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短編集102(過去作品)

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 女性というと母親だけしか意識したことがなかった。
 母親に女性を意識するというのはおかしなことであることは分かっているつもりだ。だが、まわりにいる女性よりもずっと親近感が湧き、安心感を与えてくれる。それが女性というものだと思っていた。大人になってから考えても、その時の母親に対する意識は間違っていたとは思うが、子供として無理のなかった感情であると言い切ることができる。
 母親に対しての意識があるからこそ、その時、彼女と知り合うことができたのではないかとさえ感じた。傘をクルリとまわしてこちらを振り向いた時の彼女の笑顔、まさしく満面の笑みを浮かべた時の母親の表情に似ていた。
 母親は分かりやすい性格で、楽しい時や悲しい時というのはすぐに分かる。
 怒っている時というのは近づきがたいほどで、その表情を見るといつも三浦少年は悲しく感じた。一番感情をあらわにし、自分に対して直接的に表した感情であるからだ。
 それに比べて悲しい時や楽しい時は間接的で逆に親しみやすい、だからこそ表情を見ていればすぐに分かるというものだ。それだけいつも母親の表情には気を遣っていることになるのだが、日課になってしまえば、思ったよりも自然であった。
「坊や、この近くに保養に来たの?」
 声は思ったよりも高く、少し舌足らずのような雰囲気があった。
「ええ、お姉さんは?」
「私はこの近くに住んでいるのよ。でも、本当の住まいは東京」
「どうして僕が保養に来ているって分かったんですか?」
「だって、この街に住んでいる子供たちと違って垢抜けてるもの」
 質問の答えにはなっていなかったが、垢抜けていると言われて嬉しくないことはない。
「そんなものですか?」
 わざとそっけない答えをしたが、それが却って相手に興味を持たせたのかも知れない。お姉さんは、自分のことを少しずつ話し始めた。
「私はね、ここの五年くらい住んでいるの。一応別荘ということになっているんだけど、五年も住んでいれば実家も同じよね。時々両親が訪ねてきてくれるんだけど、二人ともお仕事が忙しくてなかなか来てくれないのよ。しかも、いつも来る時はバラバラ、家族三人が揃うということはまずないわね」
 お姉さんの表情は寂しそうだった。最初の満面の笑みは、人に会ったことで自然に出たのかも知れないとも感じたが、それも彼女の生来の性格であろう。そうでなければあそこまで零れるような笑顔を作ることなどできないはずだからである。
 喜怒哀楽のハッキリとした人はたくさんいるが、喜怒哀楽の表情を作ることはできないだろう。実際に感じた喜怒哀楽でなければ、
――どうしてそんな表情になるんだろう――
 と考えようという気持ちにならないに違いない。三浦少年は、彼女の零れるような笑みの理由をしばし考えていた。
「ねえ、都会の話をしてくださらない?」
「僕のような子供でもいいの?」
「ええ」
 都会の風景というのは思ったよりも奥が深い。子供が見る光景と、大人の目で見る光景ではまったく違ったものに映るだろう。特に昼の世界と夜の世界は裏表がある。それぞれ感じ方でまったく違うものに映るはずだ。
 子供心に描いていた都会を思い出しながら話した。
 ついこの前まで住んでいた都会である。すぐにイメージして話ができるはずだと思っていたが、思い出していくうちにこの街に住んでいる時間が長く感じられてくるから不思議だった。
「住めば都ともいうわ」
 と母親が話していたっけ。あれだけ嫌だったこの街の生活にいつの間にか馴染んでいて、都会の生活を忘れかけてさえいたことにその時思い知らされた。
――もし、その女性と会うことがなくて都会のことを思い出す機会がなければどうだっただろう――
 三浦少年は考えるが、やはりいずれは近い将来同じ気持ちになったのではないかと思う。もちろん、その感覚に根拠などはないが、都会を恋しいと思うことがなくなってきたのは事実だった。
――気持ちはどこかでリセットされるはずだ――
 その時彼女と出会ったことを偶然と考えるか、必然と考えるかの違いではあるが、三浦少年は最初から必然だと思って疑わなかった。きっと出会いは三浦少年が散歩コースを決めた瞬間から約束されていたのかも知れない。
 最初こそ、
――都会こそが自分の故郷だ――
 という思いから自慢げに都会の話をしていたが、都会への思いが遥か以前の感覚であったことに気がついた。
「ありがとう。都会を少しだけ思い出すことができたわ」
 と言って、微笑んでいた。
「お姉さんは都会に戻りたいの?」
 と、三浦少年が聞くと、少しはにかむようにしながら、
「そうね。戻りたいのかも知れないわ」
 と少し下を向いてしまった。何か理由ありなのかも知れない。
「僕はこの間まで都会に戻りたいって思っていたけど、最近はそうでもないんだ」
 と言ったが、それは三浦少年の本音かも知れない。
「都会への思いは、海に似ているかも知れないわ」
「どういうことですか?」
 海に似ていると聞いて、思わず視線を海に移したが、相変わらず空と海の接点は曖昧で、グレーが果てしなく広がっていた。
「大したことじゃないんだけど、海って、途中浅瀬になっているところがあるでしょう?」
「うん?」
 どうやら、海の中の話をしているようだ。
「海に向って歩いていて、最初は次第に深くなっていって、そのうちに足が届かなくなる。でもある程度まで行くと、今度は足が届くところがあるのよ。でもそれを超えると、今度はまったく足が届かない深い深い海が広がっているのね。それは明らかに海の色の違いで分かるのよ」
 お姉さんは思い出しながら話してくれた。
「お姉さんは、そんな経験があるの?」
「私は生まれつき海に入れない体質なので、入ったことがないの。でも人から話を聞いて、何度も夢で見たわ。きっと、海水浴程度で経験したことがあるだけの人の何倍も夢で見ているはずだわ」
 夢が現実に勝るなどということは考えられないが、その時のお姉さんの言葉にはどこか説得力があった。
 彼女は続けた。
「夢ってね。時には本当になることがあるのよ。人はそれを正夢っていうけど、正夢ってどういう意味なのかしらね?」
「正夢っていうのは、実際に起こることを前もって夢で見るっていうことなんじゃないんですか?」
「確かにその通りよね。だから夢を不思議に感じるのよね。でも逆の場合はどうなのかしら?」
「逆って?」
「夢を見たから、それが現実になるっていう考え方。夢はあくまで予知能力ではなくて、夢が中心の考え方なの。少し飛躍しているかしら?」
「それは僕のような子供じゃ分からないな」
「子供だから分かるのかも知れないわよ。大人になると、何でも科学的に考えてしまって、割り切れないことは非科学的だってことで、すぐに否定したくなるのよ。でも私に言わせれば、考えたくないだけなんだと思うの」
「確かにそうですね。でも、そこまで深く考えなくてもいいんじゃないんですか?」
「そうなのよ。私ってすぐにいろいろ考えて、自分で納得するの。この街に住むようになってお友達もいないし、この街の人って、意外と非科学的なことは信じようとしないのよ」
作品名:短編集102(過去作品) 作家名:森本晃次