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短編集104(過去作品)

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――なるべくまわりに悟られないようにしようと我慢すること――
 これは、人間としての本能がそうさせるに違いない。
 馴染みの喫茶店では、気心知れた人たちばかりである。普段は、田坂の方から話しかけることもあれば、マスターから話しかけることもある。常連ばかりの店なので、常連同士からの話になることもある。だが、田坂の場合、人の話題に入ることはあまりなく、自分から話題を降ることの方が圧倒的に多い。
 それには鬱状態への伏線があった。
――自分からの話題がない限り、鬱状態なので話しかけないでほしい――
 という無言の訴えである。
 常連客というのは、いつの間にか指定席が決まるものだ。田坂とて例外ではない。いつもカウンターの端に座って、店内を見渡している。だが、最初からそこというわけではなかった。
 最初に来店した時は、テーブル席を一人で占拠していた。馴染みの店でない限りは最初は必ずゆったりとした席に座ることにしている。
 カウンターに客が多く、マスターに気さくに話しかけている様子が見受けられれば、その人は常連だろう。話の内容よりも、マスターがどのように受け答えをしているかを聞いていれば、よく分かる。ジョークを交えながらも、決して余計なことを言わないマスターであれば、田坂にとって馴染みになりうる店であると判断ができる。
 もちろん、それまでには何度か来店することも必要だが、今馴染みにしている喫茶「キャンベル」は、一度の来店で、
――ここを馴染みにしよう――
 と感じることのできた店だった。
 会社と家の往復ばかりを当たり前のように感じていたことに、少し疑問を感じ始めていた時だ。
 仕事にも慣れ、精神的にゆとりを持つことで、普段通らない道を通り、そこにある喫茶店を見つけた時、以前から知っていた店のように外観を見ただけで感じたのだった。
 喫茶店など、奇抜な雰囲気を持っているようで、得てしてまわりの雰囲気に影響される場合が多い。特にまわりの雰囲気に解けこむような雰囲気の店造りを考えると、結局、
――前にもどこかで見たような気がする――
 という雰囲気を醸し出すものなのかも知れない。
 だが、それがその時の田坂には嬉しかった。
 まるでタイムマシンに乗って過去の世界に足を踏み入れたような気持ちになったのは、懐かしさだけを感じたからではない。懐かしさの中に、新鮮さを感じたからだ。
 以前にも似たような雰囲気の喫茶店に入ったことがあった。その時は確か旅先でのことだったので、馴染みの店にすることはできなかったが、その時にも確か、
――前にもどこかで見たような気がする――
 と感じていたように記憶しているし、さらに、
――もう一度この外観を目にするような気がする――
 と高い確率で感じていたことを思い出すことができた。
 奇抜で他とまったく違う雰囲気の店があったとすれば、一度は入ってみたいと感じるかも知れないが、決して常連になることはないと、外観を見た瞬間に即座に判断できるであろう。
 喫茶「キャンベル」は決して明るい店ではない。懐かしさを感じるだけで、他の人がなぜにこの店を馴染みにしているのか分からない。馴染みの客はそれぞれが好き勝手なことをしていて、馴染み同士で話をすることもあまりないように感じた。
 それでもその中心にマスターがいることだけは間違いないだろう。
――どこか、自分に似ているような気がするな――
 と感じてもいた。そこが似ているのかと聞かれると返答に困るが、
「雰囲気が似ている」
 と誰もが考える返答に留まらない気がしてならない。
 田坂には、この店で話すのはマスター以外にもう一人いた。マスターは「徳さん」と呼んでいるが、年齢的には田坂より一回りくらい上であろうか。落ち着いた雰囲気から仕事をバリバリしている様子を思い計ることはできないが、そこが話しやすいところなのかも知れない。
 会社は地場では大手の商社である。営業ということだが、仕事の合間の時間調整として喫茶店を使っている人も多いが、徳さんもその一人だろう。徳さんは喫茶「キャンベル」の常連になって久しい。いろいろと教えてくれた。
 徳さんという人物、初めは取っ付きにくい雰囲気に思えた。だが、話をしていくうちに打ち解けてくると、
――寂しがり屋なのかな――
 と思うようになって、こちらから話しかけたくなる雰囲気にさせてくれた。だが、実際には気さくな雰囲気で、話し始めると止まらないところがあるようだ。話も論理だてた説明なので、理解しやすい。それでいてしつこくなく、偉そうな雰囲気でもない。営業として頑張っているだけのことはある。
「ここの常連は、皆どこかマスターに共感するところがあって、常連になったようだよ」
「それは私も感じました。でも、皆さん性格はそれぞれで、多種多様という感じがしますが」
 徳さんは話し始めると、タバコの本数が増えてくる。普段一人でいる時はそれほど吸っている姿を見かけないのだが、いざ人と話をするとなると、
「ごめんね、今日も一服させてもらうよ」
 と言いながら、うまそうにタバコを吹かしている。
 もっとも、禁煙家である田坂にタバコのおいしさなど分かるはずもないのだが、なぜ徳さんを見ておいしそうに見えるか分からない。もちろん、
――自分も吸ってみよう――
 などと思うはずもない。
「マスターは、それぞれの人に対して、それぞれの顔を持っているんじゃないかな? 相手によって雰囲気を変えることができるんだ。それこそ誰も真似のできないマスターの個性なんじゃないかな」
 徳さんの言いたいことは分かる。だが、なかなかピンと来ないのは、マスターが他の人と話しているところをあまり見たことがないからだ。
「マスターがその日のその時間、誰かと話をしたとすれば、その人が帰るまでは誰とも話をしないんだ。普通の喫茶店では珍しいだろう。だけど、常連の多い店にはありがちなことかも知れないね。一人の人との会話の雰囲気を持ったまま、話したいとは思わないだろう」
 言われてみればそうだった。
 自分のための雰囲気を感じたいためにやってくる常連客にとって、マスターを独占したいと思うのも無理のないことだ。この店の常連客は、皆一人でやってくる。自分の時間を求めてやってくると言ってもいい。皆暗黙の了解が出来上がっていて、ルール違反を犯す人もいないようだ。常連客にとって一番安心できる店なのだ。
 常連客になって徳さんと知り合ったが、いつも徳さんがいるというわけではない。いれば会話になるが、いない時の方が多い。最初こそ徳さんがいないと一抹の寂しさを感じていたが、一人に慣れてくると、最初に一人で入った時の新鮮な気持ちがよみがえってくるようだ。
 いつも来る時間はまちまちだったが、最近一人の女性が気になっていた。
 この店では女性が一人でやってくることも少なくはない。カウンターに座ってマスターと話をしている光景をよく見かけるからだ。
 ほとんどが大人の雰囲気を感じさせる女性たちで、男性常連客の中には、彼女たちを気にしている人も少なくないに違いない。
作品名:短編集104(過去作品) 作家名:森本晃次