続編執筆の意義
それにしても、この話はかなりの強烈なインパクトを坂崎に与えた。
このインパクトは、以前に他の人の小説に出てきた、
「自殺菌」
のインパクトに似ていた。
この話を見た時、それまで凌辱であったり、猟奇的なものは、あまり好きではなかった。露骨な気持ち悪さが残るからだった。
しかし、それは、
――自分には描けない――
という世界であるということを自覚していたからではないかと感じた。
自分に書けないものは、正直脱帽に値するものであり、それがどんなに嫌いな、気持ち悪いものであっても、一定の敬意を表しなければいけないものだということを表しているのだった。
「世の中には、実際に猟奇的な趣味であったり、SMやスカトロ、露出や、暴行痴漢などのあらゆる性犯罪で溢れていて、映像作品としても、数えきれないほどの作品は世に溢れています。だけど、これは今に始まったことではなく、昔からあることでしたよね。SMなどは、中世の高級階級の人たちの間の趣味として使われていたり、人間と猛獣が戦う姿などは、古代文明にも見られたものです。ローマ皇帝ネロなどは、自分の絵を描きたいがために、それだけの理由で、ローマの街に火を放ったというではないですか? 今では常識的にありえないことでも、平然と行われていた時代があった。何しろ奴隷を扱っていた時代ですからね。今の倫理感など通用しません。それを理解して考えてみると、人間というのは、残虐性であったり、先ほど言った数々の変態プレイや性犯罪など、頭で考えることはできると思います。ただ、それが実際の行動として出ないように、感覚のマヒにだけは気を付けなければいけないと思っています」
マスターはそう言って、心なしか震えているような気がした。
――子供の頃の自分を思い出したのではないだろうか? それにしても、確かに昆虫採集などで虫が串刺しになっているのを見てもなんとも思わなかった。それを指摘され、それ自体が残虐性なのかと思ったが、マスターの言い分は違っている。自分がそのことに気付いてしまったことで、自分の中にある残虐性が目を覚ましたというのだ。普通ならこんな考え方はしない。するとすれば、感覚がマヒしてしまったことが危ないと思うだけである――
と、坂崎は感じていた。
そういえば、坂崎は小説を書き始めた時、
――俺は、ミステリー―やホラーのような話は書けない――
と思っていた。
なぜなら、小説を書くとすれば、フィクションであっても、ある程度経験のあることでなければダメだという思いと、実際に怖いと思っていることを想像して書くことなんかできるはずはないと思ったからだった。
坂崎は、自分で小説のアイデアを考えながら、
「羞恥と恥辱」
を思い浮かべていたが。そこに、今度は、
「残虐」
というキーワードが入ってくることで、話が何となく組み立てられるような気がした。
だが、そうはいっても、それほど恐ろしい話になるとは思えない。あくまでも自分が書ける話には限度があり、やはり経験したことではないと、それ以上の発展はないと思っている。
「何をもって恐怖というか」
それが課題な気がした。
多目的トイレ
多目的トイレというのは、本当に便利なものだ。密室になっているし、トイレという特別な空間であるため、他には誰も入ってこない。施錠してしまうと、そこで何をしようとも、まわりに感知されることはない。まるでそこがその瞬間、利用者の部屋に変わってしまう。
授乳もできれば、洗髪もできる。ホームレスなどが、そこを居住にもできるくらいだ。さすがにそこまでの人はいないだろうが、最近では公園のトイレにも綺麗な多目的トイレが設置されているので、誰でも利用できて非常に便利だ。
坂崎が想像、いや妄想したようなことも、当然のごとく行われていることだろう。それは夜と言わず昼間でも、性行為をするにはあまり綺麗とは言えないが、お互いに高まってしまって抑えようのない欲情をぶつけ合うにはちょうどいい。むしろ興奮を誘うにはこれくらいの場所が好都合ではないだろうか。声さえ抑えれば、誰に知られることもないだろう……。
その日の夜は、満月だった。一人の男が公園のベンチに座っている。スーツを着てはいるが、だらしなく乱れていて、ベンチからは足を投げ出すような節操のない恰好で、今にも居眠りをしてしまいそうなその様子は、かなり泥酔しているのではないだろうか。
ちょうど気が付いた時だったので、本当にそこで居眠りをしていたのかも知れない。キョロキョロしているところを見ると、その場所がどこなのかすら、把握していないのだろう。
泥酔状態で何とかここまでたどり着き、ベンチに座ると安心したのか、そのまま眠ってしまったのだろう。気が付けばベンチに座っていて、意識できるほどに酔いも覚めたところで、今の自分の状況が分かっていないといったところではないだろうか。
ネクタイもだらしなく首に大きな輪を作って、まるで首飾りのようだ。意識が少しずつだが戻ってくるにしたがって、頭痛がしてくる。吐き気もしていたが、喉の渇きが一番に感じられた。
「水、水がほしい」
と思いまわりを見渡すと、自動販売機までは結構な距離がある。そこまで立って歩いていくだけの気力はなかった。
だが気が付くと、幸いなことに手元にペットボトルの水があった。
「よかった」
と思ったが、きっと、無意識のうちに水を買って、用意しておいたのだろう。半分以上は残っているので、今だけののどを潤すには十分だった。
蓋を開き、残っている水の半分を飲み干すと、また蓋を閉めた。完全に冷え切った水ではなかったが、頭痛の残った頭には、これくらいの生ぬるさがちょうどいい。
「さあ、どうしよう」
と男は、まだ頭痛のする頭で考えた。
さすがにこのまま立ち上がるのはきつい。時計を見てみると、午後九時を少し回ったくらいだ、思っていたよりも、それほど時間が経っているわけではない。頭を冷やしながら、今日のことを思い出していた。
自分の会社は駅までは歩いて十五分ほど、定時に終わり、そのまま帰ろうとすると、同僚の男に声を掛けられた。彼とは三年前に同期で入社した社員で、定時近くになると、よくこうやって唐突に声を掛けてくることがあったので、さほど驚きはしなかった。
彼とはよく呑みにいく仲間でもあったが、二人だけの時には、風俗に連れていってもらうことも多かった。
「まだこれくらいの時間なら、空いている可能性はあるからん」
と言っていた。
なるほど駅裏近くには、風俗街の一隊があった。あの付近には、大学時代から通い詰めた店もあり、馴染みの女の子も何人かいた。さすがに大学時代に通い詰めていた頃の女の子で残っている子もだいぶ少なくなったが、新しい馴染みの子もできて、すっかりベテランの気がしていたのだ。
その日は、確かに仕事をしている時も、何となくムズムズした気持ちがあった。もし誘われることがなくても、一人でもいっていたことだろう。いや、そもそも風俗なるとろこは一人で行くところだと思っているので、誘われるまでもないのだ。