やる気のない鎌倉探偵
「さあ、これをやってみようじゃないか」
と言ってきた時はビックリした。
天才的な頭を持っているはずの彼が、まさか子供用の探偵の謎解き演習のような本を持ってきたのだから、それも仕方のないことなのだろうが、
「それは子供の本じゃないか?」
というと、
「まあ、そういうなよ。確かに子供の本ではあるが、子供の本と言って舐めてはいけない。結構謎解きは難しいぞ」
と言って、半信半疑ながらにやってみることにした。
実際にやってみると、彼のいう通りで、これがなかなか難しい。
「これ、本当に子供用か?」
と聞くと、
「そうさ。子供用と言ってバカにはできないと言っただろう? 子供用には子供の世界で楽しむものというだけで、決してトリックは優しくない。むしろ難しいのさ。しかお俺たち大人は舐めて掛かっているし、頭が固くなっているので、とんちが利いた問題であれば、子供に戻ったような柔軟な気持ちで解かなければ、絶対に解けない」
と言った。
「そんなものなんだ」
「そりゃあそうさ、大人のプライドが邪魔をするだろうし、何よりも一度違う方に思い込んでしまったら、後戻りはなかなかできない。それが堂々巡りを繰り返してしまって、先に進むことができないのさ」
と言われて、
「なるほど、確かにそうだよな。俺たちは子供に一度は戻る必要があるんだよな」
と言って、その言葉を自分に言い聞かせてみると、なるほど、柔軟に思えてきて、面白いように謎が解けた。
「鎌倉君は、なかなか順応性が高そうだ。考え方が柔軟でいいんじゃないか? 探偵にでもなればいいのに」
と言われたが、今から思えば、軽い気持ちで言った言葉でも本当に的を得ていたと思うと、彼がまるで預言者だったかのように思えるから不思議だった。
今ではそんな息子は二人とも家を出て、次男の方は、大手企業の支社として九州の方で結構出世しているという。
「兄貴にアメリカで自分の事業を手伝ってもらえないかって言ってきていて、困ってるんだよ」
と言っていたが、
「手伝ってあげればいいじゃないか」
と言ってはみたが、
「いやあ、せっかく今は順調なんだから、この路線を壊すのは結構な勇気がいるんだ。清水の舞台から何回も飛び降りるくらいのね」
と言っているが、まさしくその通りであった。
「仕事も順調なんだね?」
というと、
「ああ、順調そのものさ」
という返事が返ってくる。
その時の謎解きがまともにできなかった大学生が、今では探偵をしているというのも、実におかしな気もするが、考えてみれば、あの時どうして簡単に解くことができなかったのかということを後になって考えることで、今の自分があるのかも知れないと思うと、世の中の面白さというものが分かってくる気がした。
確かに、とんちのような発想が必要だった。算数の問題を解くように、理詰めではなかなかうまくいかない。しかし、結局は足し算や引き算なのだ。つまりは、媒体をいかに考えるかということで頭が柔軟になってくる。答えは問題の中にちゃんとあり、そのことが分かっていれば、謎ときと言うのができるものなのだ。
「しょせんは同じ人間が考えたもの」
そう思えば、そんなに難しく考えることもない。できるものとできないものの判別は頭の中で行えるものであり、そんなに難しいことではない。要するにできると思うことが必要なだけだった。
頭の冴えというのは、急に訪れるもので、それまでまったく発想すら浮かんでこなかったものが、ある日突然、誰も想像もできないような発想が浮かんできたのだ。
「まるで神が降りてきたかのようだ」
と、降臨を真剣に考えたほどだった。
謎が解けてくると面白いもので、それまで書けなかった小説のアイデアまで浮かんでくるようになってきた。
「いよいよ来たかな?」
とまるで自分の時代の到来を予見するかのような思いに、どうすればいいのか考えあぐねていた。
小説も、書いてはみた。それなりに自分もあるにはあったが、応募するだけの勇気もなければ、億劫な気もした。
それでも、人から、
「これならいいじゃないか、俺はいいと思うぞ」
と言われると、送ってみようという気になった。
実際に送ってみると、あれよあれよで新人賞だ。
「ほらよかったじゃないか、これでデビューまで約束されたようなものだ」
と言われて、鎌倉氏自身も有頂天だ。
――これで俺も人気作家だ――
と、徹底的に自惚れた。
次男の方は、
「実際に新人賞を取っただから実力があった証拠だよ。自惚れるくらいは当たり前のことで、自惚れていい作品が書ければ、それでいいじゃないか」
と言っていたが、長男の方は、
「そんなことはない。こういう時だから調子に乗ると、抑えが利かなくなるんだ。冷静さを失ってはいけない」
と言っていた。
鎌倉氏はどちらを信じればいいのか悩んでいたが、人間楽な方に進むというのは、古今東西昔からそうだったように、やはり楽をしようとする。
どうしても自惚れてしまうと、それを払いのけるには、覚悟とそれなりの力を必要とする。
――やはり、自惚れている方が気が楽だ――
と思うことで、ついつい自惚れて、自分の力を過信したというよりも、楽な方に進むということが、自惚れた瞬間に、自分の中で確定してしまったかのようだった。
それでも、最初の数年は何とかファンもついていて、小説家として少しはうまく行っていたのかも知れない。
しかし、それもうまく行かなくなったということは、ファンが離れて行ったということである。
つまり、
「ファンに飽きられた」
ということである。
それだけワンパターンの作品を書いていたということなのか、プロでやっていくだけの才能が最初からなかったということか、その頃からの鎌倉氏は、憂鬱状態に悩まされるようになっていた。
小説の悲哀
ただ、小説家をやっていたことが、探偵としてデメリットになったことはなかった。自分の書いた小説にはそれなりの思い入れもあったし、事件の中には、
「自分がこれを小説に書くとしたら」
などと思って臨んだものもあった。
作家というものが本当に、小説を書くだけだと思っているとすれば、それはあまりにも知らなすぎである。いや、別に小説家のことを一般の人が知らなければいけないという決まりはないが、こちらが考えていることを違うことを想像し、下手な勘ぐりを入れられるとすればそれを心外だと思ってるだけである。
小説家というもの、それぞれにやり方がある。自分の作品を書いている時には、人の作品はまったく読まないという人もいれば、違うジャンルであれば読むという人もいる。ちなみに鎌倉氏の場合は、人の作品は一切読まなかった。小説家を辞めてから読むようになったが、その感想としては、
「なんだ。こんなのでいいのか?」
というものであった。
自分の作品に過信しすぎているわけではないが、少なくとも作品を書いている時は、
「俺の作品が最高だ」
と思って書いている人が多いだろう。
ただ、人を感動させる作品が書きたいと思って小説を皆が皆書いていると思えばそれは間違いである。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次