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続編執筆の意義

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 その日の坂崎には、一つのアイデアが湧いていた。それは昨日の夕方に感じた思いで、それをミステリーとして描けないかと考えたのだ。ノートにメモしておいて、一晩どのようなストーリーにしようかと考えた。
 湧いてきたアイデアというのは、普段なら気にならないようなことで、目で見ていたとしても、スーッとやり過ごしてしまう光景だった。
 前日の夕方の散歩は、いつものように、日が暮れる寸前くらいの午後六時までに公園に入るという計画だった。思惑通りに午後六時近くで公園に入ると、まだその日は日が沈んではいなかった。そのおかげで、足元から伸びる影が最高に長いという光景に巡り合うことができて、
「秋が近づいてきた証拠だよな」
 と感じていた。
 児童公園というと、当然アスファルトのように舗装されているわけではないので、風が吹いてくると埃が舞ってくる。その日は思ったよりも風が強く、埃が舞っているのが分かったのだが、埃が夕日を反射するのか、視界が思ってよりも悪い気がした。
 こんな日は疲れを感じるもので、秋には結構あることだった。
――いや、秋ではない。夏の終わりのことだな――
 汗が滲んでくるほどではないと思っていても、ベンチで座っていると背中にはじっとりと汗が滲んでいる。昼間と朝晩の気温差は激しいもので、ずっと雨が降っていなくても、なぜか蒸し暑さを感じる。涼しいはずなのに、身体に熱が籠ってしまうことで、汗を掻くのだろうが、汗が籠る理由が見当たらない。それが、季節の変わり目の、想像以上に身体に負担がかかっている証拠なのかも知れない。
 昨日も、普段と変わらず、ベンチに座って公園内を見渡した。その日はすでに子供たちはいなくなっていて、
――まだ明るいのにな――
 と思ったが、たまにはこんな日もある。
 ひょっとすると、子供にとって見たいテレビがあったのか、それとも、親の都合で皆子供が引き上げることになったのかではないかと思えたが、とにかく年間には、何度かこんな日もある。
 あまり子供がギャーギャー騒ぐのも嫌だったが、一人もいないとなると寂しいものだ。風が吹くのも、人がいないことで空っ風が吹いているのかも知れない。それを思うと、
「まるで西部劇に出てくるゴーストタウンのようではないか」
 と思うのだった。
 だが、そんな時間は長く続かなかった。公園に誰もいない時間というのは、思ったよりも時間を長く感じさせるもので、自分が何かを考えていると思いながらも、無意識に過ぎ去っていくのを感じていた。
 思い出そうとしても、たった数分前のことであっても、何を考えていたのかすら覚えていない。
――どうしたんだろう?
 と思っていると、汗を掻いていないことに気付かされた。
 涼しさを感じてきたからだというわけではない。身体に熱が籠っているのは分かっている。こんな時は頭がボーっとしてきて、頭痛を感じてくるのであった。
 公園のベンチに座っていると、足元から伸びる影の長さをまたしても感じていた。自分の身体の長さだけではなく。近くに落ちている石からも細長い影が伸びている。
――前にも時々感じた感覚だな――
 と思ったが、小学生の時にも、よく夕方近く、公園に来ていたのを思い出した。
 友達と一緒に遊んだという思いよりも、一人でいたことの方が思い出としては強かった。確かに友達といるよりも一人でいる方が多かったような気がする。それはブランコが好きだったからだ。
 基本的に一人遊戯の多い公園の遊戯アイテムであるが、その中でもブランコだけは一人でやるものだった。
 ブランコに腰を掛けて、足で蹴り上げるように動かせば、後は腕の伸縮で、動きをコントロールする。前に突き出した時、後ろまで引っ張られて、前につんのめるように動き出した時に、顔に当たる風、身体が宙に浮いてしまう感覚を自分一人で作り出していることに喜びを感じていた。
――これがブランコの醍醐味だ――
 と思っていると、敢えて友達がいない方が楽しかった。
 ただ、一つの難点が、
「ブランコというのは、風を切るような爽快さ」
 を味わうことができるのに反して、泊ってしまうと、身体に溜まった熱が一気に噴き出してくる。汗も掻いていなかったはずの身体から汗が噴き出してくるのだ。
 汗が乾いてくれば、身体がドンと重みを感じるようになり、何をやっても億劫になってくる。それがブランコの弊害だった。
 汗を掻いている時はいいが、汗を掻かない日には、完全に籠ってしまった熱さは熱となって籠ってしまい、それは頭痛となり、体調を崩してしまう原因になった。
 子供の頃はよく熱を出していて、年間何回か高熱で学校を休むことがあった。
 たまにであれば、学校を休むというのも悪くないと思っていたが、実際に休んでいる間の昼前くらいに熱が下がって体調がよくなると、せっかくよくなったのに、表に遊びにいけないことが切なかった。自分で後ろめたさもあったのだ、
「朝は熱があったのだから、Sの日一日学校を休むくらい、別に悪いことではないはずなのに、どうしてこんな罪悪感に苛まれなければいけないんだ?」
 と感じた。
「学校をたまになら休むくらいは、別にいいではないか」
 と思っているくせにである。
 公園で埃が舞い、日の光で煌めいているのを見ると、綺麗だと思う反面、身体に蓄積されていた疲れが噴き出してくるようで、それが辛かった。
「このまま帰ってしまおうか?」
 と、、身体に疲れを感じた時に思ったのだが、身体の気だるさのせいで、身体を起こすのもきつかった。
 立ち上がる時に、立ち眩みを起こしそうで、その思いから、なるべくじっとしていて、体力の回復を待つことにした。
 首くらいは動かしてもいいのだろうが、首スラ動かすのがつらかった。ベンチのちょうど前には遊戯用具はなく、ちょうど遊技場の切れ目になっていて、その向こうがちょっとした森のようになっていた。
 そこには昔からトイレがあったのだが、坂崎はほとんど利用したことがない。正直あまり綺麗ではなく。利用している人をほとんど見たことがなかった。
 男性が少し用を足すくらいであれば、それほどのことはないのだが、それ以外で使用するのは少し気持ち悪い、きっと個室には品のない落書きが残っているのではないかと思えるほどだった。
 それでも、男子便所と女子便所の間には多目的トイレが用意されていた。あまり綺麗とは言えなかったが、あるとないとでは大きな違いだ。どうやら託児ベッドもあるようで、授乳もできるようになっているようだ。作った時にはそれなりに綺麗だったのだろうが、今では見る影もないのかも知れない。
 以前に、多目的トイレを利用してみようかと思ったことがあったがやめた。想像以上に汚くて、利用する気にはならなかったのだ。
 だから、公園に来ても、そこにトイレがあるという意識があるだけで、よほど急を要さない限り使うことはないと思っていた。
 実際に、固執の扉が閉まっているところを見たこともない。たまに多目的トイレを使用している人がいるというのを感じるくらいだ。
 sの日も、同じように、
――どうせ、誰も使う人などいないだろう――
 と思っていると、一組のカップルが多目的トイレに近づいていた。
作品名:続編執筆の意義 作家名:森本晃次