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やる気のない鎌倉探偵

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 これだけを聴いていると、まるで言い訳のように聞こえるが、それはまさしく言い訳だと言ってもいいだろう。
 だが、彼女はそんな感覚をまったくもっていないのか、表情が変わることもなかった。注文したコーヒーを口に運んでいる様子も、どこか高貴なイメージを感じさせ、若いのに、いつも一人が似合いそうな落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
「どうしても、本屋さんには、ほしい本があるとは限りませんからね。売れる本は平積みにしているんですが、そうでもない本は、棚に一冊しかほとんどありませんからね。まるで図書館のようですよね」
 と彼女は言っていたが、まさしくその通り、
「毎日のように何冊も発行されているんだから、それも当然ですよね。それにかなり昔は本を出したいという人が、星の数ほどいて、それに便乗した商法もあったくらいですから、私としては、あの時に本の価値のようなものが下がったんじゃないかって危惧しているくらいなんですよ」
 とマスターが話した。
 マスターも、鎌倉氏が小説家をしている時に一時期流行って、数年で消えていった、悪名高き、
「自費出版関係の出版社問題」
 を知っている。
 あの頃は、バブルが弾けたことから端を発し、
「二十四時間、働けますか?」
 などというキャッチフレーズがあったバブル期のサラリーマンが、リストラされたり、会社の事業縮小、経費削減のために、残業をしてはいけないなどのそれまでとはまったく変わってしまった仕事生活から、何をしていいのか分からなくなった時期でもあった。
 そのために、サブカルチャーというものが注目され、それぞれにスクールができたり、それまではプロしか手を出せなかった業界に今までは素人同然だった、アフターだいぶのサラリーマン、主婦や学生が、手を出す時代に入ってきた。
 そのために、芸術、文芸、いわゆる趣味の世界のそれぞれの利用人口は爆発的に増え、そこで友達もできたりして、サブカルチャー生活を謳歌する時代へと変革していった。出版関係もその類に漏れず、原稿募集という形で人を集め、作品を評価する中で、本を出させるように仕向けていく。
 しかし、高額な出資にも関わらず、本を出す人が後を絶えなかったのは、本を一冊出したことで、その後はプロにでもなった気分になったのか、それとも一冊で満足したのかは、その人たちでなければよく分からない。しかし、人の欲望に付け込んだ商売であることは間違いなく、その最後も出版した人たちから訴えられるという皮肉な結果になってしまったようだ。
 そのために、作った本は大量の在庫として抱え込むようになり、倒産したことで、紙屑と化してしまったも同然だった。
 その教訓もあるからか、出版にはかなりの費用が掛かる。折しもネットの普及、ネット内でのSNSという交流サイトの普及により、すたれてしまった出版業界は、ネット配信という形で、人に作品が読まれるようにもなってきた。
 今ではスマホという携帯で、表でも気軽に読める時代だ。
 活字にして、紙に書かれた媒体ではないため、製作費用は格段に下がった。それが今の本屋の衰退を読んだのだ。
 そもそも、サブカルチャーを生活の中心として、にわか作家が世に蔓延った時点で、出版業界の先は見えていたのかも知れない。
 確かに自費出版関係の出版方法は目の付け所はよかった。
「お送りいただいた原稿は必ず読んで、評価を付加して、必ずお返しします」
 という触れ込みで、しかもちゃんと評価もしてあった。
 しかも、その評価はいいことばかりが書かれて理宇訳ではなく、問題点もしっかり指摘していたのだ。
 いいことばかりしか書いていなければ、その信憑性は疑わしいが、あくまでも批評したうえで、いいところを強調している。これでは、作者のほとんどが信用するのも無理はないだろう。実にうまいやり口だった。
 だが、そんな作品をどんどん世に出すことを目的としているので、とにかく彼らの目的は、どんな形であっても、本を作らせて、作らせた分の利益を貪るしかなかった。
 原稿募集と、出版社のイメージ宣伝のための宣伝費、そして、作品の批評をしたり、作品を本にする時のアドバイザーのような仕事、それだけの人のために使う人件費、さらには本を作っても、本屋が置いてくれるはずもなく、マンに一つの可能性で、本屋に置いてもらったとしても、一日か二日ですべてが返品となるはずなので、要するに製作したそのすべてと言っていいほどの本が、どこの本屋に置かれることもなく、日の目を見ることもない状態で、在庫として抱えなければならないという、膨れ上がった莫大な在庫を保管費、それらを経費とするならば、かなりの数、作家という出資者から、お金おwむしり取らなければいけなくなるわけだ。
 当然、本屋に本が置かれていないことを知った俄か作家連中は、出版社を訴える。数人で訴えれば問題になって、出版社のやり方が世間に知られるようになると、本を出す人が激減し、そもそも自転車操業なのだから、資金繰りがうまく行かなくなり、倒産もやむなしだった。
 しかも、時代の波に載って、似たような自費出版社関係がまったく同じことをしているのだから、一社が潰れれば、他の会社だって対岸の火事ではなくなっていて、ほぼ同じ末路を描くことになり、悲惨を絵に描くとはこのことになってしまったのだ。
 だが、果たして出版社関係ばかりが問題だったのだろうか。今までは、有名出版社が設ける新人賞に応募して入選するか、あるいは、誰にも見られない持ち込みによるものしかなかったことで、
「作家というものや、本を出すという行為は、限られた才能のある一部の人間だけしかいない」
 と言われていたのに付け込んでの、自費出版の台頭だっただけに、今まで例えば本を出したい、作家になりたいと思っている人が、数千人しかいなかったとすれば、自費出版社の台頭によって、数十万からの人が作家を目指すとなると、そのほとんどは、本を出すのもはばかるような駄作で、どうしようもない作品も中にはあっただろう。
 本屋に出回らなかっただけよかったものの、実際に生を受けて生まれてきた作品の中には、文学に対しての冒涜とも思えるほどの作品もあったかも知れない。(もっとも、作者も人のことは言えないが)
 それだけ、文章が世の中に氾濫していたと言ってもいいだろう。
 それはまるで魑魅魍魎のように、表に出ることはないが、悲惨な目に遭いながら、消えていくでけの運命だったわけだ。
 本に罪がないとすれば、生み出した作家、そしてそんな作品を書くように煽った自費出版社の連中と、一体誰の罪が一番大きいというのか、その煽りが今の本屋の衰退を招いている。
 つまり、本屋の衰退は、ネットの普及だけにようるものではなく、かつての、高い文学性を持ち、文学という芸術の聖域を保っていた結界があったにも関わらず。そこに土足で入ってきて、人の数という暴力にも似た強引さで、その結界を破り、聖域をめちゃくちゃにしてしまい、その品格を地に落としてしまったということが、ひどさを煽ってしまったのではないかと思える。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次