短編集104(過去作品)
もう一人の自分
もう一人の自分
学生時代から馴染みの喫茶店を、自分にとっての空間だと信じてきた田坂真太郎は、家の近くに喫茶店ができたことを最近まで知らなかった。
就職してからというもの、家と駅の往復ばかりで、途中寄り道することもなかったので、一つ筋を入ったところに喫茶店ができていることなど知らなかったのも無理のないことだった。
仕事が終わって電車に乗る。家に帰っても何か楽しいことが待っているわけでもないが、翌日の仕事に差し支えるという気持ちから、寄り道をする気にはなれなかった。
学生時代から同じ道を通っているのに、就職した途端、まったく違う道になってしまったようだ。駅までの距離も遠く感じられるようになったし、出かける時間の違いからか、まわりの人間がまったく違う人たちばかりなので、違う道に感じるのも仕方がない。
――どうして遠く感じるんだろう。近く感じるのなら分かるのだが――
歩くスピードは完全に学生時代よりも速くなっている。朝の通勤時間という喧騒とした雰囲気に、まわりに呑まれるかのように、歩くスピードも自然と速くなってくる。まわりの人間を意識していないつもりでも、意識してしまうのは、学生時代のようにボンヤリとした気持ちでいないからに違いない。
いつもピリピリしていなければならない生活に疑問を抱きながら、それでも心のどこかで充実した生活に満足している。そこが学生時代との一番の違いだった。
大袈裟に言えば、何をしても許されると思っていた学生時代、世間の荒波を一番意識しないでもいい時代、自分のことだけを考えていればいい頃ではなかったか。
しかし、それだけに不安は募ってくるというもの。一、二年生くらいまでは意識をしなかったが、三年生になってくると、嫌でも就職活動が頭をちらつき始める。特に自分で納得したこと以外を信じることができない性格の田坂にとって、サラリーマンというのは、自分を偽ってまでこなさなければいけない職業であると思い込んでいたからだ。
テレビの影響も大きかったが、それよりも就職斡旋の先生の話が強烈に田坂の心を打った。
「会社に入ったら、まず先輩の言うことをしっかり聞くことだね。間違っていると思っても最初はじっと話を聞いて、実際に自分が口を出せるようになるまでは黙って従っていることが懸命かも知れないね」
これはその他大勢に対する意見であった。
個人個人の性格を把握しながらであったら、もっと違った言い方をしていたに違いない。
しかも実際の社会というものを肌で感じているわけではないので、不安いっぱいな中で聞かされる話である。思い込んでしまうのも田坂だけではあるまい。
田坂は自己暗示に掛かりやすいタイプであった。
何か自分にとって大切な局面を迎えると、ついつい他人事のように考えてしまうことがある。それを自分では逃げだと思って最初はそんな性格が嫌で嫌でたまらなかったが、他人事のようにして考えられる時の方が、早く打開策を見つけられるのではないかと思うことで。あまり気にしなくなった。
精神的に鬱状態が自分にあると感じ始めたのもその頃からだった。
何かが原因で鬱状態に陥るわけではない。だが、鬱状態に陥る時の前触れは感覚的に分かるのだ。そんな時に、
――俺って自己暗示に掛かりやすいタイプなんだな――
ということを一番感じる。そのことを感じると、まもなく訪れる鬱状態から逃げることができないことを悟るのだった。
いつも何かを考えていたことには気付いていたが、
――他の人はどうなのだろう――
と考えるのは、自分が鬱状態になった時だ。
鬱状態の時以外は、他の人がどうであれ、自分には関係ないと思っていた。一番自分が流された生活をしていると自覚しているのも鬱状態の時、そのくせ、早く鬱状態から抜けてほしくて、時間があっという間に過ぎてほしいという矛盾した考えを持つ時期であった。
しかしそれは仕方のないことである。この矛盾が鬱状態を生んでいるのかも知れない。鬱状態に入る時も分かるし、抜ける時も分かる。鬱状態を抜けてしまうと、それまで考えていたことが一度リセットされ、
――何を悩んでいたんだろう――
と思いながら、何も考えられない時期に入った自分に気付く。
決して幸せなどとは思わない。鬱状態を抜けてホッとしてはいるが、そこから生まれるものは何もないことを分かっているだけに、何かを考えようとすると、希望よりも不安が募ってくる。なるべく何も考えないようにしようと思っても、どうしても何かを考えている自分がそこにはいるのだ。
――他人事だったら苦労はしないのに――
就職活動の間、そんな精神状態の繰り返しであったことは否めない。ただ、就職活動で苦しんでいるのは自分だけではないという思いが救いになっていただけである。
――集団意識が嫌いだったはずなのに――
それまでの自分を思い起こす。まわりに染まることを一番嫌っていて、大学でもひとつの集団に属することをもっとも嫌った。なるべくたくさんの友達を作り、それほどどの団体にも深入りはしない。それが田坂の信条であった。
目立ちたがりのくせに、自分が輪の中心にいる器ではないことは分かっていた。高校時代まで静かだった田坂は、大学時代になれば自分から目立とうと、虎視眈々と考えていたものだ。だが、似たような性格の人が集まるのが一番自然な中で目立とうとするには、その人が持って生まれた天性の明るさか、人をひきつける何かがなければダメなことを痛感したのは、最初に友達になったやつにカリスマ性を感じたからだ。
やはり彼は自分から友達を作ろうとしなくとも、まわりから寄ってくるところがある。そんな彼を見ていて、
――俺が最初に友達になったんだぞ――
と心の中で満足していることに気付いた時、
――そんな俺が輪の中心になんかなれるわけはないわな――
と早くも諦めの境地に至った。諦めが早いのも田坂の性格の一つかも知れない。
諦めが早いことを短所として指摘するのも、その友達だ。
本来なら、
「お前のせいで思い知らされたんじゃないか。よく言うよ」
と腹を立てるところだろうが、それを仕方ないで片付けてしまうのも、相手に感じたカリスマ性のせいではないか。
――長所と短所は紙一重というからな――
と自分に言い聞かせるのは、逆に楽天的に考える時の自分がいるからだった。
鬱状態の時でも、どこか楽天的なところがある。永久に鬱状態が続くのではないかという不安がないのは、そのあたりが原因なのかも知れない。
馴染みの喫茶店を絶えず持っていることで、精神的に落ち着いた気分になっていたかった。
鬱状態の時は、人と話をしたくない。そのくせに人恋しいという矛盾した部分を背中合わせに持っている。
足が攣った時など、痛くてたまらないので大声を出したくなるのが心情だろう。だが、そんな時に限って痛みを我慢しようとする。それは人に気付かれて心配されると却って痛みが増してくるからだ。
確かに心配されて触られでもしたら、余計に筋肉が硬直してしまうことは目に見えているが、それよりも苦しい時に、まわりに心配されると、余計不安に陥るという心理状態を恐れているからだ。
作品名:短編集104(過去作品) 作家名:森本晃次