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やる気のない鎌倉探偵

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 作家の持っている著作権や、出版社が持っている出版権など、いろいろな権利が存在しているが、新参のネット業界でも、その権利を巡って、ネット内部というよりも、出版社などの今までの繋がりに横恋慕しようという狙いが、ネット運営の人にはあった。
 高額で権利を買ったり、出版権をいかにネットで得るかということが話題になってきている。いくら本が売れなくなってきたとはいえ、芸術としての作品は、そう簡単に色褪せるものではないだろう。
 そういう意味でのこの作家による自殺という事件はセンセーショナルだった。
 彼の書くミステリーは結構売れていた。時代背景は今ではなく、今から五十根くらい前の時代を描いていた。
 ほとんどリアルな時代を読者は知らないはずで、もっと言えば、作者自体も知らないはずの時代。調べられると言っても、実際に生きていなかった時代なので、リアリティに欠けていてもしょうがないだろう」
 という覚悟を持って皆読んでいるはずなのに、読んでいると引き込まれるというか、その雰囲気はリアリティがなければ描くことはできないだろうと思われるような作品ばかりだったのだ。
「私はこの時代には生まれていないが、この時代に住んでいたという友達に話を聞いた。その友達というのは、私の夢に現れて、いろいろと過去のことを教えてくれるのだ」
 という嘘か本当なのか分からない話をしていた。
 ほとんどの人はやはり、
「小説にリアルさがあると言われて、調子に乗っているのさ。そんなバカなことあるはずないだろう」
 と言っていたが、他のファンの間では、
「何をいまさら、そんな誰も信じてくれないような話をする必要がある? せっかく本も売れているんだから、読者に余計な刺激を与える必要なんかないんだよ。それをわざわざ口にするというのは、本当のことなのかも知れないと僕は思える」
 という話も囁かれるようになった。
「ウソつき作家」
 というレッテルも貼られ、
「彼には何か特殊な能力があるのでは?」
 というエスパー説もあったくらいだ。
 だが、そのうちに、
「僕は未来のことも見える。僕は自殺することになるかも知れない」
 と言った。
 さすがにそれまでは擁護派だった人も、庇いきれないと思ったのか、口をつぐんでしまったが、そんな彼が自殺を本当にしたのだから、これはセンセーショナルだった。
「予言した時は自殺をするような雰囲気はまったくなかったんだから、この自殺は本当に予言だよ。いくら自分を正直者に見られたいからと言って、本当に自殺をする人間なんて、いるわけはないじゃないか」
 とウワサをする人もいる。
 ただ、本当に自分の予言を的中させたいがために自殺をするという考えは、誰も持っていなかっただろう。
 遺書として、誰か特定の人に渡してほしいというものはなかったが、そこには彼の自殺への意識が書かれた文章が置かれていた。それは自殺をするにあたっての心境ではなく、自殺をしていく時に自分が感じるであろう内容だった。

「こんな高いところに足を掛けるなど、今までの私にはなかったことだ。高所恐怖症の私が、下を見ることなどできるはずもない私が、これから死にゆく身を感じてか、恐怖をマヒさせるがごとくに、足をどこに置いていいのかも分からずに、果たしてどれだけ飛び降りることなく何かを考えていることができるであろう。さぞや襲ってくる恐怖にのた打ち回る気分になっているかも知れない。
 いや、逆に気持ちとしては晴れやかだったりするのだろうか? 目の前を通り過ぎる一陣の風が、湿気と一緒にまるで石をかじった時のような嫌な味を感じるだろう。
 あれは小学生も頃だった。公園のブランコで遊んでいると、後ろからふいにイヌに吠えられ、不覚にも手を離してしまったことで、背中から落っこちたことがあった。運悪く背中には小石があったようで、息もできないくらいの苦しさに、たまらなくなっていた時、湿気を帯びた風と、何か石をかじったような嫌な臭いがした。
 息ができないのに、そんな感覚を味わうことなどできないはずなのに、確かにその時僕はその匂いを感じていたのだ。
 その時に感じた匂いを、飛び降りる寸前にも感じるのではないだろうか。足を掛けたその時に、すでに感じているような気がした。
 怖いと思っているくせに下を見ようとする。怖くてたまらなくて、足が竦んでしまっている。目の前が真っ暗になるのが早いか、それとも遠近感が取れずに、フラフラしているのを感じるのが早いが、ハッキリと見えないくせに何を感じるのかということは分かるような気がする。
『どこに落ちれば一番苦しまずに済むだろう?』
 という思いであった。
 なるべく遠くに飛んだ方が、痛みは楽な気がする。真下に落ちるとそのスピードはハンパではないだろう。ただ遠くへ飛べばそれだけ距離が出る。距離と時間が掛かれば、それだけ加速するというもので、結局は地面に就く瞬間のスピードは変わらないのではないだろうか。
 いや、そんなことよりも、一気に死んでしまった方が楽ではないか?
 ゆっくりと地面に落下すれば、少しは楽なのかも知れないが、死にきれずに苦しみを悪戯に味わうことになるように思えた。一気に加速して、あっという間に即死した方が、苦しむことはないだろう。そう思うと自殺の着地点は増したがいいに決まっている気がする。
 そんなことを考えているということは、僕はまだまだ死に対しての覚悟はできていないということだろうか。死ぬということへの覚悟か、あるいは、万が一にも息残るということを暗示できない自分への恐怖からか、余計なことを考えているくせに、その考えは偏ってしまっているのだった。
 怖いわけではない……と思う。覚悟は最初から決めている。そうでなければ死のうなどと思わない。
 僕は以前、リアルな小説を書いていると言い続けてきたが。果たしてそうだったのだろうか。今ここで死に直面している自分の方がよほど、リアルな感じがする。
 今だったらこのまま死ぬことをこんな文章にどうしてできるのか、分かる気がするが、ひょっとすると次の瞬間には、その気心は過ぎてしまっているのかも知れない。
 前に死について予言したが、今はあの時のようなのほほんとした気分ではない。あの時もそれなりにゾッとしたものを感じていたが、こんな文章がどうして書けるのか、自分でも分からない。
 人間なんて面白いもので、死を目の前にすると、覚悟が決まるというが、そんなことはない。昔の特攻隊の人は、死ぬことを覚悟に決め、遺書を家族に残して飛び立った。いよいよという時に、死を感じた時、何を思ったのだろう。今の自分と同じことを考えているのかも知れない。
 しかし、死にきれずに生きて帰ってしまうと、普通なら、
『よかったよかった』
 なのだろうが、そうはいかない。
 いつまた出撃を言われ、死んで来いと言われるか分かったものではない。生きて帰ってしまっても、それは死んでしまった命なので、また死ななければいけない運命なのだ。それはきっと辻褄を合わせるというだけの形式的なもので、感情論などはまったくないのだろう。すでに特攻隊までの時代に入ってくれば、誰も何も言わない。ただ、死だけを目標に散るだけである。
作品名:やる気のない鎌倉探偵 作家名:森本晃次