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短編集101(過去作品)

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 自分がヒーローになったような感覚でテレビを見ていると、主人公に憧れるのも無理のないことだろう。友達にも大なり小なり同じ気持ちだった連中がいるのだろうが、誰も口にすることはなかった。テレビのヒーローに憧れるということを口にするのは、何となく恥ずかしいというイメージがあったのだ。
 それを感じたのは最近になってのことだった。
 当時の恥ずかしいというイメージが却って靖に強烈な意識を植え付けた。誰も口にしないということは、誰もヒーローに憧れを持っていないという構図を頭の中で作ってしまったのだ。
――自分こそが正義のヒーロー――
 そう感じていた時期が小学校を卒業するまで続いていた。
 特撮やアニメを小学校卒業まで見ていたなど、友達には言えなかった。何となく恥ずかしいという思いがあったからである。
 恥ずかしいという感情は子供にとって一番強い感情だったのかも知れない。誰にも言えず、一人で抱えているということは時には辛いもので、辛いからこそ誰にも知られたくないと思う。堂々巡りでもあった。
 交通事故の時に桜の木を見たのが最初で、不思議なことに、桜の木を夢で見ると正夢に近いイメージがあったのだ。
 善悪についての意識が強いあまり、小学生の頃の出来事がどうしても靖の中にトラウマとして残ってしまうことがあったが、それも桜の木を夢で見た内容が正夢となって訪れたのだった。
 靖には弟がいる。二つ下の弟なのだが、いつも靖のそばを離れなかった。
 靖が兄としてしっかりとした存在だったかどうか、自分では意識がなかったが、親や他の大人から見れば、
「しっかりしたお兄ちゃんだこと」
 と思われていたようだ。面倒見がいいのかは分からないが、ただそばにくっついている弟を煙たがらずにいるただそれだけのことが、
――弟思いのお兄ちゃん――
 というイメージをまわりに植えつけていたのかも知れない。
 靖はどちらかというと冒険心の強い子供だったかも知れない。友達と一緒に遊ぶ時間よりも、弟と二人だけでいる時間の方が多かったようにも思う。友達と一緒だと目立たない靖だったが、弟と二人の時は、自分が主役である。
 主役であるということを、
――責任が重たいことなのだ――
 という意識でいたわけではない。あまり深く考えることのなかった靖にとって、弟を子分のように思っているだけだった。
 まあ、子分と言っても、無理な命令をするわけではないので、どちらかというと一心同体のように見えたことだろう。
 一人ではできないことでも、もう一人いれば……。
 という感覚は、友達から見れば羨ましかったに違いない。
 そのことは分かっていた。友達に対して心の中で、
――どうだ。羨ましいだろう――
 と言っていたのだ。恨めしそうに見られることの快感を知ったのは、その時が最初だった。
 弟は名前を高志という。
「兄が安いから、弟が高いんだ」
 と冷やかされたが、
「安いの字が違う」
 と言って言い返した。親が安易につけた名前なのだろうとずっと思っていたが、親には親の考えがあったようだ。野球好きの父親が、当時の好きな球団のエースと四番バッターの名前を子供ができて、男の子ならつけたいと思っていたらしい。親に罪はないが、迷惑な話である。
 弟の高志とは、よく池や川に釣りに行ったものだ。川と言っても、近くの小さな川、むしろ池の方が危なかったかも知れない。
 まさか自分たちが池の恐ろしさを思い知ることになるなど知る由もなかったこともあったが、それよりも、いつも来ているので安心だという意識の方が強かった。
 風の強い日だった。途中にある公園の桜も、風によって散っているのが見えたが、見事な桜吹雪であった。ポカポカとした暖かさのせいか、強い風も桜吹雪もすべてが心地よく見えたものだ。
 いつものように弟と釣りに来ていた。竿やバケツを持っていたので、釣りに出かけることは親も知っていたことだろう。
「あまり危ないことをしてはいけない」
 と言われていたが、勝手知ったるいつもの遊び場、天気が悪いわけでもないので、安心していたに違いない。
 風の強いことは分かっていたはずだ。
「気をつけなさい」
 の一言くらいあってもよかったかも知れない。
――風が強すぎて、声が聞こえなかったのかも知れない――
 後から考えると、そうも感じた。
 水面に波紋が広がっている。浮き輪が流されるのではないかと思えるほどの風だが、心地よさに騙されて、襲ってくるのは睡魔だけだった。
 波紋の影響で、小刻みに揺れている浮きが、軽く浮き沈みしている。なかなか魚も掛かってくれないが、それは最初から覚悟の上、それよりも陽気に誘われて眠くなってしまう方が怖かった。
 雲が流れているのを見ていた。腰を落ち着けて土手に座っているつもりだったが、流れる雲を見ていると、腰が勝手に浮いてくるのを感じる。
 空の大きさに魅了されていると、自分がどれだけ小さなものなのかを認識させられる。弟もそうだったに違いない。
「兄ちゃん、宙に浮きそうな感じだよ」
 と空を見ながら弟が言っていた。
 宙に浮きそうな感じは靖にもあった。特に首を上に向けて空を見上げると平衡感覚が麻痺してしまって、風がなくとも危なく感じられるだろう。少し被害妄想的なところがあるので、誰もいなくとも人の気配を感じたりしてしまう靖にとってはこの突風は辛いものだった。
 弟は靖に輪を掛けて平衡感覚が鈍かった。運動音痴で、鉄棒、跳び箱は苦手、一輪車など、うまく乗れるはずもなかった。
「運動神経の鈍さは遺伝だったのかも知れないな」
 後になって父親が話していた。
 本当であれば、風の強い日に釣りなど無謀だったのだろう。だが、前から釣りには出かけるつもりでいたし、いつも遊んでいる場所なので、それほど危険はないとたかをくくっていたのは本当だ。
 大きなものが水の中に落ちる音を聞いた時、
――まさか――
 と思った。足を滑らせることは予想していたとは言え、最悪の想定だったからだ。
 近寄ってみると、池で溺れている弟を見つけた。
――助けなくちゃ――
 と思いながらも身体がすくんで動けない。もがきながらこちらを見れるわけはないという意識があったのは確かで、それを考えると急に気持ちが落ち着いた。
――自分で助けるよりも、助けを呼びに行ったようが間違いない――
 そう感じてすぐに踵を返し、走り出した。
 踵を返す時にチラッと池の中を見た時、弟がこちらを見上げているように思えた。その表情は極めて冷めた表情だった。まるで氷のような冷たい視線は、今までに見たことのないものだった。
 一瞬立ち止まり、見てはいけないものを見てしまったような気持ちは良心の呵責に近いものだった。
――助けを呼びに行くんだから悪いことではない――
 という感覚になぜか後ろめたさが付きまとう。
 果たして近くに公衆電話があり、通行人が知り合いだったこともあり、至急救急隊へ連絡がつき、すぐに救助された。入院を余儀なくされたが、命に別状はなく、数週間ほどの入院ですっかりよくなった。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次