やる気のない鎌倉探偵
「彼女は必死で彼のことを忘れようとするが、忘れることができない。理由としては、一度ある程度まで忘れてくると、また思いがこみ上げてきて、堂々巡りを繰り返す。夢で彼のことを見たりすると、そういうことを繰り返してしまうのだろう。そういう人はそんなに少ないわけでもないことは探偵をしていると、よく聞いたりする。彼女もそういう人間なのかも知れない。そうなるとここまで来てしまった自分もさすがに吹っ切らなけれなならないと思うだろう。そのためにはハッキリさせておかなければいけないことがある。それが彼の自殺のことであった。そうしなければ、自分はまた堂々巡りを繰り返してしまい、抜けられなくなるということを誰よりも感じているということではないか」
という理屈を鎌倉氏は考えていた。
――僕の考えは無理があるんだろうか?
と鎌倉氏は悩んでいた。
悩んでいる間に思い出したのが、かつて書いた離婚の小説だったのだが、それを今思い出すというのは、やはり、
「思い出すべくして思い出した」
ということであり、そこには何か運命めいたものがあるのではないかという思いがこみ上げてくるのだった。
そう思っていると、マスターは、もう反対という表情はしていない。鎌倉氏が何か自分で結論を見つけようとしているのに気付いたのだろう。
もうここまでくれば、自分が口を出す場面ではない。マスターとすれば、
「もし、自分だったら」
という目で見ているだけであり、やはり徹底した他人事を貫いているのだった。
これは鎌倉氏とマスターの間の暗黙の了解、阿吽の呼吸であり、まるでテレパシーのようなもので繋がっているのではないかと思えることであった。
実際に依頼に来た楓はというと、その表情には先ほどまでの熱い視線は感じられず、一人で思い込んでいるかのように見えた。一人で顔をうずめるかのように下を向いたままで、この重苦しい空気に耐えているかのようにも見えた。
――今一番苦しんでいるのは、彼女なのかも知れないな――
と鎌倉氏は感じていた。
だからと言って、何かできるわけではない。もし、彼女の話に載って山口の過去を調べようとすれば、どうなるのだろう?
ひょっとすると、山口は楓に心配を掛けまいとして、一人で死んでいったのかも知れない。もし、彼女に害が及ぶようなことがあれば、自分もろとも彼女が死んでしまうようなことがあれば、二人とも犬死だというようなことを考えたのだとすれば、鎌倉は自分から動くことをしない方がいいと思うのだった。
彼の死は、何が原因なのか分からないが、バックに何かの組織がいることは分かっている。鎌倉氏は、自分が書いた小説を思い出してみて、あの時は離婚だったが、今回は自殺である。
自殺するにはどのような理由があるのかというと、自殺する人間は、まず追い詰められていることが必須である。
追い詰められているといっても、何に追い詰めあれているのかということであるが、彼が追い詰められているとしても、それは過去のことであった。今はすでに彼はこの世にいない。確かに彼女の思いはひしひしと伝わってくるのだが、それを鵜呑みにしてしまい、こちらまで動いてしまうと、せっかくの彼の行為が無に帰してしまうことになりかねない。
「何が真実で、何が事実なのかということを見極める必要がある」
真実を追い求めると、事実が交差している瞬間、眩しさから大切なものを見失ってしまうのではないだろうか。
鎌倉氏が描いた離婚夫婦の場合は、奥さんは、自分の気持ちが固まるまでは一切自分から口を開こうとはしなかった。旦那の方は、そんな奥さんに甘えて、自分から話しかけようとはしなかった。きっと奥さんは、待っていたのではないかと思いながら書いていたが、その気持ちに間違いはないだろう。
では、山口の場合はどうであろうか?
自分が何かの原因で巻き込まれてしまった事件に、彼女を引っ張りこみたくないという思いから、自ら何も言わずに、一人で苦しんでいたのだろう。彼女はそんな彼の気持ちを思い図っているつもりで、見殺しにしていたのではないかと、今では思っている。
確かに彼女は、
「まさか、彼が自殺などしようなんて考えているなんて、思ってもみませんでした」
と口では言っているが、本当のところはどうだったのだろう?
元々彼は、いくら恋人とはいえ、自分の領域を侵されることを嫌がっていたという。
「私、本当は彼と結婚までしようとは思っていなかったような気がするんです。彼に死なれて、少しの間放心状態だったんですが、その時、自分は彼との結婚を望んでいたという妄想が膨らんできたんです。どうして結婚なんて考えたんでしょう? 私は結婚はしばらくするつもりなんかないと思っていたし、彼にもそのことは伝えてあったんです。それなのに、彼は『分かった。君のしたいようにすればいい』なんていうものだから、私もムキになって、彼と結婚したいと思っていたと思い込んでいたのかも知れないです」
と、楓はいった。
「あなたが、彼のことを今まで知っているようで知らなかった。だから、このままの中途半半端な気持ちでは自分から吹っ切ることはできない。だから、私に調査してもらって、自分が吹っ切れる報告を受けたところで、スッキリしたいち思っているんじゃありませんか?」
と、かなりの辛辣な言葉になったが、これくら言わないと、彼女が自分の考えに気付かないと思ったからだ。
――彼女は、事実よりも真実の方が知りたいのかも知れないな――
と感じたが、実際に探偵として調べられるのは、あくまでも事実である。
ひょっとすると事実を突きつけ荒れたことで、そこから真実を手繰り寄せようとする態度が、彼女の仲で自分を納得させるために力になると思っているのかも知れない。
そんな風に考えていると、次第に彼女が悪い女であるかのようなイメージが湧いてきた。
そういえば、彼女を見ていて、最初からどんなイメージなのかが分かりづらいところがあった。いつもであれば、もっとすぐに分かってくるはずのことが分からないのだ。最初は、
――僕が彼女に惚れているので、前がまともに見えなくなっているのではないだろうか――
と感じられたが。実はそうではない。
どちらかというと、自分の方から分かってしまうことが怖かったというイメージが強かった。
かつて書いた離婚の小説を思い出したのは、
「女というのは、最初は自分だけで突っ走って、有無を言わさぬ状況に追い込んでから、初めて自分の意見をいう」
それもすべてが手遅れな状態に追い込んでからである。
それを強調して思い出したのは、彼女が、その小説を書いている時に感じた自分と同じ思いを抱いていると感じたからだった。
鎌倉は、この事件の捜査は、
「してはいけないものだ」
と感じた。
彼女の話を聞きながら、どれほど自分の中で感じている嫌なものを思い出すに至ったか。そしてマスターという人間まで、どこか嫌な人間に見えてくるような、そんな感情が鎌倉を憂鬱にさせるのだ。
自分が探偵であるということが、これほどまでに気分の悪い思いをさせるなど、思ってもいなかった。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次