やる気のない鎌倉探偵
鎌倉氏が思うのは、後者であった。最初は、
「まったく似ていない」
と思っていたのに、よく考えてみると、見ていないはずの相手のことがよく分かるというのも、どこかおかしな気がした。
その理屈を考えた時、マスターが自分に似ていないと思っている場所でも、本当はすぐそばに自分の性格があるのではないかと思うと、
「違うと思っていることであっても、ごく近くにあるものなのかも知れない」
という発想は、
「長所と短所は紙一重」
であったり、
「苦手なコースは、意外と得意なコースのすぐそばにあるものだ」
という、よくy級などで言われる表現などを考えてみれば、分かるというものだ。
鎌倉探偵も職業柄、
「陣実は、欺瞞のすぐそばにある場合も多い」
と一度ならず感じたことがあったのを思い出していた。
鎌倉氏は、マスターを見ながら、楓の話を聞いているうちに、
――依頼を受けたとして、果たして自分にこの件を解決できるのだろうか?
といういつになく自信のなさが感じられた。
普段であれば、引き受けようかと最初に感じた事件であれば、途中で自信をなくすということは稀であった。今までに事件の捜査中に負傷したり、圧力がかかり、捜査二ストップがかかったこともあったが、そのそれを乗り越え、事件を解決に導いてきたという自分なりの自信もあった。
しかし、引き受けようかと思っている事件で、話を聞いているうちに、どんどん気乗りがしなくなるというのも、実に珍しかった。
今までには少なくともなかったような気がする。
――確かに興味を持ったはずなんだ――
鎌倉探偵はそう思った事件は、事件のとっかかりとして話を聞いている間、どんどん興味を増していき、自分が事件に嵌っていくのを感じるのだった。
そんな自分が鎌倉氏は好きだった。
一種の、
「探偵冥利に尽きる」
とでも言えばいいのか、事件を愛欠に導くためには、最初の聴取が大切であることを、十分に分かっているからだった。
とりあえず、事件は引き置けるとしても、この気持ちをどうすればいいのか、鎌倉氏は分からなかった。
こんな気持ちのまま、探偵業務に入ったことはなく、正直言って、自信がない。
解決できるという自信がないというよりも、事実を解明できる自信がないというべきであろうか。
この言葉は、明らかに矛盾しているのだが、今の鎌倉氏には、そういう表現がピッタリだった。
――この事件には何かが絡んでいる――
と感じたが、それを解明しようとすればするほど、見えないアリ地獄に嵌ってしまうそうな気がして、目の前に見えるのが、底なし沼を想像させた。
――そういえば、いわゆる「底なし沼」ってどういうものなのだろう?
ということを今までにも何度か感じたことがあった。
――底なし沼というくらいなので、底がないということ、しかし、それでは地球の裏側まで行ってしまうということか?
などとバカげたことを子供の頃に感じたことがあった。
あくまでも「底なし沼」という表現は、抽象的な言い方で、本当に底がないなどということはないdろう。
ただ、一度嵌ってしまうと抜けることのできないものであるのは間違いない。助けようとするならば、沼のそばに木でもあれば、そこに助ける人が命綱を結び付け、その状態で助けに行かなければ、助けに入る人まで溺れてしまう。
しかし、実際に助けることができるかというのも問題である。底なし沼なのだから、沈んでいく人の体重がそのままかかっていることになる。相手が子供ならまだしも、自分と同じか、それよりも大きい人を助け上げるというのは、至難の業だ。
そもそも、助けに行く人のそばに、今言ったような装置を作るだけのアイテムが揃っているなどということは、マンガでもない限りありえないことでもある。
つまりは、底なし沼に嵌ってしまえば、その瞬間から、嵌った人は死の宣告を受けたようなものであろう。
そう思うと、山口氏の自殺というのも、それが事件ではない限り、すでにどこかの時点で死の宣告を受けていたと言ってもいいだろう。
誰かが彼に思想のようなものを感じていたのではないかとも思うし、編集者の担当者なのか、あるいは今目の前にいる依頼者である楓なのか、とにかく、誰かが彼の思想に気付いていなかったと言えるだけの確証はないような気がした。
鎌倉氏は、その部分をついてみた。
「山口さんは、死ぬ前くらいからどこかおかしいとおう雰囲気はありましたか?」
と聞くと、
「何かに悩んでいる様子はありましたが、自殺をするような雰囲気ではありませんでした。小説家なんだから、小説のことで悩んでいるとしたら、それを私が何とかしてあげられるとは思っていませんでしたので、敢えてそのことに触れるようなことはしませんでした」
というではないか。
――彼女はそうは言っているが、ひょっとして何かを言ったのではないだろうか?
という思いを鎌倉氏は抱いた。
何をいったのかは分からないが、その言葉が相手にいかなる印象を与え、その気持ちを逆なでするかのような印象を与えたかと思うと、鎌倉探偵は、彼女にも、今回のことがわだかまりとして残っているのではないかと思えた。
――後悔しているのかな?
とも感じたが、どうもそうでもないようだ。
「あなたがこ彼の死を不審に感じて、警察には相談しましたか?」
「ええ、話は一応してみました。でも、私がハッキリと自殺したわけではないという確証を口にできなかったことでm警察の方は、ただの戯言だとして見られたような気がします。確かに私には彼が自殺ではないとハッキリと下根拠があって言っているわけではないんです。言えるとすれば、彼の性格からは自殺はないというくらいしかないので、それは確証ではなく、個人的な意見ですから、それを警察は鵜呑みにしてくれるわけもありませんよね」
と楓はいった。
「確かのそうでしょうね。それであなたは、そのまま引き下がったんですか?」
「あの場合はそうとしかできませんからね」
「じゃあ、出版社の方はどうだったんです?」
「出版社の方としては、編集担当者の人の意見がすべてでした。彼とすれば、私と同じように、作品に対しての悩みを感じてはいたけど、自殺をするというような感じはなかったという意見でした。もちろん、自殺をしないなどという確証があるわけではありません」
「なるほど、二人が二人とも、自殺はしないと思っていたわけですね?」
「ええ、そうです」
「たった二人だけということなので、私もハッキリとは言えませんが。少なくとも複数の人間が同じことを感じていたのであれば、それは事実に近いものなのかも知れないですね。ただし。これは事実に近いという意味で、真実という意味ではありません」
「そうなんですね。だったら、いいんですが」
と、楓は鎌倉のいった言葉の含みの部分には何も感じていないようだった。
――おや?
と鎌倉氏は思った。
――彼女は、真実と事実という言葉を使い分けた私の話を、スルーしたかのように見えたけど。これは何かを考えながら上の空だったからなのか、それともわざとその話題に触れないようにしたのかどっちなのだろう?
と考えた。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次