主犯と共演者の一致
助手と探偵というと、シャーロックホームズにワトソン氏が有名で、日本の探偵小説としては、日本の三大名探偵の一人、明智小五郎と婦人である文代さん、そして小林少年があげられる。そしてもう一人の名探偵と言われる神津恭介には、松下研三(実は、真壁氏)というのもいるが、またもう一人の名探偵として有名な金田一耕助にも、実は助手がいる。彼の七十七に及ぶ探偵記録の中で、数個ほど助手が出てくる事件があるが、これも一人ではないので、要注意(偶然、名字が一緒だったりするが)。また金田一と同じ作者の生み出した、由利先生の助手として三津木俊介がいる。それぞれにどこか頼りないところがあるが、人間味に溢れているところがある。やはり探偵小説の登場人物としての探偵助手は、人間味に溢れているというところが必要不可欠な部分なのではないだろうか。
そして、もう一つ言えるのが、探偵が困った時に、何かのヒントを与えるというのも助手の重要な仕事の一つだ。
そう毎回毎回、ヒントを与えることはできないかも知れないが、探偵小説なのだから、それもありだったりする。助手という意味合いは、結構幅広いものであったりするのではないだろうか。
そんな門倉が、先生を目指していたと聞いた時、鎌倉探偵は、
「なるほど」
と思った。
鎌倉探偵も実は、小説家を目指す前は、漠然とではあったが、
「学校の先生になりたい」
と思った時期があった。
それなりに成績もよく、特に算数から続く数学にもスムーズに入ってこれたことで、理数系にはかなりの自信を持っていた。
それなのに、どうして作家になどなったのかというと、そこも不思議なところで、一歩間違っていれば、今頃はしがない教師として、高校生に勉強を教えていたかも知れない。
教室では、教壇に立っているが、勉強を教えているのか、それとも自習させているのか分からないほどのつまらない授業をしていた可能性があると思っている。
彼は、理詰めで相手に迫っていくタイプなので、探偵という職業のように、
「相手が大人」
でないと、その力が発揮できない。
相手がまだ高校生のように子供であれば、相手になめられたとしても、それを跳ね返すだけの知力はあっても、相手にそれが通用しない。まるで真綿で首を絞めているかのようである。
今の鎌倉氏には、その光景が目に浮かぶようだった。
そういう意味で小説家になったというのは、成功したわけではないが、それなりによかったと思っている。今の探偵という職業を、聖職だと感じているのであれば、
「小説家になったのもm聖職につくための一つのプロセスだったんだ」
と言えるだろう。
教師などにならなくてよかったと思うのは、今だからであって、小説家をしている時までは、
「教師という選択肢もあったんだな」
と思っていたのだ。
今の門倉氏がどのように思っているのか分からない。だが、きっと門倉氏も同じように思っているような気がした。
「教師になどならなくてもよかった」
その言葉を門倉刑事から聞かれることはないと思うが、もし、そう思っているのだとすれば、やはり、
「彼こそ私の本当の意味での助手と言えるのではないか」
と、鎌倉氏は考えていた。
助手という意味では、鎌倉氏も学生時代に経験があった。それは大学時代にゼミの先生の助手を務めていたことがあったからだ。
小説家になる前の少しの時期だけであったが、これは非常にいい経験だったと自分では思っている。
基幹的には半年もなかった。もし半年以上の期間があったとすれば、それはそれで長すぎるのであって、教授の影響を受けすぎていたのではないかと思っている。
鎌倉氏の欠点として、
「他人の影響を受けやすい」
というところがあった。
そのおかげで、今はその教訓を胸に刻んでいることで、探偵として独自の動きが取れるのだろうと思う。もし自分が警察内部の人間であれヴぁ、なるほど、他人からの影響を受けることで、うまく溶け込むことができたであろうが、却ってその分の独自性は失われ、ただの面白くない捜査員の一人として、そのまま残ってしまっていただろう。捜査の解決に何ら役立つことはなく、せめて、誰かの助手として人生を終わっていたかも知れない。それだけは自分でも嫌だった。
しかし、門倉氏は自分とは違って、人の影響を受けても、それは彼の特徴を生かせるものであった。彼は自分が助手を務めているということを分かっているはずだ。それは鎌倉氏が大学時代に感じていたもので、しかし一番の違いは、鎌倉氏の大学時代がたったその半年くらいで、最初と最後の感情は全く違っていたというこtだ。飽きが来ていたというものかも知れないし、自分が助手には向いていないと気付かされたからなのかも知れない。しかし、門倉刑事にはそんな変化は見られない。だから彼は敢えて自分が助手に甘んじていることを分かっていて、それに徹しようと思っているのだろう、その気持ちは不変なもので、色褪せることはないと鎌倉氏は感じていた。
そのおかげで、鎌倉氏はいい助手を得ることができたと思っている。門倉刑事も慕ってくれているし、自分が探偵としてやってこれたのも、署長や課長の理解があったらkであり、現場では門倉刑事といういい相棒に恵まれたことが幸運だったと言えるだろう。
門倉刑事はそんな鎌倉氏に対して、相棒などというおこがましいことは思っていない。あくらでも自分は助手であり、鎌倉氏の手柄をサポートするだけだと思っている。これがもし彼の美学だとすれば、鎌倉氏は門倉刑事を相棒としてではなく、助手として使うことに専念すればいいのだろう。
だが、助手としての尊敬の念を忘れることなく、彼の助言も大切にすることが大切だと思っている。
門倉刑事も同じことを感じていた。
彼は彼なりに鎌倉氏の様子をじっと観察していて、何か声を掛けてほしい時など見ていれば分かるのだ。
そんな門倉刑事は、警察内部では、捜査員として立派に独り立ちをしている。鎌倉氏の助手という印象は警察の組織捜査の中ではありえないのだ。
彼にはそんな二面性があったが、全国の警察広しと言えども、彼のような役割を持った刑事は他にはいないのではないか。しかも、それを隠すこともなく、改札所すべてに公認になっていて、しかも非公式として、上司からもその役目を担っているかのようである。そんな彼を上層部も期待していて、彼の評価はうなぎ上りであった。
警察としての仕事、そして鎌倉探偵の助手としての彼の立場は、今では誰からも何も言われない。
最初こそ、
「あいつは何をやっているんだ?」
と捜査員の中から、課長に抗議の声も上がっていたが、実際に事件が解決していくと、まわりの先輩刑事も、彼を認めざる負えなくなってくる。それを鎌倉氏は、
「門倉君は、ある意味幸福な人ですね。自分をすぐにまわりに認めさせることができるという素晴らしい性格を持っている」
と言っていた。
人の影響を受けやすい鎌倉氏にとってみれば、それは羨ましい限りであった。
「門倉君は、僕が警察の捜査に協力しているということを肌で感じることで、僕から何かを学ぼうという探求心もあるようですね」
と、課長に話すと、課長は実に嬉しそうに、