短編集104(過去作品)
――相手に対して失礼になると思うことは俺にだってあるさ――
父親への反抗心だけがエネルギーではないということである。
十五分は約束の時間よりも早く来る。その十五分が、結構待っている時間の楽しい時間でもあるのだ。まるで車のハンドルにある遊びの部分に近いものを感じていた。
十五分経って待ち人が来る可能性は、田坂の中では半分にも満たない。だから、この十五分を楽しめるのだ。
約束の時間から五分が経過する。最初の五分で来る確率がぐっと増すからだ。
しかし、五分を過ぎれば三十分までは時間に流されている自分を感じる。きっと、十分で現われたとしても、三十分経って相手が現われたとしても、待った時間を同じくらいだと感じるに違いない。
――時間に流される自分――
流されることへの快感を感じることがあるとすれば、この時間を知っているからではないだろうか。
実際に、大人になってから、
――流される――
という感覚を感じたことがある。それは時間に流されるという感覚だけではなかったが、決して嫌なものではなかった。快感とまで言えるかどうか分からないが、波に揺られているような感覚で、眠っている時、夢の世界に入り込んでいく感覚に近いものなのかも知れない。
しかし、その日から待てど暮らせど彼女は現われなかった。
「他の日に来ているんですか?」
とマスターに訊ねるが、
「そんなことはないですね。あれから一度もお目にかかっていませんよ」
田坂が彼女を女性として意識し始めてからではないはずだが、きっと田坂の視線に何かを感じて来れなくなったと思えてならなかった。
――意識過剰なのかも知れないな――
と思ったが、彼女を母親に似ていると思い始めてから確かに彼女を見る目が今まで好きになった女性を見つめる目と少し違っていることに気がついた。
それから少ししてだが、彼女の座っていたテーブル席に一人の男性が現われ、同じように表を見ている光景を目にするようになった。
日曜日でもなく、昼下がりでもない。
男が現われるのは不定期であるが、日曜日の昼下がり、つまり彼女が待っていた時間に現われないことは間違いない。
――どうも彼女と知り合いのように思えてならないな――
と感じるのは、あまりにも二人が待っている時間というのが合致していないからだった。絶対に出会うことのない二人のように見えて、それはこの場所にいて、自分の指定席からしか見ていないからではないだろうか。
――自分の目の前では出会えない二人――
それを思うと、自分にもそんな女性が他にいるように思えてならない。それをこの二人が教えてくれているのではないだろうか。
人を待っている時間に快感を覚えるようになったのは、約束の時間を過ぎてから待っている自分を他人の目で見ることができるからだ。それは鬱状態になった時に何とかそれを逃れたいという意識から、もう一人の自分の存在を作り上げることができて、もう一人の自分に意識を持っていくことができるようになったからかも知れない。
田坂は自分の目の前で会うことのない二人を見つめていると、もう一人の自分が、その時間、自分が会うことのできない女性に出会っていることを感じていた。自分の身体に字を書いている時に、それぞれ意識してしまって書いている字の感覚が逆さまに思えてくるのを思い出していた。
母親が一週間に一度父親を待ち続けていたが、もし、もう一人の母親はその間に父親と会っていたとすれば、お互いに愛を育むのにそれほど時間も掛からなかったことだろう。
目の前に見えている事実だけが真実ではない。もう一人の自分の存在に気付いてしまうと、裏を見てしまい、裏が決して自分に悪い方に向っていないことを実感すると、世の中、それほど捨てたものではないと感じてくる。
そのうちに喫茶「キャンベル」の近くで、一人の男の子が両親を待っている姿を見ることがあったが、いつも田坂が見る時には母親が子供を迎えに来ていた。いつか父親を見ることができるのではないかと思っていたが、それはきっと田坂が会うことのできないもう一人の自分が見ているに違いない。
もう一人の自分は、きっと父親が好きなのだろう……。
( 完 )
作品名:短編集104(過去作品) 作家名:森本晃次