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短編集102(過去作品)

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 降りそうで降らない雨というのは都会で嫌というほど経験している。蒸し暑く歩くだけで気分が悪くなって胸焼けを起こしそうになるのは、身体が弱いからだけではないだろう。まわりの人でも中には吐き気を催す人もいたくらいで、きっとこのあたりの人たちには想像もつかないことに違いない。
 リゾートでも蒸し暑いのは変わらない。特に海が近いこともあって、潮風がまともに吹いてくると、肌を差す日差しとは違い、身体にへばりついてくる湿気のいやらしさが、悪循環をもたらしていた。
 汗を掻けば体が冷えてくるものなのだろうが、湿気のために流れ出さずにそのまま身体に纏わりついている。それでは汗を掻く意味がない。持ってきたタオルで腕や顔は拭けるが、背中はどうしようもない。歩くスピードは纏わりつく汗のためにゆっくりになってくる。
 ゆっくりのペースほど、歩いていて疲れが溜まってくるものはない。
――早く歩きたいのに歩けない――
 もどかしさが気持ちを追い詰めてくる。直線の道では焦点を合わせているところになかなか辿り着けない。近づいているという感覚すらない。
――もどかしさ――
 身体にいい言葉ではない。あまり落ち着きのある方ではない三浦少年にとって、もどかしさという言葉は天敵でもある。なるべくもどかしさを感じないように努力しているつもりなのに、なかなかそうも行かない。
――身体さえ丈夫だったら――
 という感情が精神的に自分を追い詰めていく。
 保養に来たのは身体の保養が目的ではあったが、三浦少年自身では、精神の保養もしたいと思っていた。散歩の時間を決めて毎日の日課にしているのもそのためである。
 それまでは毎日が晴天で、ほとんど雲を見たことがないほどだった。
 いつだったか、入道雲のような大きな雲が空にあったのに気付いたが、それが雨をもたらすものではないことは分かっていた。まわりには雲ひとつなかったからである。
 それは大きな綿菓子だった。真っ白い綿が空に浮かんでいるが、ところどころに黒い影が見えていた。立体感をいやが上にも思わせ、圧迫されてしまい、空を見上げたまましばらく雲だけを見つめていた。
 視線を水平に戻すと、白い色が目に焼きついているせいもあり、日が暮れる寸前のような暗さが目の前に広がっていた。青い空なのは分かっているし、真っ青に見えるのだが、暗くしか見えない。さらには森の緑も鮮やかで、しっかりと緑だと認識できているのに、どうしてもまわりのクラさを払拭することができない。実に不思議な感覚だった。
 だが、湿気があったわけではない。カラッと晴れ上がった日と変わらないほどに乾燥していた。その証拠に汗は掻くのだが、一切身体に纏わりつくようなことのない爽やかな汗だった。
――こういう汗を掻きたいから散歩もいいんだよな――
 と一人頷いたものだ。
 そんな日もあったのに、その日は完全に湿気を帯びた雲である。日差しを感じることはなく、空に雲はあるのだが、雲の切れ目が分からないほどに、空全体の色が鈍色に変わってしまっている。
 灰色をグレーというが、グレーというのは、曖昧な状態を指すことに使うこともある。黒に白を混ぜたのか、白に黒を混ぜたのか、元々は白だったか黒だったかで、同じグレーでもかなりの違いがある、白には白の、黒には黒の色としての性格があり、その性格があまりにも強く、どちらにも染まりたくないという思いがグレーには現われているように思う。
――個性とでもいうのかな――
 と考えたこともあるが、個性という言葉は嫌いではない三浦少年だが、それぞれに我が強いという意味では、手放しに好きにはなれない言葉でもある。
 朝からドンヨリとした空を見上げながら、気がつけば砂浜までやってきていた。
 目の前に広がる空と海、いつもクッキリとしている水平線が見えないので、
――大体、半分くらいだろうか――
 と適当なところで自分で勝手に水平線を引いてみた。ちょうど、空と海が半分くらいだろうか。それも適当である。
 見れば見るほど置くが深く感じる。しっかりと空と海が分かれている方が壮大な感じを受けるのだが、どこで分けていいか分からないほど奥深さを感じるものはない。
 やはりグレーという色の曖昧さが目に錯覚を起こさせるのかも知れない。
 それにしても降ってきそうで降らない雨は、いつ泣き出すか分からないだけに恐ろしい。一旦泣き出せば収まりどころを知らないように思えるのは、空と海の境目がハッキリしないからである。奥行きの深さを感じている反面、雲がすぐそばまで迫ってきているように見えるのが不気味である。
――あまり長居してはいけないな――
 怒り出す自然の驚異を感じながら出てきた散歩に傘は持っているが、それでも散歩を欠かさないのは、それだけすることがないのを示している。
 立ち上がり、踵を返して歩き始めようとすると、さっきまでそれほど感じなかった波の音が大きくなってきているのを感じた。後ろ向きで音を大きく感じることはかつてどこかで感じたことがあったが、それはいつのことだっただろう? 大いに気になり、少し歩き始めたところで振り返ってみた。
 砂浜の途中に一人の女性が立っているのに、すぐ気付いた。
――さっきまではいなかったはずだが――
 立ち上がって踵を返して歩き始めて、さらに振り返るまでの数秒、その間に一人の女性が? そんなバカなことはないはずである。
 その人は最初からそこにいて、それに自分が気付かなかったと考える方が一番自然だと思う三浦少年だった。
 その人は白いワンピースに白い傘を差していた。肩に傘を掛けて、海の方を見つめている。三浦少年の方向から顔を見ることができないが、白いワンピースが似合うのは、スラリと伸びた痩せている身体だからだということは子供心にも分かった。
――きっとこんな感じの人なんだろう――
 顔は向こうを向いているが、何となく想像できる。それはこうあってほしいという願望でもあった。しかし、三浦少年の創造では、決して笑顔であってはいけない。笑顔に見せようとしている表情をしていても、そこには翳りが感じられなければいけないように感じた。
 果たして彼女がこちらを振り返った時、三浦少年の願望は無残にも打ち砕かれた。彼女の表情が笑顔に満ちていたからである。
 だが、それでも落胆は一瞬だけだった。笑顔で振り向いた女性がこちらを凝視していて、それで落胆をいつまでも続けられるわけもない。彼女の表情につられて三浦少年の表情もいつの間にか笑顔に変わっていた。
 頬がほころんでくるのが分かる。思わず歩き始めて、彼女に近づいていた。
――もっとそばでその顔を見たい――
 というのが一番の気持ちだが、
――その笑顔は本当なんだろうか。錯覚ではないだろうか――
 という思いも捨てられないのも事実で、それを確かめたいという気持ちが一番強かったのだ。
 ドキッとした。女性に見つめられるというのが、これほどドキッとするものだということを知らなかった三浦少年の心は、その時の天気とは裏腹に、次第に晴れ上がってくるように思えた。何とも心地よい思いが襲ってくる。ドキッとした気持ちは最初の一瞬だけで、それ以降は、何か暖かいものに包まれたような安心感を感じたのだ。
作品名:短編集102(過去作品) 作家名:森本晃次