短編集102(過去作品)
「でも田舎に住んでいる人って、結構迷信とか信じているんじゃないんですか?」
「その通りなの。でもそれは自分たちに関係のある迷信だけを信じているのよ。実に閉鎖的な考え方よね。だからこの街の人って好きになれないの。何をするにも消極的で、じれったいって思っちゃうのよ」
それは三浦少年も感じていた。都会から来てすぐの頃は、街の子供たちは皆好奇の目で三浦少年を見ていたが、誰一人として話しかけてくる人はいなかった。しかもその目というのは皆同じ目をしている。田舎の人は個性があると思っていたのに、失望したのを思い出した。
お姉さんは次第に会話がエキサイトしているようだった。最初見た時は静かな女性だと思っていたのだが、裏切られたような心境だった。だが、それが却って興味を引くこともあるようで、田舎の朴訥な雰囲気に、都会の匂いを感じさせる女性というアンバランスに戸惑いながらも、話に引き込まれていった。
「私は都会にいる時から現実的なところがあってね。何かをする時はすべて計画した時の下準備で何もかも終わらせるようにと思っているのよ」
都会と田舎の違いを言っているのかも知れない。田舎の人たちはのんびりしていて、そこが彼女の考え方と違うところだと言いたいのだろう。消極的に見えるのは、現実性ではないということである。
――五年も住んでいれば田舎に染まってもよさそうなのに、どうしても染まることができないわけでもあるのかも知れない――
「お姉さんは田舎の人があまり好きじゃないんですか?」
核心に迫る質問をいきなりぶつけてみた。
「あまり好きじゃないかも知れないわ。でも、元々都会の人も嫌いだったので、それに比べればまだましかも知れないわね」
あまり聞きたくない答えだった。
――根本的にお姉さんは人間が好きじゃないのかも知れない――
と感じさせられた。だが、三浦少年には大いに興味を持ってくれている。それが嬉しかった。
話をしているうちにお姉さんのことが気に入ってきている自分に気付いた三浦少年は、お姉さんを女性として見ていることを意識し始めていた。
――何だろう――
ほのかな香りが鼻を突く。さっきまで潮風だけを感じていた鼻をくすぐるような匂いは、時々くしゃみを誘った。香水なのだろうが、母親がつけているのとはまったく種類の違うものだった。
酸っぱいものが嫌いな三浦少年は、柑橘系の香りも嫌いだった。だが彼女から香ってくるほのかな香りはまさしく柑橘系である。湿気の多い天気に甘酸っぱい香りだとむせ返るようになっていたことだろう。少し小刻みに身体を揺らすのがくせなのか、彼女の身体が揺れるたびに柑橘系の香りが鼻を突いた。
「おうちに遊びに来る?」
「いいんですか?」
「ええ、どうせお手伝いさんしかいないから」
お手伝いさんという言葉がいかにも別荘暮らしを思わせた。今の世知辛い世の中なら警戒してしかるべきなのだろうが、その時の三浦少年には警戒心など一切なかった。
彼女が運転する車の助手席に乗り込むと、まだ真新しい皮の匂いがした。新車の匂いであることはすぐに分かったが、芳香剤を使っていないので、皮の匂いが沁みついている。
「私、新車の匂いって嫌いじゃないの」
こっちの気持ちを察しているのか、何でもお見通しというところが、子供心に少し悔しかった。
別荘は思ったよりこじんまりとしていた。
「あんまり広いとお掃除も大変ですからね」
お嬢様にしては現実的なことを言う。だが、まさしくその通りだ。車に芳香剤を使っていないことといい、性格的に自分の世界に入るのが好きだということを垣間見ることができる。
応接間に通されると、テーブルの上に写真立てがあるのに気付く。そこには数人の男女が写っていて、彼女は端の方でしとやかに写っている。女の人は皆垢抜けているように見えるが、男の人たちは、いかにも漁師といった感じで、何とも男女が不釣合いだ。
「この写真は?」
「ああ、それは前にリゾートに来ている女の子と、漁師の人たちの交流があったのよ。ちょっとしたお見合いパーティのような感じだったんだけど、その時に写したものなの」
「お姉さんも参加したんだ」
「お付き合いでね。本当は嫌だったんだけど、リゾートに来ている女の子と仲良くなって断れなかったの。でも。結構楽しかったわよ」
それでテーブルの上に写真を置いているのかも知れない。もっとも写真はそれだけで、後は花が飾っているだけの女性の住む応接間としては少し殺風景だ。それだけ訪問者が少ないことをあらわしているに違いない。
――僕も退屈しのぎのひとつなのかな――
と思わないでもない。
だがそれでもよかった。毎日ただ散歩しているだけで、楽しみなどと言う言葉は最近忘れかけていた三浦少年にとってその日は間違いなく光り輝くものになることは、何となく分かっていた。
――旅行に行ったりした時の楽しみって、後からじわじわ来るものだからな――
と納得していた。田舎での生活も最初は嫌だったが、次第に慣れてきたこともあって、きっと都会に帰ってから、ここでの生活がかけがえのないものに思えるに違いないと感じていた。
そのためには少々の刺激も必要である。
まったくと言っていいほど出会いのなかった田舎での生活で、散歩を楽しみにしていたのは、
――いつか必ず誰かに出会えるんだ――
と思っていたからだ。その思いは無意識であって、彼女に出会ってそのことを再認識したに過ぎない。
彼女がコーヒーを入れてくれようとしているのは、部屋に充満している芳醇な香りが先ほどの柑橘系の香りと違って、今度は気持ちをしゃきっとさせてくれるように思えたからだ。
コーヒーに活性化の作用があることは子供だったのに知っていた。小学生でコーヒーを飲める人が友達でも少なかったからだ。
――コーヒーは大人の飲み物――
最近までそう思っていて、
――到底飲めないや――
と感じていたのも三浦少年の性格である。
大人がいうことをすべて信用しているわけではないが、自分よりも年上で経験の豊富な大人の言うことは子供では逆らえないという図式をしっかりと頭の中に描いていた少年だったのだ。
「実はね、その中の一人の男性から交際を求められて困っているのよ」
と、言いながらはにかんでいる。
はにかんでいるという表現がどういう意味を指すのか子供の三浦少年にも分かっていたが、その場合の表情にふさわしくない表情であることは分からなかった。
――何となくシックリ来ない――
とは感じていたが、それがどうしてなのか分からなかった。
彼女は続ける。
「本当は誰かに彼に私の気持ちを伝えてもらえばいいんだろうけど、私にはそんな親しい知り合いはいないし……」
遠まわしに三浦少年にその役をやってほしいというニュアンスは分かっていた。
「よし、じゃあ、僕がその役を引き受けよう」
どうしてそんな気持ちになったのか分からない。引っ込み思案だと思っていたのに不思議だ。しかし、
――引っ込み思案な性格をいい加減治さないといけない――
と思っていたところだった。ちょうどいい機会だと思ったに違いない。
今日知り合っただけの人のことだ。後腐れないだろう。
作品名:短編集102(過去作品) 作家名:森本晃次