続編執筆の意義
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。
売れない作家
世の中というのは、うまく行っていない時はとことんうまく行かないものだが、うまく行くようになると、不思議とそれまでのことがまるでなかったことのように思えてくるから不思議である。
それまでの自分とはまったく違う人物になったような気がするのは、実に爽快なものである。
だが、逆に落ち込んでしまう時もまたしかりであり、まったく違った人間になってしまった気分になるのではなく、まったく違った人間になってしまいたいという逃げの心が働くからに違いない。
坂崎重利、今年三十歳になった彼は、高校生の頃から小説を書くのが好きで、ずっと書いてきた、大学でも文学部に進んだのだが、三年生の時に応募した新人賞に入選したことで、デビューすることになった。
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」
とばかりに、徹底的に描きまくって、いろいろと投稿を重ねてきた。
同じ作品を別の新人賞に応募することはできないが、一人の作家が別の作品を同じ新人賞に応募することは、よほど応募条件が厳しいところでない限りは問題ない。
つまり、書きまくれば、応募作品がたくさんできるというものであり、理屈的には自分が選ばれる可能性は高まるというものだった。
本人は駄作だと思いながらも、
「優秀作品の判定ができるような人って、本当に存在するのだろうか?」
と思っていると、
「いくら、自分で何度も吟味して優秀だと思ったとしても、選考委員の意にそぐわなければ駄作に見られるだけだ。だからといって、選考委員の好みの作品を調べて、それに似合う作品を仕上げたとしても、その人たちは最終選考でしか目を通さないのだから、そこまでに落選すれば、本末転倒だ。いくら研究しても、無駄でしかないのだ」
と、言えるのではないだろうか。
そういう意味で、いいのか悪いのか分からないまま、
「とりあえず、納得した作品」
というものを作って応募しまくったのだ。
すると、運がよかったのか、実力なのか分からないが、うまく引っかかって、新人賞には選ばれなかったが、準優秀作ということで、佳作扱いとなり、一応の賞金と受賞作を掲載してもらえることになった。
出版社から、
「専属ということで、契約しないか?」
と言われて、いくつかの作品をその後、掲載させてもらえたが、それも三作品くらいまでで、それ以降は、たまに原稿に穴が開きそうな時、声がかかる程度の、
「売れない小説家」
になっていた。
とりあえず大学だけは卒業できたが、何とか作家として名前だけは残っていて、やはり姿勢は、
「質よりの量」
という意識が強い。
出版社の編集者がそのことを分かっているのかどうかまでは分からないが。何度小説のネタを書いて送っても、ボツになる状況が繰り返されている。
「坂崎先生の作品には、一本筋が通っていないんですよ。これぞ坂崎という代表作になるような作品ができればいいですがね」
と、何か一本、筋が足りないということを理由に、毎回小説のネタが却下されていく。
坂崎が応募した頃、ジャンルに共通性はなかった。SFやホラー系のファンタジーモノや、恋愛系のようなベタなものまで書きなぐっていたと言ってもいい。しかし、広範囲のジャンルが書けるというのも強みだと思っていたが、編集部から言わせると、
「それは器用貧乏と言ってもいいもので、せっかくの長所を短所が押し殺してしまっているに過ぎない。短所は長所のすぐそばにあるものだから、気付かないのも当然なのかも知れないが、自覚しておかなければいけない部分だ」
というではないか、
「長所と短所をですか?」
「そうだよ。どちらかではダメなんだ、プロとアマの違いは、両方を自分で把握できているかどうかというところなんだ」
と言われた。
とにかく、坂崎重利は中途半端な男だった。小説家としても、プロというのは、あまりにも売れていない。今までに出した本も、最初の二作目までで、後は原稿の依頼もない。かと言って、他の出版社へ話を持っていくわけにもいかない。専属契約を結んでしまったからだ、これを解除すると、もうこの出版社からは二度と契約をしてもらえなくなるし、他の出版社に原稿を持って行ったからと言って、出版してくれるとは限らない。しょせん、一発屋という程度の作家でしかなく、知名度も作品の評価もないに等しかった。
もし、万が一作品を扱ってくれたとしても、専属契約のようなことはなく、その作品だけであとは素人と同じ扱いでしかない。しかもせっかくの専属契約を作家の方から一方的に破棄したとなると、出版社側からしても、
「出版社を裏切った男」
というレッテルを貼り、それこそ、二度と作品を掲載してくれなくなってしまう。 そうなると、作家としては致命的だ。
今のままでは、出版社による、
「飼い殺し」
ということになるのかも知れないが、他に移ったり、自分から営業をすることなど適わない。
それだけ、彼が中途半端であるという証拠であろう。現状に甘んじながら、とりあえず上を向いていくしか彼には手はないのである。
そんな坂崎も、小説を諦めようと思った時期もあった。しかし。いまさら諦めて、では何をするのかと言われると何もできない。
学校で他の勉強をしたわけでもない。いまさらどこかの会社で仕事をしようにも、そのノウハウも力も何もないのだ。彼が、
「中途半端」
だと言ったのは、そういうことである。
そんな彼は、コンビニのアルバイトをしながら、その日暮らしのような感じの毎日だったが、小説を書くことは辞めなかった。
確かに、小説家としては、辛酸を舐めてきたので、屈辱感を嫌というほど味わっていて、これほど気色の悪いと思える気持ちもなかったが、そんな中で、ある日ある時急に、
――俺は小説を書いてきてよかったんだ――
と感じることがある。
他の人にはできない本を出すこともできた。出版社の人から、一応「先生」とも言われている。
「一発屋」
と自分でも豪語しているが、まわりからもそう思われている。
しかし、彼が思うのは、
「一発屋で何が悪い。一発も当てることができなかったやつがごまんといるいるのに、俺はその一発を当てたんだぞ」
ということであった。
そう思うことができるからなのか、急に自分が小説家であるということを思い出すのだ。あまり長く思い出していると、今度は情けなさが自己満足を支配してしまい、屈辱感に包まれてしまう。このギャップは耐えられるものではない。いつの間にか、そのギャップを感じなくてもいいようなテクニックを身に着けたのか、坂崎は自分をコントロールできるようになっていたのだ。
「俺は中途半端なのだ」
売れない作家
世の中というのは、うまく行っていない時はとことんうまく行かないものだが、うまく行くようになると、不思議とそれまでのことがまるでなかったことのように思えてくるから不思議である。
それまでの自分とはまったく違う人物になったような気がするのは、実に爽快なものである。
だが、逆に落ち込んでしまう時もまたしかりであり、まったく違った人間になってしまった気分になるのではなく、まったく違った人間になってしまいたいという逃げの心が働くからに違いない。
坂崎重利、今年三十歳になった彼は、高校生の頃から小説を書くのが好きで、ずっと書いてきた、大学でも文学部に進んだのだが、三年生の時に応募した新人賞に入選したことで、デビューすることになった。
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」
とばかりに、徹底的に描きまくって、いろいろと投稿を重ねてきた。
同じ作品を別の新人賞に応募することはできないが、一人の作家が別の作品を同じ新人賞に応募することは、よほど応募条件が厳しいところでない限りは問題ない。
つまり、書きまくれば、応募作品がたくさんできるというものであり、理屈的には自分が選ばれる可能性は高まるというものだった。
本人は駄作だと思いながらも、
「優秀作品の判定ができるような人って、本当に存在するのだろうか?」
と思っていると、
「いくら、自分で何度も吟味して優秀だと思ったとしても、選考委員の意にそぐわなければ駄作に見られるだけだ。だからといって、選考委員の好みの作品を調べて、それに似合う作品を仕上げたとしても、その人たちは最終選考でしか目を通さないのだから、そこまでに落選すれば、本末転倒だ。いくら研究しても、無駄でしかないのだ」
と、言えるのではないだろうか。
そういう意味で、いいのか悪いのか分からないまま、
「とりあえず、納得した作品」
というものを作って応募しまくったのだ。
すると、運がよかったのか、実力なのか分からないが、うまく引っかかって、新人賞には選ばれなかったが、準優秀作ということで、佳作扱いとなり、一応の賞金と受賞作を掲載してもらえることになった。
出版社から、
「専属ということで、契約しないか?」
と言われて、いくつかの作品をその後、掲載させてもらえたが、それも三作品くらいまでで、それ以降は、たまに原稿に穴が開きそうな時、声がかかる程度の、
「売れない小説家」
になっていた。
とりあえず大学だけは卒業できたが、何とか作家として名前だけは残っていて、やはり姿勢は、
「質よりの量」
という意識が強い。
出版社の編集者がそのことを分かっているのかどうかまでは分からないが。何度小説のネタを書いて送っても、ボツになる状況が繰り返されている。
「坂崎先生の作品には、一本筋が通っていないんですよ。これぞ坂崎という代表作になるような作品ができればいいですがね」
と、何か一本、筋が足りないということを理由に、毎回小説のネタが却下されていく。
坂崎が応募した頃、ジャンルに共通性はなかった。SFやホラー系のファンタジーモノや、恋愛系のようなベタなものまで書きなぐっていたと言ってもいい。しかし、広範囲のジャンルが書けるというのも強みだと思っていたが、編集部から言わせると、
「それは器用貧乏と言ってもいいもので、せっかくの長所を短所が押し殺してしまっているに過ぎない。短所は長所のすぐそばにあるものだから、気付かないのも当然なのかも知れないが、自覚しておかなければいけない部分だ」
というではないか、
「長所と短所をですか?」
「そうだよ。どちらかではダメなんだ、プロとアマの違いは、両方を自分で把握できているかどうかというところなんだ」
と言われた。
とにかく、坂崎重利は中途半端な男だった。小説家としても、プロというのは、あまりにも売れていない。今までに出した本も、最初の二作目までで、後は原稿の依頼もない。かと言って、他の出版社へ話を持っていくわけにもいかない。専属契約を結んでしまったからだ、これを解除すると、もうこの出版社からは二度と契約をしてもらえなくなるし、他の出版社に原稿を持って行ったからと言って、出版してくれるとは限らない。しょせん、一発屋という程度の作家でしかなく、知名度も作品の評価もないに等しかった。
もし、万が一作品を扱ってくれたとしても、専属契約のようなことはなく、その作品だけであとは素人と同じ扱いでしかない。しかもせっかくの専属契約を作家の方から一方的に破棄したとなると、出版社側からしても、
「出版社を裏切った男」
というレッテルを貼り、それこそ、二度と作品を掲載してくれなくなってしまう。 そうなると、作家としては致命的だ。
今のままでは、出版社による、
「飼い殺し」
ということになるのかも知れないが、他に移ったり、自分から営業をすることなど適わない。
それだけ、彼が中途半端であるという証拠であろう。現状に甘んじながら、とりあえず上を向いていくしか彼には手はないのである。
そんな坂崎も、小説を諦めようと思った時期もあった。しかし。いまさら諦めて、では何をするのかと言われると何もできない。
学校で他の勉強をしたわけでもない。いまさらどこかの会社で仕事をしようにも、そのノウハウも力も何もないのだ。彼が、
「中途半端」
だと言ったのは、そういうことである。
そんな彼は、コンビニのアルバイトをしながら、その日暮らしのような感じの毎日だったが、小説を書くことは辞めなかった。
確かに、小説家としては、辛酸を舐めてきたので、屈辱感を嫌というほど味わっていて、これほど気色の悪いと思える気持ちもなかったが、そんな中で、ある日ある時急に、
――俺は小説を書いてきてよかったんだ――
と感じることがある。
他の人にはできない本を出すこともできた。出版社の人から、一応「先生」とも言われている。
「一発屋」
と自分でも豪語しているが、まわりからもそう思われている。
しかし、彼が思うのは、
「一発屋で何が悪い。一発も当てることができなかったやつがごまんといるいるのに、俺はその一発を当てたんだぞ」
ということであった。
そう思うことができるからなのか、急に自分が小説家であるということを思い出すのだ。あまり長く思い出していると、今度は情けなさが自己満足を支配してしまい、屈辱感に包まれてしまう。このギャップは耐えられるものではない。いつの間にか、そのギャップを感じなくてもいいようなテクニックを身に着けたのか、坂崎は自分をコントロールできるようになっていたのだ。
「俺は中途半端なのだ」