やる気のない鎌倉探偵
「殺害されたとは思っていないんですよ。もし、殺害されたのだとしても、その捜査まで依頼しようとは今は思っていません。私は自殺という結論に疑問を感じているだけで、もし自殺でないとすれば、事故なのかとも思うくらいです」
と言われて、
「でも、確か遺書はなかったんだけど、遺書らしく小説のような文章はあったんでしょう? それを見れば一番事故という可能性は低いんじゃないですか?」
というと、
「そうは思います。でも彼がどういう意思で書いたのかとまでは分かりかねますが、彼の性格からすると、思ったことはいつ何時でもメモするくせがあるんですよ。あれを、小説のネタのつもりで書いたのだとすれば、逆に自殺というのはおかしいでしょう? これから書こうと思うネタをメモに残しておくという感覚が分かりません」
と彼女はいった。
だが、鎌倉の考えは少し違うようだ。
「でもね、小説家というのは、意外と死を意識している場面でも、何かを思いついたら、書き留めておくものなんですよ。それは癖というべきか、習性というべきか、習性であるならば、それはあくまでも死ぬまでは続けるということであろうが、死を前にしてという段階で、それはもう死の領域に入っているのか、入っていないのかということが彼にとっての問題なのかも知れないね」
というと。
「そういう意味で行くと、私が考えている先生は、まだ死というものに入り込んでいない時で、あれは遺書というよりも、覚書に近いものだと思えて仕方がないんですよ。だからと言って、あれが自殺ではなく、事故だという理由にはなりませんけどね。事故という可能性が限りなく低いとは私も思っていますからね」
と楓は言った。
それを聞いて、マスターが口を出してきた。
「人が死を意識する時って、いったいいつなんでしょうね? 自殺する人って、日ごろから死を意識していて、絶えず死にたいと思っているんでしょうかね? もしそうだとするならば、早い段階で死んでしまわないと、次第に死ぬ勇気がなくなってしまうような気がしますよね」
「それはありますね。また、自殺をする人って、リストカットなどで、躊躇い傷がたくさんあるというじゃないですか。まず最初に死ぬというのを意識するのって、どういう心境なんでしょう? 例えば、肉体的な苦しみを感じるのか、それとも、死んだ後に、まるで魂だけが生きていて。後悔するのが嫌だという感覚に見舞われるというそんな感覚なんでしょうかね」
と、楓が言った。
「そのどちらもまったく関係のないような話にも聞こえるけど、発想としては通じるものがあるような気がするんですよ。例えば、マスターの話で死を意識する時って話題が出ましたよね。それは、死にたいと漠然と思ってから、死を覚悟するまでの間に、どれくらいの時間が必要かということでしょうね。そして。その間に死を怖く感じて、死にたくないと思う場合も出てくる。その場合は、死というものに対してどう考えるかということが影響してくる。苦しいから死にたくないという思いなのか、それとも、もっと何かをやりたかった。死ぬと未練が残るという思いなのか、どちらにしても、そんな思いが頭を巡るのは間違いないでしょうね。それが死を覚悟できる前だったら、死を思いとどまったりするんじゃないですかね。だから、自殺しようとしている人への説得で、死ぬのが痛いとか、苦しいとかという説得をするわけではなく、やり残したことはないかなどということを話して、自殺を思いとどまらせようとしているんじゃないですか?」
と、鎌倉氏は言った。
「なるほど、それは一理あると思います。でも死ぬということをどのように捉えるかは、本当に人それぞれですよね。天寿を全うしても、自分のやりたいことが見つからず、ただ一生を終えたという人もいれば、最後は自殺した人でも、世の中に強烈なイメージを残している人もいますからね。ただ一つ言えることは、誰でも最後には死ぬんです。人間が自分で選ぶことができるのは、生まれてくることと、死ぬことなんです。市はいつ訪れるか分かりませんが、死のうと思えば、どうやってでも死ぬことはできます。ただ、絶対にできないのは、生き返ることなんですけどね」
と、まるで禅問答のような話をマスターがしてくれた。
「死ぬということが怖いと思っている人は何が怖いんでしょうね。正直、子供の頃は苦しいから嫌だという意識しかなかったと思うんですが、今の方が、死に対して怖い気がしますものね」
と、彼女が言うと、
「いろいろあると思いますよ。人によっては人が死ぬ場面を目撃したりするとかなりのトラウマが残ってしまい、血が噴き出した瞬間を、その時に、自分の記憶として納めてしまうんでしょうね。だから、思い出さないようにしてしまう。でも、一旦死について意識してしまうと、どうしても思い出さなければいけなくなってしまう。その時に、死の瞬間を見た時の記憶が、それ以前に自分が感じた恐ろしい思い、例えば死にそうになった病気の時のことであったり、大きな怪我、例えば交通事故に遭った時の記憶とかと結びつけられるかどうかで、決まってくるんじゃないですか?」
と鎌倉氏は言った。
「結局、人間というのは、過去の記憶に目の前の出来事を結び付けようとする。時に子供の頃は無意識にでもそうなってしまうんでしょうね。だから、それを怖いと思っているから、怖い過去は思い出さないようにしようと思う。その反動が夢に来ているんじゃないかって僕は思っているんですよ」
とマスターが答えた。
「それはどういう意味ですか?」
「子供の頃の方が、何でもリアルに受け止めてしまう感覚が強いんじゃないかって僕は思うんですよ。つまりですね、大人になれば、それだけ経験もしている分、ごまかし方も覚えてきた。でも、子供の頃はそんな知恵もない。だから、リアルな感覚をまともに感じるのは子供の時の方なんでしょうね。そのためによく言えば素直なんだけど、悪く言えば、すべてがネガティブにしか感じられなくなってしまっているということなんでしょうね」
マスターは、子供の方が、リアルな感情を持っていると言いたいのだろうか。
マスターは続けた。
「すみません、本当は私が土足でお二人の話に入り込んでしまってはいけないとは思ったんですが、どうも我慢できなくて、僕も小さい頃に自殺を試みたことがあったんですよ・実際には死ねませんでしたけどね。でも子供の頃の自殺と、大人になってからの自殺では明らかに違うんですよ。私が思いますに、子供の頃に自殺しようとして失敗すれば、
「あの時死ななくて、本当によかった」
と思うでしょうね。でも、これが大人になると、
「あの時死ねなかったことが、どういう影響を及ぼすか?」
ということになる。
それだけ子供の頃の自殺には、自分として許せないところがあるのか、それとも、子供の頃の自殺は納得が行くことではないと思っているからなのか、あるいは、自殺しなかったからこそ、今の自分がいるということで、自殺しなくてよかったと感じることの証明でもある。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次