短編集104(過去作品)
ローカル線に乗ってしまえば最初から景色は別世界に違いない。勝則の住んでいるところから海は遠く、実際に海を見ようと思えば車でも一時間くらい掛かってしまうだろう。
海よりも山が好きな勝則は、自分から海に近づこうとはしなかった。友達に誘われてもどちらかというと尻ごみする方で、付き合いが悪いと陰口を叩かれたりもしたが、それについては一向に構わなかった。
――言いたいやつには言わせておけばいい――
海水浴には付き合わなかったが、釣りには数度付き合った。暑い時間帯を避けて、夜釣りばかりである。防波堤から見る夜の海は穏やかであっても、暗い中を照らしている街灯がまばらに目に飛び込んでくる。二、三日は目を瞑ればその時の波に写った光が瞼の奥に焼きついているのを感じることができた。
潮の香りは基本的に好きではない。だが、静かな夜に、防波堤に当たって弾ける穏やかな波の音を聞いていると何となく落ち着いた気持ちになってくるから不思議だった。
「釣りが趣味っていう人は、短気なやつが多いらしいぞ」
「え? そうなのか」
思わず聞き返したが、考えてみれば分からなくもない。
普段、都会の雑踏の中で短気に見られるやつというのは、自分の中にあるリズムが他の人と合わずに、そのもどかしさを表に出している人が多いのではないだろうか。それだけに、
――落ち着きたい――
という思いを強く持つことで、自分の気持ちを維持しようとする。
釣りというのは、じっと釣れるまで待ち続けるので、短気な人には似合わないと主我勝ちだが、短気だと言われる人が求める落ち着きが、普段の生活とは違ったところで見えてくるものではないだろうか。
――そういえば、俺も短気だと自分で思っているけど、何か一つに集中すると、そこから目が離せなくなることって往々にしてあるものな――
目を逸らしてしまうのがもったいないと感じるのだろうか。それとも目を逸らした瞬間に、何か大切なものが見えたはずだという後悔をしたくないからだろうか。どちらもあるのかも知れない。
短気な人は確かに後悔をすることを恐れているところがある。少なくとも勝則自身はそうである。
一点を見ていると、時々違うことを考えている自分に気が付くことがある。
――集中できない性格なのだろうか――
短気だと思うのは、そんなところからである。だが、釣り糸を垂らしながら波を見ていて他のことを考えていると、落ち着いた気分になってくる。釣りを趣味にしている人に短気な人が多いというのは、こういうところからも言えるのであろう。
しかし、父が以前によく言った漁場に行ってみようと最初に考えたきっかけは何だったのだろう。いろいろなことを考えていて、最初は漠然としたものだったはずだ。
――行ってみれば何か楽しみが待っているかも知れない――
という思いが漠然とあったのだ。それが何なのか分からないまま、釣り道具を母に借りに行き、父の年賀状から釣り宿を探し当てた。そんな行動から母には勝則の行き先がどこなのか、ウスウス分かっていたのかも知れないとも感じる。
それでも何も言わない母は、すでに父のことは頭の中から消えているようだ。それならそれでも構わない。新しい生活を望んでいるのは勝則も同じだった。父の思い出の土地を訪れることで、何か自分の中で吹っ切ることができるのではないかと感じる勝則だった。
ローカル線に揺られながら表に広がる海を見ていると、自分が海を見ながらいろいろなイメージを思い浮かべていることに気付く。
それまでに楽しかったこと、辛かったことが走馬灯のように駆け巡るのは、今まで見たことがないほど綺麗な海の風景に、
――以前にも見たことがあるように思う――
と感じるからだった。
テレビドラマなどで、海の光景を見ることはあっただろう。だが、実際に見るのとでは大違いだと分かっているくせに、以前に見たことがあると思うのは矛盾しているかも知れない。
――父は、この光景を何度見たんだろう――
という感情から、父の記憶が勝則を介してよみがえってくるのではないかという怪談めいた発想まで浮かんでくる。
元々少年時代から、列車に乗ったら、必ず窓際に座り、車窓を眺めることが好きだった。
どんなに眩しくともブラインドを下ろすことなく窓の外を見ている。見ているうちに他のことを考えている自分に気付くのだが、何を考えていたのか覚えているのは稀だった。集中して見ていると、ついつい他のことを考えてしまうようだ。
辛いことがあった時など、自分を他人事のように思うことがある。
――辛いことから逃げているんだ――
と思えてならない。確かに逃げているだろうが、それよりも集中していて殻に閉じこもってしまいがちな自分を、自らでその殻をぶち破ろうとする気持ちが働いていると感じるのは虫が良すぎるのだろうか。
二時間ちょっとのローカル線の旅で、ほとんど見える光景に変化はなかった。海岸線を蛇行しながら走っているだけで、海と線路の間には、国道が走っていて、車の往来も国道にしてはあまり多くない。二時間ちょっとも乗っているのに、途中に大きな街はほとんどない。車窓を眺めていて、どれだけの想像が頭を巡ったことか、一つだけ分かっているのは、発想が一回りして、最後はまた最初の発想に戻ってきたということだった。
――もうすぐ着くんだ――
時計を見たわけでもない。他のことを考えているので、時間の感覚が正確ではないということは分かっていたつもりだ。それでもまもなく目的地に着くという感覚があったのは、自分でも不思議だった。
何しろ単線なので、途中の駅で上り列車との離合のために、一つの駅で数分停車するなど何度もあった。表を見ていて、景色に変化はないのだが、それまで感じていた揺れがなくなったことは、乗っていてイライラが募ってくる。
その時に一度我に返って、考えていたことがリセットされる。まるで夢を見ている睡眠から起こされるような気持ちだ。
大抵夢から覚める時というのは、ちょうどの時が多い。列車に乗っていて駅に着いて、離合を待っているというのも同じようにちょうどいいところで夢から覚めた感覚になっていた。
駅というのは、それなりに等間隔に設けられているもので、四、五分乗っていれば次の駅に着くというのが一般的である。
起きていて車窓を見ながら違うことを考えているのは、起きて見る夢のようなものであるが、その夢はちょうど駅間に合わせて見ていることになる。意識していないのに、どこか自分の中でその時間を分かっているのではないだろうか。そう考えると、寝ていて見る夢まですべてが、自分中心ではないかと思えるようになってくる。夢というのは、自分が勝手に作り出す世界であるが、まわりに合わせるようになっているのか、勝手に見た夢にまわりが合わせてくれているのか、どちらにしても神秘的であることには違いない。
駅に着いてから宿までは、歩いて十五分ほどだった。
国道沿いに少し歩いて、後は漁村へと続く舗装もされていない砂地を歩く。
潮の匂いがしてくる。暑い時の潮の匂いは、身体にへばりついてくるようであまり好きではないが、目的が釣りとなると、そうでもない。
「暑いから海水浴に行こう」
作品名:短編集104(過去作品) 作家名:森本晃次