続編執筆の意義
という意識があるから、ギャップに悩むことがなくなったのかも知れないと思うと、微妙な気分にさせられるのだった。
ただ、年齢的にはもう三十歳を超えていた。そろそろ何かにけじめをつけなければいけない年齢なのかも知れないと思ったが、何にけじめをつければいいのか分からない。一つを崩してしまうと、すべてが崩れてしまうのを分かっているので、余計なことをするわけにはいかない。一角を崩そうとすると、すべてが瓦解してしまうことは、誰が見ても明らかなことなのだ。
とにかく今できることをするしかない。そのうちに何か思いつくのを待つしかないという楽天的で客観的な自分を作り出し、言い聞かせるしかない毎日は。実に苦しいものだった。
「何が間違っていたんだろう?」
言い聞かせてもそれに答えられるだけの力を持っているわけではなかった。
そんな坂崎という作家であったが、実は彼には奥さんがいた。名前は典子という。自分が売れていないことは自覚していて、
「結婚などできるはずなどない」
と思っていたはずなのに、今から三年前に結婚したのだった。
その奥さんとは、大学時代からの友達だった。大学の三年生になった時、彼が所属する文芸サークルに入会した。その頃はまだ、
「書いては応募」
を繰り返していた坂崎は、サークルでは部長のようなことをやっていた。
部員自体は十名ほどしか実際の活動はしていなかったが、名前だけはさらに同じ人数くらい所属していることになっている。
このサークルはサークルの実態に参加して、サークルの運営から企画、さらに機関誌発行などという実務的なことに携わりながら、自分でも創作活動を続けるという。ドップリサークルに浸かった人と、サークルの活動には一切参加せず、機関紙などに掲載を行うために部員としての名前を連ねているだけの部員がいる。
普通のサークルであれば、前者が本当に実際の部員で、後者は幽霊部員ということになるのだろうが、部費としてサークル活動に必要なお金を供出してくれるという条件でよければ、幽霊部員もありがたく受け入れていた。
最初は坂崎も前者だったが、三年生の途中で、新人賞入賞などということになり、出版社と専属契約を結んだことで、部の運営はできなくなってしまった。とりあえず籍だけ置いておくことになったのだ。
彼女はそんな坂崎を尊敬していた。入部した時から、彼の熱心さに一目置いていたこともあって、自分で勝手に彼の弟子のような気持ちになっていた。
いつもそばにいるような存在だったが、典子の気の遣い方がうまいからなのか、それを意識させないところがあった。気が付けば甘えているような関係なのに、恋愛感情が浮かんでこない。そういう女性だったのだ。
典子は、中学時代の思春期の頃から、男の人を好きになることが多かった。それもいつも年上で、最初は一年生の時に三年生の先輩。三年生というと受験の時期なので、
「邪魔してはいけない」
という意識から、好きで好きでたまらない気分になっているのに、近づけない自分に苛立ちを感じながらも、それと同時に、自分にいじらしさも感じていた。そのいじらしさがあることで、相手に自分の気持ちを押し付けることもなく、相手もその気持ちに気付かないという相手にとっては都合のいい関係になっていた。
典子自身も、それでいいと思っていたようで、その後に好きになったのが担任の先生だったが、先生ともなると、さらに経験上、少しでも自分の気持ちを言えば、相手に与える迷惑はハンパではなく、自分も身の破滅になってしまうとまで思っていたので、密かに見守るだけになってしまった。
そのおかげで先生も心地いい気分にさせてもらっていたが、それが典子から与えられるものだということが分からないくらい、典子の態度がさりげなく、そして嫌味のないものだったのだ。
そんな性格が完全に思春期の間で身についてしまい、大学に入学するまで、ずっと大人しくしていたが、心の中で切ない気持ちになったことは結構あったようだった。
もちろん、典子がそういう性格だということを誰も知らなかった。
「都合よく付き合える相手」
という認識もまわりの人にはなかった。
「一緒にいて居心地がいい」
ということで、まるでハンモックに乗っているような心地よさに違いないが、都合のいいという意識がない分、逆に典子のことを彼女にしたいという気持ちを相手に起こさせることはなかったのだ。
そのこともあってか、典子には今までお付き合いした男性がいなかった。好きになった相手であっても、
「憧れの人」
というところで自分の気持ちを抑えてしまい、それ以上突っ込んだ気持ちになることはなかった。
そんな典子が大学に入学してきて、最初に気になったのが、坂崎だったのだ。
大学というところは高校までとは違い、典子にまったく違った世界を見せてくれた。遠慮と言う気持ちはどうしても頭から離れないまま、解放的な気分になって入学した大学は、話に聞いていたよりも、相当解放的だ。それまでの自分とまったく違った生活ができるような気がして、ワクワクしていた。
「どんな毎日が待っているんだろう?」
大学というところにオアシスを感じたのだ。
典子自身は、小説を書くというわけではなかった。元々は絵画が好きで、絵を描くサークルに入ろうかと思っていたようだが、美術系のサークルはなく、文芸の中で、挿絵などを描いてくれれば嬉しいという坂崎の意見があって、彼女も、
「それならば」
ということで入部した。
作画だけではなく、彼女はポエムなどもよく書いていると言ったので、高校時代に書き貯めたというポエムノートを持ってきてもらった。それを見たサークルの面々は、
「なかなかいいじゃないか。これなら挿絵も期待できちゃうな」
と言っていたが、その意見には坂崎も同感だった。
実際に彼女の出来上がった挿絵は独特なものだった。可愛らしいというわけではなく、作品をしっかり読み込んだ中で、彼女の想像力がいかんなく発揮されているというべきであろうか。つまりは、典子の今までの性格がよく洗われているともいえよう。
人に気を遣っている感覚と同じで、想像するということに対して彼女は自分の中の遠慮をいかんなく発揮したのだ。
「想像というのは、こういうもの」
という概念を訴えるかのように、描いている。
もし、それが押し付けがましかったら、きっと絵のインパクトの深さkらあざとさが見え隠れしてしまうのだろうが、元々の遠慮深さがまわりにそんなあざとさを感じさせない。そのくせ訴えようとする気持ちが表に出てくることで、まわりに何かを感じさせる力を持つのだ。
それが彼女のまわりにいる人の感じる都合のよさが絡み合って、想像力をたくましくさせる絵に、誰もが共感させられていたに違いない。
彼女はたちまち、
「サークルのマスコット」
のような存在になった。
いてくれるだけでいいのだが、逆になくてはならない存在でもある。そんな彼女に誰が都合のいいなどという発想を抱くだろう。中学高校時代とは違って開放的な環境に、典子自身も心地よい感情を抱いていたのだった。