小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集103(過去作品)

INDEX|9ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

 好事魔多しという言葉があるが、すべて順風満帆に進んでいる時に、敢えて不吉なことが頭をよぎることも少なくない。特に直樹の性格からすると、気持ちのどこかにいつも穴が空いていて、いいことが多い時に限って、穴が広がってしまうことに気付かないのではないかという危惧が頭をよぎる。
「余計なことを気にしすぎなんだよ」
 と言われるが、それも普段からの自信過剰の裏返しでもある。
 自信過剰になったのは大学三年生の頃からだっただろうか。中学の頃、興味本位で美術部に入部し、惰性もあってか、そのまま大学まで絵画を続けてきた。
 それまでに期待してということでもなく、時々コンクールに出品してきたが、想像どおり、佳作止まりだった。それも、自分としては、
――まあまあの作品だな――
 と思った作品は落選し、
――これはあまり納得行かないな――
 と感じる作品ほど佳作に入ったりしたものだ。
 それだけ自分の感覚と審査員の感覚にずれがあるのだろう。最初は、これだけ差があっては自分に才能がないのではないかと感じたものだが、考えてみれば選ぶ者と選ばれる者とで立場がまったく逆である。同じ感覚でなくとも気にする必要もないだろう。
 それに気付いたのが大学に入学してからだった。
 大学でも性懲りもなく絵画を続けていたが、それに気付いて急に入選するのだから、面白いものだ。余計なことを気にするよりも、自分に自信を持った方が幾分いいに決まっている。
 自分に自信を持つようになると、自信過剰になっていくことが分かっても、
――これでいいんだ――
 と思うようになっていた。余計なことを気にするくせが自信を持てるようになって治ったわけではない。相変わらず余計なことを気にしているので、その反動で自信過剰であっても仕方がないと思うようになっていた。
 いや、元々が自信過剰な性格だったのかも知れない。今まで自分に自信を持てることがなかっただけで、自信過剰は自分にとって自然な姿ではないだろうか。
 新婚生活は直樹にとって楽しいものだった。妻は献身的で、時々献身的過ぎることに却って不気味さを感じることもあるが、もうそんなことを気にすることもあるまい。
――人間誰にだって過去はあるさ――
 と自分に言い聞かせた。
 直樹にだって過去がないとは言えない。今までにたくさんの女性と付き合ってきた。一度に数人の女性と付き合うことはなかったが、隣のバラは赤いではないが、絶えずまわりの女性が気になっていた。
 そんな直樹の態度を、
「ああ、あれはあの人の病気よ。別に気にすることはないわ」
 と言っていた女性もいるようだが、男としてはそんなことを言われて屈辱感を味わうものなのかも知れないが、直樹は気にしなかった。それが直樹のいいところでもあり、悪いところでもあるのだろう。それでも直樹のそばには今まで絶えず誰か女性がいた。欠点を補って余りあるところが直樹にはあるのかも知れない。
「来週の金曜日はちょっと泊まってくる」
 千鳥に告げると、
「どうかしたの?」
「いやね、今度の社長が会社の近くにあるKホテルの宿泊券をくれたんだよ。君も知ってのとおり、取引があるので、時々招待券をくれるんだ。時々社長が社員に配っているみたいだぜ」
 その日の昼間、社長室に呼ばれた直樹は、緊張で喉がカラカラになっていた。社長が就任してそろそろ一年が経とうとしているが、社長と面と向うのは初めてだった。
 それよりも社長室である。今までに何度か入ったことはあるが、社長室には特別な思いがある。なるべく千鳥に緊張感を悟られないようにしないといけなかった。
「行ってくればいいわ。一日くらい、私一人でも大丈夫よ」
 直樹の会社は、雑居ビルのワンフロアすべてを借り切っている。大企業とまではいかないが、地場産業としては活気のある会社と言えるのではないだろうか。営業車は道を歩いているとよく見かけるし、地元での知名度もそれなりだ。
 営業部と管理部、そして社長室と応接室、あとは会議室がある。どの部署の窓からも一面他のビルが見渡せるような都会の一角である。宿泊予定のKホテルは、会社から一筋路地を入ったところに位置していて、社長室からはホテルが一望できる。
「あのホテルなんだが、君は知っているかい?」
「ええ、存じております」
「今までに数人に招待券を上げたんだが、君は新婚だということで、少し遅くなってしまった。そろそろいいだろうと思ってね」
「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
 社長の表情には憎らしいほど余裕がある。その余裕の裏に、
「招待券をあげるんだ」
 という見下した態度が見え隠れしているが、相手が社長であればそれも致し方ないだろう。それくらいのことでいちいち目くじらを立てるような男ではない。貰えるものはありがたく貰っておくことにした。
 社長室での時間はどれくらいだったのか。疲れ具合から考えると三十分近くいたように思えるが、実際は十分もいなかった。社長室から見たKホテルの全貌が、瞼の裏に焼きついて離れないような気がしていた。
 新婚旅行で行った千鳥が淵を思い出していた。
 千鳥が淵では、とても冷たかった記憶がある。空気の冷たさ、流れる水を触った時の冷たさ、そして手を引いていた千鳥の手さえ冷たく感じられたほどだ。
「汗が冷えてきそうね」
 千鳥が話していたが、まさしくその通りだった。しばし見つめていた流れの奥に引き込まれそうになったのを、冷たい感覚を肌身に沁み込ませながら見つめていた。足が次第に震えてくるのを感じていた。
 千鳥が淵をじっと見ていると、吸い込まれそうな感覚と、次第に淵が狭く感じられた。目の焦点が流れに集中していたからかも知れない。その思いは自分だけだったのだろうか。今から考えれば千鳥も同じ思いだったように思える。
 千鳥が淵を二人でじっと見ていて、直樹は感じていた。
――以前にも同じように一つのものを一緒に集中して見ていたことがあったな――
 だが、それはあまりいい思い出ではない、それでもその時に直樹は、
――千鳥と俺は結婚するんだ――
 と心に誓った時であった。それぞれの思いとしては辛いものがあっただろうが、結果的にお互いの気持ちを一つにした瞬間だったのかも知れない。
 その時の記憶が社長室から見たKホテルでよみがえってきたのだ。もし、新婚旅行に千鳥が淵を選ばなければ、そんな思いがよみがえってくることもなかったであろう。
 宿泊予定の前の晩、直樹は千鳥を抱いていた。
 その日は少し疲れていたので、本当であれば、食事を摂って、風呂に入れば、そのまま寝た方がいいのではないかと思われるほどだったが、逆に身体の火照りが千鳥を求めているようで仕方がなかった。
 いつもの千鳥であれば、直樹の疲れた雰囲気を察知して、なるべく無理をさせないようにしようと思うのだろうが、その日は直樹の気持ちを優先させた。
 千鳥自身もその日は抱かれたいと思っていた。その思いは普段よりも強く、千鳥が淵を見に行って、その日に泊まった宿での夜が思い出されるのだった。
作品名:短編集103(過去作品) 作家名:森本晃次