続編執筆の意義
「ところで、マスターは思い出せるんですか? 恥辱というものがどういう記憶だったのかということを」
「ええ、思い出せますよ。羞恥というのは、心そのものなんですよ。だから意識と言ってもいい。でも、恥辱というのは。傷つけられた李したものであり、古いものは、それがそのまま記憶となって頭の中に残っている。もちろん、身体が覚えている場合もありますけどね。でもその場合意識に残ろうとするので、記憶としての羞恥はその気持ちをなるべく表に出したくないと思っていますから、意識の中から消そうとするんです。だからひょっとすると、かなり古い過去のことだと思っても、実際には細菌のことなのかも知れませんね」
と、マスターは言った。
さらにマスターは続けた。
「あれはたぶん小学生の頃だったと思います。恥辱というものを私が味合わせたわけでも相手が味わったわけでもないんです。羞恥を彼女は自分から望んだとでもいうんでしょうか。見たくもない汚らしいと思っているものを、自分から見せびらかすんです。一種の露出狂と言うやつでしょうか。今でも私はその時のことを思い出すと、嘔吐に見舞われることもあります。でも、ある感覚のツボに嵌ると、羞恥が今では恋焦がれるようなものの感じがして、自分が変質者ではないかと思えてならないんですよ」
と、マスターは言った。
どうやら、変態化おアブノーマルの世界のようだ。マスターは返事もできずにただ戸惑っている坂崎を目の前にして、何事もないかのように最初は淡々と話した。
「小学生の頃って、まだ思春期にもなっていない。いわゆる幼年時代と言ってもいい頃ですよね。その時の私は今の私からは想像もできないでしょうが、ある意味残虐なところがあったんです。昆虫採集ってあるでしょう? 夏休みの自由研究かなんかで。綺麗な蝶々だったり、夏草に集まる虫だったり、せわしなく鳴き喚くセミだったりとかね。それを取ってきて、身体の満七に針を通して串刺しにするじゃないですか。それを学校に持って行って、教室に飾るんですよ。それは誰もがやっていることですよね? 坂崎さんはそれを平然とやっていましたか?」
と聞かれて、少しビックリした。
マスターの話には理路整然としていないところがあり、たまに整理せずにいきなり話から始まるので、彼の意図を見抜くのに苦労する時がある。これが今だった。
「そうですね。僕はあまり何も考えてなかったですね」
というと、
「そうなんですよ。何も考えていなかったんですよ。でも考えてもみてください。何も悪いことをしているわけではない虫たちを捕まえてきて、標本と称して串刺しにするんですよ。これってすごく残酷ですよね? そういえば子供の頃の特撮もので、人間を標本にして、同じような人間標本を魔人たちの子供が学校に持っていくという話を見たことがあったんですが、私はそれを見て愕然としました。自分たちは同じことをやっているんだってね」
マスターの声は少しずつ興奮してくるようだった。
「でもね、何が怖いのかというと、そこじゃないんですよ。どうして自分たちに置き換えてみなかったり、それよりも昆虫の標本に関しては、そんなに気持ち悪いと思わないのか。ペットや家畜などの動物、イヌやネコなどが車に轢かれたりするのを見ると、気持ち悪いと思いますよね。でも、昆虫ではそうは思わない。何が違うと思います?」
と言われて、坂崎は何も言えなかった。
「昆虫だとそれほど残虐だとは思わないけど、動物だと無残だとか、悲惨だとか思うんですよ。分かりますか?」
「血が流れるかどうかということでしょうか?」
と坂崎が答えると。
「そうなんですよ。そういうことなんです。真っ赤な血が流れるから、動物は自分たちと同じ仲間だと思える。だから死んでしまうと、かわいそうだという気持ちにもなりますが、虫や昆虫にはそんなことは思わない。血は流れないけど、押しつぶすと身体から何かが出てくるだけで、それは血とは色も違えばイメージも違う。だから、自分たちの仲間だとは思わない。そう思うと、人間は可哀そうだとは思わないんですよ。私はそれを意識するようになってから、急に虫や昆虫は、他の人が考えるよりも、本当に虫けらなんだって思うようになった。虫けらであれば、何をしてもいいんだという気持ち。それがそのうちに自分の感覚をマヒさせて、動物に対しても残虐性を持つようになり、次第に同じ人間に対しても、感覚がどんどんマヒしていきました。そんな時に一人の女の子と知り合ったんですが、彼女もどこか感覚がマヒしている女の子で、まわりの人に見てもらいたいという意識が強かったのかな? 羞恥心というものがなく、恥辱を楽しみのように思っているような女の子でした。私も最初は気持ち悪いと思ったんですが、その頃から人間に対しても感覚がマヒしてきていたので、相手は恥辱を好み、羞恥心が欠けていると分かると、どうも自分と同類ではないかと思うようになったんです。そのせいもあってか、彼女に対して非常な興奮を覚えるようになりました。彼女が見せたいのであれば、どんどん見てやる。そのうちに彼女は身体が反応し始めます。今までに感じたことのない快感が私の身体を駆け抜けます。一気に原始時代から明治維新まで駆け抜けたような気分ですよ。きっと、それまでも感覚がマヒしていたわけではなく、ある一点を超えると身体が絶えられなくなるほどの快感が得られることを分かっていて、そこに近づいている自分に気付いていたんでしょうね」
とまくし立てるように言った。
「なるほど、マスターの言いたいことは分かった気がします。そういえば僕も子供の頃、相手も僕もビックリしたんですが、出会いがしらにトイレに入っている女の子が扉を閉めるのを忘れて、それを僕がノックもせずに開けたことがあったんですよ。僕もまだ三年生くらいじゃなかったかな? その子はまだ幼女と言ってもいいくらいで、いきなりのことに身体を隠すということもなく、すべてを見てしまったんですが、僕は正直今でもその時の光景が忘れられません。その子のことが嫌いでも好きでもなかったんですが、しばらくの間、彼女から離れられなくなりました。彼女も同じだったようで、二人でぎこちない時間を過ごしたという記憶があります」
というと、
「羞恥と恥辱は、切っても切り離せない関係にあるんですよ。自分が羞恥であれば、相手は恥辱、逆もありですが、一人の身体の中に、羞恥も恥辱も同居しています。でも羞恥というのは表に出すものではないと本能が言っているので、恥辱も同じように封印することになるんです。でも、それを皆が当たり前だと思っているから、この世の倫理は守られているのではないかと思います。私のさっきの話は。羞恥というものや、残虐性のようなものを、自らに当て嵌めて考え始めると無意識ではいられなくなります。その時に何かに目覚める。それが、さっき坂崎さんが聞きたかったことではないかということへの私の答えになります」
と、マスターは話してくれた。
「なるほど、奥が深い話のような気がします。僕には難しすぎる気がしますが、分からない話ではないです。僕の小説に何かヒントになれば、ありがたいと思って、少し考えさせてもらいますよ」
と言った、