短編集104(過去作品)
そんな都会の中のオアシスをきっとちはるも気に入ってくれたに違いない。それから何度も勝則の下を訪れているが、その度に待ち合わせは喫茶「ドメイン」であった。
待ち合わせに日にちは決めていたが、時間は決めることはなかった。どちらが先に来ても、待っていることの楽しさを知っているからだ。それでも仕事の関係で待っているのはちはるの方が圧倒的に多かった。待たせているというのに、焦る気持ちがなかったのは、きっと待っている間に喫茶「ドメイン」の雰囲気がちはるの身体に沁みついていることが分かっているからだった。
時々喫茶「ドメイン」に来ているはずの母親と、ちはるはまったく面識がなかった。同じ時間にいることは今までになかったからだ。母親がいる時はちはるが遅くなったり。ちはるが早く来る時は、母親が喫茶「ドメイン」に行かなかったりしていた。まるで二人が同じ空間に存在することを許さないかのように思えてならなかった。
ちはるの仕草を見ていると、どうしても父親とダブってしまう。
時々見せる落ち着いた仕草もさることながら、滅多に見せたことのない父の慌てた姿が目に焼きついて残っているのだが、まさにちはるも滅多に見せないくせに、見せた時にはまさに父親を一番思い起こさせる。身体全体で、
「すべては行動を起こす前に終わらせておく」
と表現しているのを見ているようだ。
きっと父親は、慌てた時に自分を戒めるために最初は使っていたのだろうが、そのうちに座右の銘になったのかも知れない。どこかにきっかけがあったのだろうが、それが、坂下荘の女将に関係があるのではないかと感じたのは、女将がちはるのすることにまったく何も言わないからだ。
決して甘やかしているわけではない。女将なりに考えがあっての行動だ。
「お母さんは、何も言わないけど、すべてを分かっているみたいなの」
と言っていた。きっとそれはいいことであれ、悪いことであれ同じではないだろうか。
「すべては行動を起こす前に終わらせておく」
と言っていた父の言葉を思い出した。
待つことだけが楽しみになっているちはるの姿を想像していたのだろうか。
父親からの受け継ぐ血は、考えているよりもかなり重たいもののようだ。そしてそれを一番受け継いでいるのは勝則だった。彼の性格にはバイオリズムがあり、落ち着いているかと思うと、いきなり慌ててしまうところもあった。
その日も慌てなくともいいのに、急いで喫茶「ドメイン」へと向う。何かを考えながら行動している時の方が却ってまわりを見ているかも知れない。
勝則のような男は猪突猛進になってしまってはロクなことはない。
その瞬間、勝則に激しい激痛が走り、石やセメントをかじったような妙な味を感じていた。その時にいろいろな記憶が脳裏を駆け巡ったが、意識はそこで途絶えてしまった。
そのうちに喫茶「ドメイン」ではいつまでも勝則を待ち続けるちはるの姿が見られるようになっていた。その姿が母親とダブっていることを勝則は最初から分かっていたのかも知れない……。
( 完 )
作品名:短編集104(過去作品) 作家名:森本晃次