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やる気のない鎌倉探偵

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「そう思わなかったから、売れなかったんじゃないのか?」
 と言われればそれまでだが、小説というものは、身勝手なもので、作家が生みの親だと思っているのをいいことに、作家がどれほど苦労していても、何もヒントを与えてくれるわけではない
 小説を書きながら
「ああでもない。こうでもない」
 と考えている作家も多いと思うが、鎌倉氏の場合はそういうことはなかった。
 もし、そんなことを考えることがあるとすれば、その時は、その小説をそれ以上書けない時ではないだろうか。
 彼にとって執筆活動は集中力の三文字がすべてであった。いかに集中して、手を休めることなく書き続けるか、それが命だったと言ってもいい。
 だから、書く挙げるまでにそれほど時間は掛からなかった。
「他の先生は、締め切りを守らない人が多くてね」
 と担当の人がぼやいていたが、要するに鎌倉氏には、そういう心配はまったくいらないということだった。
 小説を書いていると、本当に時間を感じさせない。それだけの集中力が備わっていないと、書き続けることはできないのだ。
 鎌倉氏は、記憶力は悪くないと思っていたのに、小説を書き始めると、急に覚えられなくなった。それをいい意味に考えて、
「小説を集中して書いているから、我に返ると集中していた時のことを忘れてしまうんだ」
 と感じていた。
 実にポジティブな考えではないか。こんなことを堂々と言えば、
「おめでたいやつだな」
 と言われるのがオチだろう。
 しかし、小説などを書いていると、そんなものである。
 元々集中したいから、静かな部屋で書いていたのだが、あまり静かすぎると、却って気が散ってしまうことに気付いた。
 有名な作家先生などは、昔から、ホテルに缶詰めになっていると聞いたことがあるが、今でもそうなのだろうか?
 本当に集中して書いていると、想像力を高めるために、何か音楽を聴きたくなるものだ。
 そんな時に鎌倉氏が選んだのが、クラシックだった。
 オーケストラの奏でる壮大なロマンが耳を通して頭を刺激してくれる。そして、壮大なイメージを想像させてくれるのだ。いや、創造を与えてくれると言ってもいいだろう。
 彼は楽器の中では一番好きなのがピアノやオルガンなどの管弦楽器だった。その次はフルートやトランペット、クラリネットなどの吹奏楽器である。いかにもクラシック向きと言えるのではないだろうか。
 小学生の頃、学校でずっと掛かっていたクラシックのしらべ、いわゆるシンフォニーと呼ばれる交響曲は頭に適度な刺激を与えてくれる。ミステリーなどの場面を思い浮かべるにはちょうそいい。
 学生時代に読んだ昔の探偵小説を思い出す。ドロドロした雰囲気に猟奇殺人であったり、時代を象徴するかのような、いまにもつぶれそうな掘っ立て小屋のようなアトリエで作業している変質的な趣味の芸術家など、今ではほとんど見かけないが、昔はきっとたくさんいたのだろうということを想像させられる。
 そんな光景を思い出しながら書いていたのだから、今でもクラシックが辞められないのも分かってもらえるであろう。
 そんなことを思いながら、こーひを片手に小説を読んでいると、もうすぐに読み終わるであろうと思っていると、急に我に返ってしまった。
 ちょうどその時、玄関の扉があいたのに気付き、思わずそちらを振り返った。
 普段は、座ってしまうと、なかなか後ろを振り向くことのない鎌倉氏が後ろを振り返ったのを見て、マスターは驚いているようだった。
 そして、そこにいたのが女性であったことで、またしても、マスターはビックリしていたようだ。
 この店には女性が一人で立ち寄るということはあまりないが、中には女性一人の常連客もいるという不思議な店だった。
 ただ、その人はカップルで来るようになったのだが、別れてしまったことで、この店を余計に気に入っていたのが彼女だったことで、彼の方が次第に来なくなったというだけのことなのだが、それでも女性だけが残るというのも、きっと稀な話なのであろう。
 その時、扉を開けて入ってきた女性は、その常連の女性ではなかった。マスターもビックリしていることから、きっと初めての客なのだろう。それならそれで、きっと一見さんなのだろうが、マスターはそんなことをお首にも出さず、意識することもない様子だった。
 彼女はちょっと戸惑っていたが、入ってきた以上、出るわけにもいかないというべきか、前に歩み出て、カウンターに座ることにした。
 最初は一番手前に腰を掛けたが、奥に鎌倉がいるのに気付いて、
「あら? 先ほどはどうも?」
 という声が聞こえた。
「あ、さっき本屋で」
 と言った鎌倉氏だったが、あれからまだ三十分も経っていないはずなのに、さっき見た顔を忘れてしまったということだろうか?
 今ここで本を読んでいるので、本を読むことに集中していたので、その間に彼女の顔を忘れてしまったということなのだろうか?
 そういうことであれば、あまりにも都合のいい忘れ方に思えてならなかった。
――いや、都合のいい忘れ方ってどういうことなのだろう?
 まるで忘れてしまうことがよかったかのように思ったのはなぜであろうか?
 別に思い出したくないわけでもないのに、自分が今何を思っているのか、微妙に分からなくなっていた鎌倉氏であった。
 それは読んでいた小説に原因があるのかも知れない。
 ちょうど、もうすぐ読み終わりということは、いといと謎解きのシーンであり、いわゆるクライマックスのシーンである。まさに集中して読みたい場面に差し掛かってきているにも関わらず、邪魔をされたかのような気分にさせられたからではないだろうか。
 実際にはそんなことはないはずなのに、そう思わされるというのは、それだけ小説に開りこんでいるということだ。
――俺だってこれくらいの小説――
 と、作家をしている時であれば感じたであろう。
 しかし、今はそんな闘争心もない。
 ただ、小説を読んでいて、
――俺なら、もうちょっとここはこんあ風に書くな――
 という思いを抱くことは結構ある。
 だが、それを顔には出さないようにしている。時にこの店では顔に出してはいけない。
「俺は、小説家をすっぱりやめて、探偵を始めるんだ」
 と、声を大にして宣言したのは、マスターの前でだったではないか。
 その思いがまだ頭の中には鮮明に残っている。
――俺は探偵になって、どれくらい経ったんだ?
 と、たまに考えるのは、そんな思いが結構よみがえってくるからである。
 未練がないといいながら、たまに思い出すのは、自分がモノを作ることに造詣が深かったからだと思う。探偵をしていて、何かを創作するということはないので、そこが鎌倉氏に事件が解決に向かってしまうと、急にやる気をなくさせる一番の理由なのだろう。とにかくやる気がなくなるのだ。
「先ほどは、本を譲っていただいてありがとうございます」
 という挨拶をしていると、マスターは、興味深そうに彼女の顔を覗いているのが分かった。
「いや、さっき本屋でね。同じ本を取ろうとしてちょうどかち合っちゃったんですよ」
 と鎌倉氏がマスターに話した。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次