続編執筆の意義
二人は初対面のはずなのに、まるで死んだことが自殺であるということが最初から分かっているかのような状況だ。この男も男がこの瞬間まで生きていて、まもなく死んでしあうであろうこと、そしてこの遺書の存在を見つけなかったら、こんな大それたことを考えたりはしなかったことだろう。
この準主役ともいうべき、大悪党。いずれはこの女を利用しようと思っていたのだろうか。それとも、彼女のプレイにあやかる形で、
「私は医者だ」
だと最初から名乗っていた。
そこに深い意味はなかったのかも知れないが、それを主人公が簡単に信じたことで、
――この女、何でも信じる女だ――
と感じたようだ。
もし、彼女のことを、
――何かあったら、その時は利用できるな――
と感じた時があったとすれば、この時だったのかも知れない。
小説の内容が少しずつ固まってくる。ただ、自分の話はいつものことであるが、範囲が狭かったり、登場人物が少ない。そのせいもあってか、ミステリーでありながら、物語が限定的で、そのくせ一つのテーマに特化しているかどうかという点で曖昧だったりする。そのせいで小説に厚みやダイナミックさに欠けてしまい、編集者の好評を企画段階でもらうことができない。
「戦絵、もう少し、話を膨らませることはできませんかね?」
と言われるが、なかなか難しかった。
今回もマスターを前にプロットもある程度煮詰まってきたのだが、どこか自分でも満足できるところがなかった。
「先生の話はプロットの段階までは結構キチっとしているんですが、プロットの完成度が高ければ高いほど、出来上がった話に深みを感じないんです。プロットを書き上げて満足していませんか?」
という辛辣な話もあった。
ただ、確かに以前はプロットすら書けない小説家で、ちょっとしたアイデアが浮かんだだけで書き始め、そのせいで出来上がった作品がまったく内容の違ったものになり。結局違ったままの内容を雑誌に載せるという作家としては、あるまじきと言われるような発表になってしまっていた。
その頃は、
「先生もプロなんだから、プロットくらい、まともに書いてくださいよ」
と言われていた。
その時、考えたのが、
「プロットを書くのも、最初から作品を書くようなつもりで、自分がその登場人物の目になって考えるようにするばいいんだ」
と思うようになった。
「実際の登場人物、つまり一人称作品は、自分には書けない」
と思っていたことで、プロットを書く自分は、あくまでも架空の人物、いわゆる、
「架空小説の中での架空の人物」
という、ある意味、現実世界から架空世界を見ている人間として描いてみた。
実際には、これが本当のプロットの書く方なのかも知れないのだが、そんなことを思いつくはずもなかった。
プロットというものをいつの間にか完璧に近い形で書けるようになった坂崎だったが、今度はそれを物語に落とそうとすると、プロットが完璧に近いだけに、その難しさを痛感するようになる。
「先生は、極端ですね」
と編集者の皮肉も聞かれたが、ストーリー展開はどうしても、自分が経験したことに向かってしまうのは仕方のないことだ。
勧善懲悪
今度の小説は、それなりに売れた。
「それなりに」
とはいうが、坂崎にとっては、デビュー作以来のヒットであった。
本人もそのことは理解していて、思ったよりも売れたことがどうしてなのか、自分なりに分析してみようと思ったが、理由は見つからなかった。
この話は別に自分が実際に経験したものではなく、ちょっとした思い付きからだった。漠然と公園にいて、目の前に見える公衆便所の真ん中い多目的トイレがあって、そこに一瞬、男女が一緒に入るのが見えたのだ。
だが、それは錯覚だった。しばらく見ていると、後から出てきたのは一人の男性だった。その男性を見ていると、どこか弱弱しさが感じられた。
「変装しているのではないか?」
と感じたのは、燕尾服のような接待っぽい服装に、帽子、さらにステッキという、それぞれに調和がとれている服ではあるが、あまりにもまわりの雰囲気にマッチしていない。あたかもその場を調節した雰囲気に、違和感しかない状況を感じたからだ。
「女が男に変装し、トイレから出てくる」
このシチュエーションは、坂崎に閃きを与えた。
最初に誰かが入ったのは意識していたが、違和感がまったくなく、あまつさえ、後から感じたのが、
「男と女が一緒に入ったのでは?」
という奇抜なものだった。
それだけ出てきた変装した女のインパクトが強すぎて、ギャップにならないようにと思ったからなのかも知れない。そのギャップを埋めようと勝手な想像をしているうちに、その想像が妄想に変わっていったのだ。
「少なくともその女はアブノーマルな変態女でなければいけない」
というおかしな思い込みになった。
そして、その女は本当の悪ではなく、逆に自分の性癖が行き過ぎて、男を過失で殺してしまったという発想、そこから、彼女がいかに自分の罪から逃れようとするか、彼女のような人は、素直に警察に通報していれば、何でもなかったはずなのに、変な男に、しかも一番最悪な男に相談したため、人生を逆転させてしまうことになる。というような小説をイメージしたのが、最初の骨格だった。
その骨格とはさほど違ったイメージがなく出来上がったプロットは、今までの坂崎であれば、中途半端なプロットを書いたために、ストーリーがまったく定まらず、最後はいつも中途半端に終わってしまうことを自覚していたのだが、今回は却ってプロットがガチガチだったために、融通が利かない作品になっていた。
それでも、書きながら少しずつ変わっていったのは、坂崎のこれまでと同じであった。プロットがしっかりできていたことは、ラストを中途半端に終わらせなかったという意味でよかったと思う。
さらに、彼の目標としている、
「最後の数行で、どんでん返しを描けるような作品にしたい」
という思いも、今までの中では一番だったのかも知れない。
「やっぱり、プロットというのは大切なものなのかも知れない」
と感じた。
編集者の人間にも同じことを言われた。
「坂崎さんは、小説の書き方を自分なりに見つけたんですよ。元々坂崎さんは、皆がやっているような書き方ではいいものは書けないと思っていました。だから私もそのあたりにはわざと言及しなかったんです。下手に言及して考えすぎる坂崎さんの頭を堂々巡りさせてしまうと本末転倒ですからね。それこそ、負のスパイラルというものに突入していく坂崎さんを見たくはなかった。だから何も言わなかったんです。でも、それを自分で見つけることができなかったら、何も言わずに切るところだったんですよ。今は出版業界も厳しいので、僕は逆に基本に立ち返らなければいけないと思うんです。そもそも基本というのが何かいうことですが、作家によって持っているものが違うんですから、決まった基本なんていうのはないと思うんですよ。だから決まっているものが基本だという考えを払拭したい。この思いが今の僕の信念です」
と言っている。