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続編執筆の意義

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 男性はあたりを気にしていたが、女性の方はモジモジしている。男性がキョロキョロしているのを見ると、坂崎は男と顔を合わせたくないという意識から、目を逸らしていた。
 意識していないと、相手には分からないもののようだ。特に挙動不審の人間は、相手も必要以上に気を遣っている人でなければ意識をすることがないのだろう。その男は坂崎に気付かなかったようだ。
「真正面にいて、気付かないなんて」
 と思ったが、それほど急を要するとでもいうのだろうか。
 男は女を自分の身体で覆い隠そうとでもしているかのように庇うようにして、多目的トイレの中に消えていった。
 そのスピードは鮮やかなくらいで、まるで幽霊がスーッと壁に消えていくかのように見えた。
――幻なんじゃないか?
 と感じるほどで、前を見ると、施錠中のランプがついている。
 視力はいい方だが、普通ならこの距離でランプが見えるなどということを感じたこともないはずなにに、よくも分かったものだ。
 坂崎は公園に来るようになって、夕方の時間配分には、かなりの自信があった。
「逢魔が時ですら分かるのではないか」
 と思うほどだった。
「公衆トイレに男女が一緒に入る……・」
 何という淫蕩なシチュエーションであろうか。
 やることは決まっていると思うと、もうそこから先は、妄想の世界だった。
「どっちが欲情したんだろう?」
 と思ったり、
「何でラブホテルに行かないんだ?」
 と思ったりもした。
 ラブホテルに行かない理由をいくつか考えてみたが、一つは金がないからという考えだった。
 これが理由としては一番現実的な思いだが、リアルさという意味では違う。この場合のリアルさは、生々しさであり、淫蕩な臭いがしてきそうなほどの厭らしさであった。そういう意味でのリアルさでは、またいくつかに分かれてくる。
 一つは、
「ホテルまで我慢ができなくなった」
 という思い、さらには、
「そんなに時間がない」
 という思いである。
 男の方の仕事の問題か、あるいは女の方が子供を迎えにいかないといけないであったり、旦那が帰ってくる前に帰宅する必要があるなどである。そして、もっと生々しい感情としては、
「見られたり、聞かれるかも知れないトイレでの不倫は、これほど羞恥に満ちたものはなく、興奮してしまう」
 という思いである。
 ここまで来ると、一種の変態なのかも知れないが。一番人間臭い行為として我慢できなくなってしまったのだとすれば、無理もないことに思えてくる。特に最近では欲情すらすことのなくなってしまった坂崎にとっては、羨ましいくらいであった。
 もし、一番最後に感じた思いが当たっているとすれば、見たやるのが礼儀のような気がしたが、今から近寄って覗くというのは、さすがに気が引けた。最初から覗きをするつもりであればかなりの浴場の場面なのだが、この場面で思い浮かべるのは、
「覗きをしている自分を客観的に想像することができる自分がいる」
 ということだった。
 そう思うと最初から頭の中は冷めていた。それだけに、余計な想像が頭を巡っているようだった。
 覗きというのは、実に興奮させられる。覗きというのは見るだけではなく、聴くというのも、その興奮を倍増させるものなのかも知れない。
 小説だってそうではないか。マンガやドラマのように、映像を介しているわけではなく、あくまでも想像することが命なのだ。
「映画やドラマを先に見て原作を読む分には、さほどの違いは感じないが、原作を読んで、映画やドラマを見ると、映像作品が原作には絶対に適わないということが分かってくる」
 と言われることがあるが、まさしくそうだろう。
 そういえば、昔映画のキャッチフレーズで、
「読んでから見るか、見てから読むか」
 というものがあった。
 そのキャッチフレーズを聞いて最初に感じたのは、
「それほど映像作品に自信があるんだろうな」
 という思いだった。
 正直に言って、どんな映像作品であっても、原作には絶対に適わない。なぜなら原作は想像力を発揮しないと、まったく内容を把握することができないからだ。
 この場合は映像作品と原作という境界を超越している感じがする。想像は妄想に膨れ上がり、妄想は自分の身体を反応させる。
 見えてもいないのに、その情事の光景が頭に浮かび、聞こえてもいないのに、その生々しい声が、耳に入ってくる。身体が反応しない方がおかしいというものだ。
 ベタなAV作品で、企画ものなどでは、覗きや盗撮をテーマに出来上がった作品も多い。さっきの二人も、映画の撮影ではないかと思うほどだったが、まわりを気にしているわりには、映像作品ほど、露骨に気にしている様子はない。やはり映像作品では、見ている人にも出演者と同じ感情を与えるくらいのつもりで撮影されているに違いない。
 そんなことを感じながら見ていると、次第に何も想像できず、何も聞こえてこなくなっていった。
「こんなにも生々しい状況なのに」
 という思いだったにも関わらずである。

              弱心隠蔽

 二人がトイレに入ってからどれくらいの時間が経ったでろうか、本当は何が行われているのかをもっと想像してみたかったのだが、どうにもその時の坂崎は想像、いや、妄想するまでの欲望がなかったのか、実にもったいない気がしていた。ただ、いかにもあからさまに、見てほしいとでもいうような行動をされると、却って冷めてしまうのかも知れない。あくまでも、
「見てもらいたい」
 と考えているのだとすると、
「誰が見るものか」
 という反発心が生まれてくる。
 学生時代、特に思春期くらいの頃の坂崎は、そんな天邪鬼ではなかったはずだ。ただ、人と同じでは嫌だという感覚はあったのだが、相手が見てほしいというのであれば、そこは拒むようなことはしなかったはずである。どうしてその時そんな気持ちになったのか分からないが、坂崎は別の発想が頭の中に生まれてくるのを感じた。
 それが新しい小説のネタになるなど、その時にはまったく感じていなかった。ただ、
「妄想を抱くはずのその時、別のことを考えていたような気がする」
 ということであった。
 何かを考えていたということを、しばらくは分からなかったが、次の日。目が覚めると、急に何かに閃いた気がした。
「ひょっとすると、昨日見たと思った夕方の公園での、変なカップル。あれは、実際に見たわけではなく夢の中でだったのかも知れない」
 と思った。
 そう思えば、あの時に妄想に入らなかった理屈も分かるというもので、
「夢の中自体が妄想で出来上がっているので、妄想の中で妄想を抱くことはできないのではないだろうか」
 という思いだった。
 だが、実際には夢であれば、ここまでハッキリと覚えていることもない。特に覚えている夢というのは、今までの経験から言えば。怖い夢しかなかったはずだ。
――ということは、これが夢だとすれば、怖い夢という認識で見た夢だということになるのだろうか?
 ということになり、自分の中で感じる恐怖の定義が、さらに分からなくなるのではないだろうか。
作品名:続編執筆の意義 作家名:森本晃次