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やる気のない鎌倉探偵

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 霊験強がなくなった時、彼女がどうなったのか、鎌倉氏は知らなかった。知りたいとも思わなかったと言った方が正解であろう。いくら宗教のためだとはいえ、あれだけ熱烈な恋愛をしていたのに、急にのめりこんでしまった宗教である。元々宗教に対して胡散臭さしか感じていなかった鎌倉氏は、自分の憤りの持って行き先を彼女にすればいいのか、霊験強にすればいいのか、分からなかった。
 得体の知れない宗教団体に対してよりおも、今までずっと一緒にいて分かり合っていると思っていた間が急に豹変したのであるから、怒りの矛策は当然っ彼女にということになるだろう。
 しかも、その怒りはハンパではなかった。明らかに自分は捨てられたという男としての屈辱迄味合わされたのだから、たまったものではない。
 彼女が入信してからはまったく音沙汰もなかった。訪ねて行ったことが一度だけあったが、信者でもない人間を入れるというのは言語道断というけんもほろろの態度で、完全な門前払いだった。
「信者ではないからと言って、一般市民に対してのあの態度、何様のつもりなんだ」
 と、誰でもが思いことだろう。
 それを見た瞬間から、彼女はもう別の世界にいってしまったということで諦めもついたようなものだった。
 もちろん、完全に吹っ切れるまでにはまだ時間が掛かったが、実際に絶縁を覚悟したのは、その時だったのだ。その時の心境は今でもハッキリと覚えている。忘れてしまいたことであるにも関わらず、忘れることのできない不可思議な感覚であった。
 彼女のことを吹っ切ったつもりになると、それまでしがみついていた小説家への意識も次第に離れて行った気がした。そういう意味では自分が生まれ変わった瞬間ではないかとも思える時であった。
 彼女と小説家という意識の両方を失った鎌倉氏は、しばらく鬱状態に陥った。その時のことはマスターがよく知っているが、
「本当に声も掛けられないくらいの雰囲気で、正直いうと、そんな表情でうちの店に来ないでほしいなんて思ったくらいだったよ」
 と、今だから言えるというようなセリフを吐いたことがあったが、もちろん、悪気のあるものではなく、親しき仲の毒舌だったのだ。
 鎌倉氏もよく分かっていて、逆に、
「マスターのような人がいてくれたから、早く立ち直れたのかも知れないな」
 と言っていたが、同時に、
「あの鬱状態の時のことで記憶が残っているのは、この店のことがほとんどだったんだ。だからこのお店のイメージは、鬱だった時のイメージが強烈に残っているので、何かを思い出すとすれば、真っ先に鬱状態だった時のことになるんだよ。実に皮肉なことだよね」
 と笑いながら言っていたが、本音に違いないことはマスターも分かっていることであろう。
 しかし、鬱状態の時、立ち寄るのはこの店しかなく、自分の部屋にいてもいたたまれなくなるだけで、表に出ても、自然と足はこの店に向いてしまう。だから、鬱状態の時の記憶のほとんどがここにあるのは、あながち間違いではない。他の場所と言っても、それはただの時とともに通り過ぎていく心境と同じだったからだ。
 鎌倉氏は、べつにこの店で愚痴をこぼしたり、管を巻くようなことはなく、黙って佇んでいるだけだった。マスターは苦笑いをするしかない。
「おかえりください」
 と言える立場でもなく、言える立場でもないことは分かっている。
 しかし、本当は、
「しっかりしろよ」
 と言いたかった。
 そんな鬱状態の鎌倉氏など見たくもなかったし、実際に見れるなんて思ってもいなかったからだ。
――この人には鬱状態なんて、関係ないのかも知れないな――
 と思い、そんな彼を密かに尊敬していただけに、人並みの鬱状態が訪れたことに少なからずのショックを受け、それほど鬱状態というものは誰にでもいつ襲ってくるのか分からないものだと再認識させる結果になってしまったのだ。
 かくいうマスターも鬱状態には陥りやすいタイプだと自分で思っていた。しかし、その鬱状態のほとんどは学生時代までで、しかも、他の人がかかる鬱状態とは質が違っているような気がしていた。
 何が違うのかというと、陥った後の精神状態が違っているような気がした。他の人は、陥った鬱状態からは絶対に逃れることはできないが、なぜか鬱状態から抜ける前というものは予兆があるものだということを知っていた。
 しかし、自分が陥る鬱状態は、他の人よりも抜けやすいという意識があった。だが、逆に本当に抜ける時、つまりは自然に無意識な状態から抜けていく時というのは自分でも分からないのだと認識していたのだ。
 マスターは、自分のことよりも人のことがよく分かる方だった。
「人のことがよく分かるから、自分のことも分かるんだ」
 という認識があり、この認識を最初に感じたのはいつだったのか、中学時代くらいからだったような気がした。
 どこか鎌倉氏と似ているところがあると感じてはいるが、それがどこなのか、すぐには分からなかった。最初は、
「傷つきやすいところかな?」
 と思っていたが、そうでもないようだ。
 確かに傷つきやすいというところは似ているのであるが、それだけではない何かがあるような気がする。
 それは、傷ついたそれがどういう種類のものか、どこから来るものなのかを、冷静に分析しようとする姿勢である。そして、結局は自分を客観的に見ることでその答えを見つけることができるという結論に至った経緯が似ているのだと思うのだ。
 この経緯に関しては、誰もが抱けるものではないと思っている。どちらかというと、普通の人に抱けるものではなく、抱こうとすると、自分が変わらなければいけないという意識を持たなければ感じることのできないものだと思っていた。
「誰にでもできることというのは、意外と何かのきっかけがなければ、掴むことのできないものなのかも知れない」
 と思うようになった。
 誰にでもできるということは、何もしなくても、誰にでもできると思われがちだが、できることと、できないことの二種類があるという意味で幅が広いものなのかも知れない。
 それを思うと、マスターも今まで生きてきて、お店をやりながらいろいろな人を見てきたが、それも自分の人間観察に一応の自信があったからできていると思っていた。
 だが、鎌倉氏と出会って、
「こんな人もいるんだ」
 と、何度も感じさせられて、それで得られることができた感覚に、驚きというよりも、逆に、
「どうして今まで気付かなかったんだろうな>?」
 という思いがあったことに疑問を感じるほどだった。
 店をやっていると、いろいろな人にも出会えるし、その中で自分を顧みることができることで、
「今からでも何かを始められるんじゃないかな?」
 という感覚になってくるのを感じていた。
 マスターは鎌倉氏が落ち込んでいる時、なまじ慰めたりはしなかった。何よりも鎌倉氏は自分よりもしっかりしている相手だという意識があったので、自分が慰めるなどおこがましいという考えもあり、それだけではなく、下手に慰めようとして失敗すれば、鎌倉氏だけではなく、自分までもが立ち直ることのできないほどの落ち込みを感じることになるのではないかと思ったのだ。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次