続編執筆の意義
しかし、そんなに虫のいいことはない。普段は性癖によって自分のご主人様のように従っている男であっても、それは弱みを見せないということが条件だった。つまり弱みを見せてしまったことが彼女の致命傷であり、そこから彼女の運命は決まってしまったと言ってもいい。
正の奴隷が豹変した。すでにその男は自分の優位性に気付き、気持ちに余裕を持った。気持ちに余裕を持つことで頭の回転が普通の人間よりもはるかに早いことで、悪知恵も相当なものであった。
あれだけ咄嗟の場面で、自分だけが冷静さを取り戻し、
「この女は自分のものだ」
とハッキリ悟ったことだろう。
そうなると、男の頭は冴えまくった。
まだ男が生きていることを幸いに見捨てることで、彼女が殺したことになる。死亡推定時刻などあてにもならない。何しろ彼女は自分が殺したと思い込んでいるし、ここでの数十分くらいというものは、誤差の範囲だったからだ。
そして極めつけは、男が自殺を図ったということであった。なぜこの女の前で自殺をしようとしたのかはハッキリと分からないが、そこに遺書がある以上、自殺であることは間違いない。彼女の性癖を使って、自殺を試みたのだ。
「愛する彼女に殺してもらえるのであれば、それも本望だ」
と思ったのかも知れない。
この女は男の言葉に激しく反応することは、自殺した男だけではなく、ニセ医者の方にも分かっていた。だから遺書が残っているのを見た時、中を見ずとも、そこで倒れていた男の真意に気付いたのかも知れない。つまりは、
「知らぬが私ばかりなり」
と彼女だけで、一人右往左往していたということである。
多目的トイレで殺されたと目された男が実は自殺をしていて、自殺を殺人にすり替えられ、男のいいなりになっていた事件で、結局、一人勝ちだと思えたそのニセ医者の男は自殺することになる。厳密にいうと、自殺を装って殺されたのだが、これもこの男のやってきた因果が報いた、因果応報と言ってもいいだろう。だから、敢えてこの男が自殺であろうが、殺されたのであろうが、そのことについて言及しようとは思わない。
それよりも、この男の死によって、本人の遺書ばかりではなく、多目的トイレで死んだ男の遺書も見つかったのだが、これが不思議なことに、恐ろしいほど酷似していた。
このニセ医者が、多目的トイレで自殺した男の遺書を見たという形跡はなかった。明らかに封はされたままで、誰かが開けたなどという形跡は皆無だった、何よりも、その遺書をニセ医者が診てどうなるというのだ。この遺書だって、何を後生大事に持っていたのか分かったものではない。いずれ自分も自殺する運命で、遺書を一緒に置いておくというシナリオが頭の中にあったのならともかく、他人の遺書を持っていたこと自体、実におかしなことであった。
この男も、
「自殺する人間が、何をわざわざ遺書なんて書くんだ?」
と思っていた一人だった。
何しろ彼は稀代の悪党である。悪党は死に際は潔いものではないだろうか。それなのに、未練がましく遺書を残すなどとは思いたくない。それなのに遺書を残したということは、そこに何かの石が働いていたと言ってもいい。
無意識の中での遺書であろうか?
この男が死を考えてから、実際に自殺するまでには、ほとんど時間的な余裕はなかったはずだ。それなのに遺書が残っていたことがおかしい。まるで最初からいつも遺書をしたためていたかのようなものではないだろうか。
遺書の内容は公開されることはない。男が自殺だということが分かっても、この男には身内らしい身内はおらず、しいて言えばこの男にいいように扱われていたこの女だけだと言ってもいい。
この女も実はこの男のことをほとんど知らなかった。男は自分のことを何も語らないし、名前は教えてくれても、本当にその名前なのかも疑わしかった。
会社に出かけているようだが、どこに行っていたのか、女が貢いでくれるのだから、会社になど行く必要などない。
そもそもお金が入ってくるのに、それでも仕事をしようと思う人間に、こんなタイプの悪党はいない。同じ悪党でも、お金に対する執着心が激しいということであれば、仕事に行く意義もあろうが、そうではないのであれば、こんな悪どいことはできないだろう。
「最近は、自殺も多くて困っているよな」
という話を警察では結構しているようだった。
殺人事件であれば、それなりに真剣に捜査もするのだが、人が死んだとしてもそれが自殺だということになると、検挙などありえないことだ、被疑者と被害者が同じ人間であり、まさか被疑者死亡で書類送検するのもおかしい。こういう場合が誰が悪いというのか、まずは死んだ人間が書いた遺書が問題になるだろう。
そこには恨みつらみが書かれてるというもので、自分を死に追いやった人物のことも書かれているかも知れない。
ただ、自分で死んでしまったのだから、その人に罪を着せるわけにはいかない。そういう意味では自殺というのは、
「死に損」
でもあった。
それが分かっていて、どうして遺書などを残すのだ。自分が死ぬことで自分を死に追いやった人間が、この何倍も苦しんで死を迎えるというシナリオを書いたのではないか。それとも死を選ばなければいけないほどに、すでに精神的にも疲れがピークに達しているのか。
もしそうであれば、遺書を残す意味などないような気がする。遺書は残しても、この世に残された人間が憤りを感じるだけだ。
「遺書というのは、誰かに宛てたものではなく、この世の不条理であったり、誰も気づかないことに気付いてしまった自分を知ってもらいたい」
とでも感じさせるためのものではないかと思うようになった。
坂崎の先般からの考えで、
「自殺をする人がどうして遺書を残さなければいけないのか?」
という漠然とした疑問に一石を投じるようなイメージを頭に描いていると、次第にこの物語の骨子が浮かんできて、多目的トイレの殺人、いや、男の自殺が、一人の女を別の男に蹂躙されるという二転三転させる話を作り上げようとは誰が考えたことであろう。
坂崎は、いよいよ話が頭の中で盛り上がってきたことで、話を書いていくことにした。
戦術のような話をプロットに纏めた。登場人物としては、主人公は何と言っても多目的トイレでの恥辱プレイから、自分の人生を狂わせたあのオンナというになる。最初は道場の余地のないような書き方をしながら、いよいよ人生が変革していく中で、読んでいる人の同情を引くような書き方になるだろうと思っている、
普段と恥辱プレイの間で苦悩するこの女は、自分の知らないところで、悪魔を作ってしまったのか、それとも悪魔を呼び寄せてしまったのか、人制の破滅を思い知ることになるのだった。
トイレで殺された、いや自殺した男の自殺の原因に関して、ハッキリとは思い浮かばない。自殺をするような素振りもなかったのに、なぜ遺書があったのかというのも疑問であるが、もう一人の主人公ともいえる、大悪党の男に主人公が見つけることのできなかった遺書を、やすやすと見つかってしまう。