続編執筆の意義
「確かに僕には恥ずかしいという気持ちが強いからか、どうしても綺麗にまとめてしまおうという気持ちがありますね。それはやっぱり根底に羞恥心があるからなんでしょうかね?」
というと、
「そうですね、羞恥心というのは、恥ずかしいという思いを感じているからだとは思うんですが、それが実際の恥辱となるとまた違ってくる。恥辱というのは、辱めを受けたり、名誉や対面を実際に傷つけられることです。だから、恥辱がなければ、本当の意味での羞恥心というのは生れないのではないでしょうか?」
とマスターは言った。
「僕の小説は、経験からのものではなく、どちらかというと妄想に違いと思っているんですよ。想像力がないから、うまい具合に描けないんでしょうかね」
というと、
「そうじゃないですよ。妄想というのは、恥辱と同じで、実際に恥ずかしいということを感じたり、傷つけられた痛みが分かっていないと妄想もできません。夢に見たことであってもいいと思うんですよ。そもそも夢というのは潜在意識が見せるものですからね。潜在意識というのは、一種の無意識のことなので、意識的ではなく、実際に感じたことでなければ夢を見ることもできないはずです。その時は逆に夢を見たということは、実経験をしたことがあるのと同じだとお考えになれば、羞恥の意味も分かってくるんじゃないですか? せっかく小説を書けるだけの総総力をお持ちなのだから、経験からの妄想を生み出すことはできるはずだと思うんです。だから、私は重ちゃんを応援したいんですよ。坂崎先生と呼びたいんですよ」
と言ってくれた。
「本当に嬉しいですよ。自分にファンなどいないと思っていたので、ファンの言葉をして受け取っていいですか?」
と聞くと、
「もちろんです。私はずっと重ちゃんのファンでしたし、これからもずっとファンでい続けますよ」
少し手厳しい意見もあるが、その分マスターは真の読者としての、そしてファンとしての何百人の言葉よりも重たい気がした。
数百冊の本が売れるのも嬉しいが、一冊だけでもいい、マスターのような人に買ってもらえるだけでも、感無量な気持ちだった。
そんなマスターの店で、一人カウンターに佇みながら、小説をネタを考えている一時は、至福の時間を楽しんでいるような気がしていた。
基本的にはマスターから話しかけてくることはなかった。今までに話しかけてくれたのは、マスターが自分の本を買いたいと言ってくれた時と、本を読んだ感想を言ってくれた時くらいであろうが、それ以外にはちょっと記憶がなかった。
「今日はどうして話しかけてくれたんですか?」
と聞いてみると、
「なんだかね、話しかけてあげないといけないような気がしたんですよ。いつになく真剣な表情は、今までの重ちゃんと違って、いつもの方っておいてほしいという感じではなく、話しかけてほしいというようなオーラが感じられたんだ」
というではないか。
「僕にオーラなんかあるのかな?」
と聞いてみると、
「なかなか表に出にくいようだけど、あるのはありますよ。基本的にオーラがない人間なんていないとは思うんだけど、人によっては、出かかっているけど、まわりがそのオーラを引き出すことに抵抗を感じているような人だっているんだ。余計なことをしてはいけないと感じさせるようなね」
「じゃあ、僕にはいつもは、その余計なことを感じさせていたのかな?」
「そうだよ。でもね、そのうちに逆のオーラが出てくると思ったのさ。それが今話しかけてほしいという感覚のね。だから今話しかけてみたのさ。オーラというものは、普通であれば本人には感じることのできないものなんだけど、ごくまれに感じることのできるオーラも存在する。今の君はそんな雰囲気を醸し出しているような気がするんだ」
というではないか。
自分でもハッキリと分からないオーラが存在するなどということは、想像もできないことだった。
「今の君には、羞恥が見えるような気がするんだ」
と、マスターが少しだけ続いた沈黙を破るかのように答えた。
「羞恥と恥辱ですかね?」
と、坂崎は前の時のマスターとの話を思い出していた。
「多分、君にも恥辱の経験があるはずなんだ。だから本当は描きたいと思っているんだけど、きれいごとで隠してしまおうとしている。オブラートで包もうとしているかのようだね」
という。
「僕にはハッキリとは思い出せないんだけど、その恥辱がどんなものなのかということをですね」
「思い出せるに越したことはないが、無理に思い出すことはない。無理にこじ開けようとすると、せっかくオーラが発せられたのに、今度はそのオーラすら表に出てこなくなってしまうよ」
「それはどういうことですか?」
「君は恥辱の経験があり、それを羞恥心がなるべく表に出さないようにしようと感じている。これは別に君だけのことではなく。普通はこの恥辱による経験と羞恥とがうまい具合のバランスを取ることで、オーラに繋がってくるんだけど、君の場合は、恥辱が強すぎるのか、それとも持って生まれた性格によって、ちょっとした羞恥心が、大きくなってしまうことで、恥辱の記憶すら消してしまっている。羞恥がバランスを逸してしまったとでもいうべきであろうか。だから、そのバランスを保とう炉無理をしてもダメなんだ。元々バランスを保っていた人であれば思い出すこともあろうだろうけど、そのバランスを持っていなかったのであれば、無理をすることになるので、それは避けた方がいいだろうと私は思うんだ」
とマスターは言った。
「マスターは、心理学でも専攻されていたんですか?」
と聞くと、
「ああ、大学の時に少しだけね。でも、そんなに詳しくは勉強していない。どちらかというと卒業してから、この店をやるようになってから、勉強していると言ってもいいかも知れないね」
「お店の経営にも勉強はいいことなのかも知れませんね」
「でも、これは経営のために勉強したわけではなく、学生時代には気づかなかった面白さに気付いたからなのかも知れないね。心理学って、とにかく言葉が難しいし、専門用語も結構多いので、学校で授業として受けていると本当に難しい。でも、単位取得などには関係のない自分だけの勉強として本などを再読してみると、結構今なら分かることもあるんだ。さっきの恥辱の話ではないが、私も本当は君のように羞恥の気持ちが強くて、正当性を求めるような気分になっていることが多かったような気がするんだ」
とマスターは言った。
「僕のような男が変態的な話をこのカウンターからしたとするだろう? どういうイメージがするかい?」
「マスターのような人はそんなことを口にするようには見えないので、少し恐怖めいたものを感じますね。思わず後ずさりという感じでしょうか?」
「そうだろう。そうなっちゃうんだよね。でもそれは僕のような人間なら言わないだろうという意識よりも、僕という人間が、そういう話をし始めると、きっと興奮してきて、まるで怒られているような気がするという認識を感じながら、自分の印象を違うという意味で、否定したくなることから感じる怯えなんじゃないかって思うんだよ」