短編集101(過去作品)
人のことを疑ったりせず、まっすぐに前を見ることを信条とする性格は自分に合っていると思い好きだった。人からは好かれるが、あまり得な性格とは言えない。
最近になって分かったことだが、自己満足が強い性格と言える。自分に甘く、人に厳しい性格であったことには違いない。
自己満足という言葉、靖は嫌いではない。
――自分が満足できなくて、人のためになどできるはずはない――
と思っているからだ。
――自分中心で何が悪い。まず自分に余裕がなければ何もできないではないか――
余裕という言葉が、自己満足の中には隠れているように思う。
嫌なことは先に済ませてしまわないと気がすまない性格は今でも続いているが、以前は焦っていた。勉強などその表れで、宿題も遊びに行くよりも先に済ませていた。そうしないと安心できないし、楽しめないからだ。
もちろん、いいことである。それができずに親から怒られている友達の話を聞くと、
――どうしてこんな簡単なことができないんだろう――
と不思議に思っていたほどだ。
物事には表があれば裏もある。
――長所と短所は紙一重――
と言うではないか。嫌なことが先にしなければならないことと重なっただけのことである。嫌なことを先にしなければ気がすまない性格が決していい性格とは言えないことを大学に入って初めて気がついた。
人から指摘されたからで、その人が女性でなければあまり気にすることはなかっただろう。それまで親からいろいろ言われても、最初の頃は、真剣に落ち込んでしまい、いいことも悪いことも分からずに、すべてを悪い方に考えてしまうことが多かった。そのせいで余計な神経をすり減らすことになった。
だが、中学に入ったくらいから今度は、
――人の言うことなんか気にしなければ苦しむことはないんだ――
と思うようになり、気が楽になった。そのせいか、人から好かれる性格になったのだ。人のことを詮索しないが、相談されると相談に乗ってしまう性格は、たとえアドバイスが的確でなくとも聞いてもらえるだけで安心する相談者にとってはありがたいことだ。
その時に指摘してくれた女性というのが、かくいう今の女房の美奈子だった。性格の強そうに見えた彼女も結婚してからは、あまり夫にいろいろなことを言わない。元々余計なことは一切口にしないタイプの女性だったのだ。
だが、肝心なことだけは口にしてきた。だから、彼女が何かを口にすれば、それは真剣に聞かなければならないだろう。寝汗のことに関しても、あれだけ医者嫌いだった靖が病院に行こうと考えたのも、美奈子が強く勧めたからだ。
美奈子のことを強く意識し始めたのは大学に入ってから、それまでは意識の外にあったのは、友達のような意識と、子供の頃からのトラウマにあった。
大学時代から夢を見ると、覚えている夢は同じである。やはり試験の夢だったりするのだが、その時に必ず意識として残っているのは桜の木だった。
――ひょっとして本当のトラウマは試験ではなくて、桜の木を見たことではないだろうか――
桜の木の下には、昔から思い出がある。
入学式間近だった小学生の頃、交通事故に遭ったことがあった。幼稚園の頃といえば、表に出かける時は必ず母親か、幼稚園の先生が近くにいてくれたのだが、小学生になれば一人である。
幼稚園の頃、そんな意識はなかったはずなのだが、小学生になることを密かに楽しみにしていた靖は、桜が咲いて散る時期には小学生になっているという意識があった。
先生や親がそばにいなくても一人で行動できることが、靖にとっての密かな楽しみであった。
ませた子供だったという意識はない。何も考えていなかったはずなのに、一人で行動することを楽しみにしていたのはなぜなのかを考えていたが、最近になって何となく分かってきたように思う。
元々靖は、すべてのことを二者択一で考えてきたのではないのだろうか。それが善悪であったり、損得であったり、そう考えると、小学生の頃から善悪に関しての意識が強かったのを思い出していた。
意識してものを考えるのが他の子供よりも遅かった。小学生の三年生くらいまでは、何を考えていたか覚えていない。覚えていないということは、何も考えていなかったということで、無意識には考えていたとしても、それは意識の中のことではないので、やはり何も考えていなかったと言えるだろう。
勉強にしてもそうだった。
「ちゃんと勉強しなさい」
と言われても、なぜ勉強しないといけないかということが分からないと、勉強する気にはならない。
「どうして勉強しないといけないの?」
一度母親に聞いたが、その時にしばしの沈黙があり、
「それは、立派な大人になれないからよ」
という答えだった。その答えが今からであれば苦し紛れの答えであることは分かるが、その時にはそんなことは分からない。むしろ、しばしの沈黙があったことの方が子供心に疑問を与えたのだ。
――考えないと答えが出ないんだ――
と漠然と感じたことで、
――それなら、勉強するってことに意味はないのかも知れないな――
と感じた。自分にとって都合よく考えたのだ。
損得勘定で行動する自分をその時に感じていたかどうかは分からない。だが、それ以外に何があるかを今から考えても思い浮かばない。もし、また小さい頃から人生をやり直せるとしても、損得勘定でしか考えられない子供にしか戻れないだろう。
損得勘定以外には善悪に対しても敏感だった。
それは大人になればなるほど意識が強くなってきた。特に最近ではマナーを守らない人を見ているだけで虫唾が走るほど腹が立つことが多い。
特に電車の中など、携帯電話で会話してはいけないと言われているのに、捕まらないと分かっていれば、堂々と大声で話している人がいる。学生に多いのだが、中にはスーツを見に纏ったサラリーマンもいる。
――何も感じないのだろうか――
と考えると、自分の小学生の頃を思い出す。
――何が悪いか分からないからやめないんだ――
どうしてやめないか分かっているつもりである。だからこそ腹が立つとも言えるだろう。小学生ならまだ分かる。しかし大の大人がモラルということを分かっていないことに腹が立つのだ。そんな大人が子供に説教している姿を想像すると、恐ろしくなってくる。
少なくとも自分が小学生の頃の親や先生にはモラルがあった。いや、当時の大人には皆モラルがあったのだ。
むしろその頃の子供が今大人になってモラルを失っている。今の世の中が締め付け状態になっていることが招いたことではあるのだろうが、あまり見ていて気持ちのいいものではない。
靖自身、
――他人のことにどうしてそこまで腹を立てなければいけないのか――
と言い聞かせてみるが、子供の頃からの善悪に対しての考え方が抜けていない証拠であろう。
子供の頃に培われた善悪の気持ちについて、心当たりはある。
当時、テレビ番組は特撮ヒーロー物や、アニメのヒーロー物が多かった。すべてを善と悪に分けて、善が悪を駆逐するストーリーを当たり前のこととして見ていたのだ。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次