やる気のない鎌倉探偵
しかし、大人になってから自殺を試みると、その正解不正解は誰が判断してくれるというのだろうか。判断が難しいようなことを試みる自体、いけないことだという意識はあるおだが、自殺をすることに対して、
「悪いことをしている」
という意識はなぜか薄いものなのだ。
何よりも、自殺をするということがまわりに与える影響について、大人になれば考えてしまう。
子供の頃であれば、親か友達くらいしか、自分が死んだ時に浮かんでくるまわりの人はいないだろう。
では大人になればどうなのだろうか? 人間関係においては、子供の頃とは格段に自分に関わっている人の数は違ってくるだろう。そうなると、浮かんでくる人の数も結構いるのではないかと思いがちだが、考えてみると、浮かんでくるのは親や恋人、本当に身近な人ばかりである。
思い浮かばないわけではないのだろうが、無理に他の人のことを考えないようにしているふしを感じる。
死に対して考える時、ほとんどの人は頭の中から消え去るのだから、残った人たちだけのことを考えればいい。本当に死を意識した人は、瞬時に誰と誰が、自分の中で思い出せる相手になるかということを自覚しているように思えた。
「死ぬということを考えただけで罪悪のように思えた時期があったけど、他の人がよく言うように、自分の命を自分で勝手に扱ってはいけないという発想は。宗教から来ているんでしょうね。しかも、それは考えてはいけないという理屈のもとの発想としてね」
と、マスターは言ったのだ。
「そういえば、宗教という話だと、何となく、山口さんでお身当たるふしがあるわ」
と、楓は言った。
「それはどういうことですか?」
と、軽い気持ちで、それこそ形式的に鎌倉は聞いた。
「あの人、小説のネタにするからと言って、ある種の宗教団体に、入信めいたことをしたことがあったの」
というと、マスターが、
「ほう、宗教団体にですか? 何となく怖い気がしますが」
というと、楓も少し低い声で、
「そうなんですおy。私も最初は怖かったんですけどね。でも、そのうちにその宗教の話をまったく私の前でしなくなって、そのうちに仕事の話もしなくなったんです。そのうちに私に会うことも何なりと理由をつけて会おうとはしなくなったんです。そのうちに作品ができてきて、それを読むと、その内容には宗教団体の話が出ていたんですが、その宗教団体は結構いい団体のように書かれていて、きっと実際に経験しなければ書けないと思うほど、うまく書けていたんです。内情に詳しく書かれていたというか、教祖の気持ちまでも繊細に書かれていたんですね。それを見た時、彼は入信したのか、それとも教祖からマインドコントロールでも受けているのかとドキッとしたくらいでした。でも、そのうちに遭ってくれるようになって、その間のことがまるでウソのようだったんです。そのせいでずっと私もそのことを忘れていたんですが、なぜ、あの自殺の時に今の話を思い出さなかったのかって思うくらいですね」
「ということは、その宗教の話はかなり前のことだったんですね? 自殺を敢行した時に思い出せなかったというほどだから」
とマスターがいった。
「ええ、そうですね。実際にその窮境団体というのは、今は存在しませんからね」
と楓がいうと、
「それはいつのことですか?」
と、やっと鎌倉探偵が口を開いた。
「今から四年くらい前のことですね」
「その団体というのは?」
「名前は確か、霊験教とかいう名前じゃなかったかしら? もちろん、彼の小説では違う名前で書かれていたけど、その実情は霊験教に間違いないと思うんです。彼が気になる宗教として名前を挙げていたのが、この宗教だったからですね」
と楓がいうと、
「霊験教ですか。あそこは確かに三年くらい前になくなったという話を聞いていましたね。実際にはかなりの悪徳な宗教だったようで、なくなった時というのは、警察の捜査が入り、テロができるほどの武器などを供えていたということで、『凶器準備集合罪』が適用されたような話を聞いたことがありました。でも、その後にできた『テロ防止法』のようなものにも引っかかったと聞いたような気もします」
と、マスターが説明した。
「マスター、詳しいんですね?」
と楓に言われて、
「ええ、霊験教に関しては、以前ここの常連さんで入信していた人がいて、途中で抜けられたんだけど、かなりヤバい団体だというようなことを言っていたことがあったんですよ。だから覚えていたんだし、その時に宗教団体の怖さというものを感じたのかも知れないと思ってですね。確かに昔からテロ行為を行いそうな宗教団体は結構存在しましたけど、自分の身近にはそんな人はいませんでしたからね。それを思うと、お客さんに宗教団体に入京している人がいると思うと、とたんに身近に感じられて、それだけでもゾッとするような気分になったものです」
というマスターの話もかなり具体的だ。
「ひょっとすると、それが彼らの狙いであり、真骨頂なのかも知れませんね。信者にはマインドコントロールを掛けて、そのマインドコントロールの掛かった信者から、宗教団体に対して余計な関心を持たないようにさせるための伏線を敷くようなですね」
と、楓はそんな具体的なマスターの話に感じるものがあったのだろう、そう言って答えた。
「本当に宗教というものは恐ろしいんだなって思いますね」
とマスターがいうと、じっと考え込んでいる鎌倉氏は、それまでに見たこともないような真剣な表情を浮かべていた。
それは彼の関心の深さを示すものではなく、話を聞いているにつけて、次第に深まっていくアリ地獄のようだった。
マスターの悲哀
鎌倉氏も、以前小説を書いていた時、霊験教という宗教の存在をしっていた。それどころか、入院している人が身近にいたのだが、それを知っている人は今ではほとんどいないだろう。しかも、彼が付き合っていた女性で、鎌倉氏はその女性が自分の前からいなくなってからというもの、今までずっと独身を通してきたのだった。
この話は、本当にごく身近な以前から、つまりは小説を書いていた頃からの知り合いでないと知らない事実で、マスターも実は知っているが、警察関係者でも知っている人が今どれくらいいるかというのも、よく分かっていないくらいだった。
だから、何かあれば訪れてくる門倉刑事も知らないことであった。一度彼が結婚について訊ねたことがあった。
「鎌倉さんは、ご結婚なされないんですか?」
というと、一瞬暗い表情になり、
「いや、相手がいないよ」
というので、
「そんなことはないでしょう。鎌倉さんくらいになれば、引く手あまたでしょうに」
というが、鎌倉氏はまったく載ってこない。
すぐに、
――これはまずい話題なのかな?
ということに気付いた門倉刑事は以後あまり結婚について鎌倉氏には聞かないようになった。
この手の話題に対しては鎌倉氏であれば、それなりのリアクションを示してきそうで、門倉刑事にしてみれば、
――きっとテレるに違いない――
と思っていただけに、載ってくるイメージのない鎌倉氏に対して、触れてはいけない話題だったことに気付いたのだ。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次