとすれば、どこか肝心な部分が記憶の奥に封印されていて、その解明を難しくしているのではないかという発想も成り立つ。
 もし、ドッペルゲンガーを見たとして死に至った人が著名人を始めとしてたくさんいたのだとすれば、その人たちは。見た夢を途中から見なかったことにして記憶の奥に封印しなければならなかった部分を封印できずに、ドッペルゲンガーに怯えさせられる運命を辿り、死んでしまうということになったのではないだろうか。
 かなり突飛な発想であるが、してみて理解のできない内容ではない。
 夢に出てきていると思う道化師が、自分のドッペルゲンガーだとして、それを自分がいつ記憶の奥に封印することになるのか、それが興味深いところであった。
 川島は、都市伝説を信じるかどうかと言われると、どちらかというと信じてしまう方ではないかと思っていた。そして、その分、恐怖も感じるのだ。
 だから、本当なら道化師が夢に出てきた時点で、何か気持ち悪く、しかも一度ならずに二度までも、さらにそれ以降もと考えると、気持ち悪さがピークに達することであろう。
 しかし、実際にはさほど恐怖に感じることはない。ドッペルゲンガーのイメージまで頭の中に浮かんでこさせておきながら、なぜにそこまでの恐怖がないのか。それはそのうちにこの意識も記憶の奥に封印され、ドッペルゲンガーではないかと感じた意識も、道化師の夢自体も、すべて封印されてしまうと思っているからであろう。
 ポップスという音楽からは、このような不気味な発想が浮かぶとは思ってもいなかったのでかなり以外であったが、
「広い訴求性を持つ」
 という意味で、宣伝効果を感じた道化師の出現を頭の中に思い浮かべ、それが封印できていない夢の中の道化師を作り出し、ドッペルゲンガーの発想に至らしめたことは、今後の川島の人生において、何かが生じることを予感させるものではないかと、思うのであった。

               プログレッシブロック

 一九六〇年代に流行った音楽というと、イギリス出身の四人組グルー王の台頭であった。いわゆる、
「ビートルズブーム」
 というものである。
 しかし、ビートルズのブームが下火になりかかってから、つまり一九六〇年代後半から七十年代前半にかけて、全世界で流行した音楽ジャンルがあった。
 いわゆる、
「アートロック」
 と呼ばれたり、
「前衛音楽」
 と呼ばれるものが存在していたが、それをキングクリムゾンというバンドの出現で、新たに統一されたジャンルとしての、
「プログレッシブロック」
 という音楽が確立されていた。
 略して、
「プログレ」
 と呼ばれるこのジャンルの特徴は、
「高度な音楽技術を駆使して、オーケストラを形成することなく、クラシックやジャズの要素を組み入れた新しい音楽スタイル」
 と言っていいだろうか。
 実験的な音楽としても考えられていて、幻想的なイメージなどを追求し、当時使用されるようになった新たな楽器として、メロトロンや、シンセサイザーの存在が、プログレッシブロックの幻想的なイメージを可能にしたと言えるのではないだろうか。
 クラシックやジャズを要素にしていることで、インストロメンタル的な部分の大きなロックと言ってもいいかも知れない。もちろん、ボーカル部分もあるが、一曲で片面すべてを使ったような、壮大な音楽も存在する。クラシックの交響曲でいうところの「組曲」という発想おm組み入れられていて、組曲的な発想が、一曲の中に物語を作り出し、いかにもクラシックの要素を色濃くイメージした音楽性だと言ってもいいだろう。
 それぞれの楽器のソロパートもあったりして、組曲にする理由もそのあたりにあったのかも知れない。
 十年も続かなかったプログレブームではあるが、その考え方は、以後の音楽に感銘を与えたことに間違いはない。
 ヘビーメタルであったり、テクノポップなどという発想は、プログレなくしては語れないものではないかとも思えるからだ。
 プログレッシブロックやヘビーメタルのバンドは、なかなかメンバーが固定しないというのも何か不思議なところがあった。
 プログレに関しては、その個人が考えている音楽性の微妙な違いから、メンバーとの確執があり、そのために脱退したり、他のバンドに移籍したりというのがあったのかも知れない。
 何しろ全世界に波及した音楽だったので、それだけいろいろなバンドが生まれては消えていった時代だった。それこそ、
「実験的な音楽だった」
 と言われているが、その言葉のゆえんだと言ってもいいかも知れない。
 そんなプログレが流行った時代など、四十歳になったばかりの川島が知るはずもない。プログレが流行ったのは、ちょうど今から半世紀前でもう五十年は建っているということになる。
 考えてみれば、よくそんな昔にこのような壮大な音楽があったものだと思えるが、それよりもその源流となっているクラシックは、まだそれから数百年も前からずっと続いてきた音楽ではないか。それを思うと、音楽というもののすごさが感じられるではないか。
 今ではいろいろ音楽もジャンルが細分化されてきて、主旨も変わってきている。
 クラシックのように宗教や政治色の豊かな音楽でも、そこにはキチンとした芸術性が現れている。
 では今の音楽はどうだろうか?
 そんなことをいろいろと考えさせられるが、やはりプログレの出現というのは、今の音楽を刺激的に決定づけたという意味では、大きな存在ではないだろうか。
 川島はジャズよりもクラシックが好きだった。実際にジャズというのは、喫茶店などに行って流れていれば聴くという程度のBGM的な感覚でしかなかった。
 しかし、クラシックはクラシック喫茶などがあると、自ら通うくらい造詣が深いと思っている。今でも時々クラシックを部屋で掛けて、気持ちをリラックスさせることがある。もっともそれは離婚してから一人になったからするようになったことであった。
 クラシックを聴いていると、何かを妄想するのにいいという話を聞いたことがあったが、それならクラシック系のプログレではどうかと思ったのも一つであったが、もう一つは川島の性格にもよるものだった。
 一時期、一世を風靡し、世界を席巻するかの勢いだttプログレというものが、十年も持つことがなく、ほとんどが消えていった。いわゆる「ブーム」というだけのものとして終わってしまったかのように思えた。
 プログレの一つの特徴としては、
「長く続けていると、ポップ調の音楽に走ってしまう傾向がある」
 ということであった。
作品名:音楽による連作試行 作家名:森本晃次