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短編集101(過去作品)

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池に落ちた弟



                池に落ちた弟

 靖は寝汗を掻くのを気にしていた。
 何度も夜中に目を覚まし、ぐっしょりとなった下着を着替える。一時間おきだったり、三十分おきだったりと、ひどい時は寝た気がしない。
「また汗を掻いたの?」
 眠い目をこすりながらハスキーな声を発する主は、隣で寝ていた妻の美奈子であった。
「ああ、そうなんだ。起こしてしまってすまないね」
「いえ、いいのよ。でも、少し心配よ。病院に行って診てもらった方がいいわよ」
「ああ、そうしてみよう」
 妻に言われないまでも、寝汗があまりいい傾向でないことは知っていた。だがなかなか自分から病院へ行こうとまでは思い切れなかった背中を、妻の美奈子が押してくれたのだ。
「いつから寝汗を気にするようになったんだね?」
「昨年くらいからですか。特に冬に多いんですよ」
 年齢的にはまだ二十歳代の後半、妻の美奈子と結婚したのは三年前、まだ気分的には新婚だった。
――妻に言われなければ病院行ってみようなどと考えなかったに違いない――
 どちらかというと医者嫌い。市販の薬に頼るところがあった。市販の薬にしても、大学までは信じていなかった。
――こんなものちょっと飲んだくらいで楽になるなら医者なんていらない――
 医者嫌いのくせに薬の効力を信じていなかったのだから始末に悪い。
 確かに大学に入るくらいまでは頭痛薬や風邪薬を飲んでも楽にはならなかった。それよりも風邪薬の副作用である睡魔だけは襲ってくるのが嫌だった。だから本当にきつくなるまで薬は飲まないようにしていたが、本当にきつくなるのは、病院に担ぎ込まれる一歩手前というところまで来ていたので、結局薬を飲むことはあまりなかった。嫌でも病院に引っ張って行かれたのだ。
 注射が嫌いというわけではない。病院の臭いが嫌なのだ。独特の雰囲気にあの臭い、耐えられるものではなかった。
「病気の苦しさに耐えられるのに、病院が嫌っていうのも困ったものだな。よほど医者が信じられないんだな」
「歯医者はどうしても信じられないね。以前虫歯になって行った時に、ひどい目に遭ったからな」
 麻酔を掛けて神経を抜いたのだが、歯茎の並びが悪いのか、医者がかなり苦労して麻酔を打っていた。
 そのためか、麻酔が流れ出ている。口の中に何とも言えない苦さを感じたか思うと、唾液にぬめりを感じ、そのまま痺れてしまった。
 嫌な予感がしたが、完全にまな板の上の鯉である自分には何もできない。医者を信じるしかないのだが、痛さを訴えても、医者は何もしてくれない。
 時間の感覚は麻痺し、恐怖だけが存在していた。普段ならキーンという音が気になってしまって、音に萎縮してしまうのに、その日は音がしても萎縮という感覚はない。何をされているのか分からないまでも、
――早く終わってほしい――
 という気持ちになるはずのものが、
――早く時間が過ぎてほしい――
 としか思えない。されている行為そのものよりも時間に対しての気持ちが強いということは、もはや時間に対しての感覚すらなくなりかけている証拠だったのだろう。
 やっとの思いで終わった治療も、麻酔が早く切れてしまって苦しんだ。病院でもらった薬を騙されたつもりで飲んだのだが、これが意外と効いたのである。
――今まで薬の効果など信じられなかったのに――
 と思っていた頃がウソのようだ。
 医者を信じられなくなり、薬の方が信じられるようになると、もう医者には行かなくなる。最近では、特に以前と違って医療費が上がったことで、医者に診てもらい処方してくれた薬を飲む方が安上がりだった時期があったことが信じられない。
 妻と医者を秤に掛けたわけではないが、病院に行くのにかなりの度胸がいったのは確かだ。だが、取り越し苦労だったようで、
「別に悪いところはありませんね。とりあえず、様子を見てみることにしましょう」
 と言われて、ホッとした。
「精神的に何か気になることでもあるんですか?」
「いえ、そんなことはないんですけど、学生時代の夢をよく見るというくらいですね」
「きっと心の中にトラウマとして残っているようなものがあるんでしょうね。私は神経内科ではないのでハッキリとしたことは言えませんが、肉体的なものよりも精神的なものの影響が強い気がしますね」
 と言われた。実際に大学時代というと、あまり成績もよくなく、就職活動に苦労した時のことは、今でも思い出したくないことであった。
 大学時代、就職活動の前準備として、それまでのキャンパスライフでいっぱいの頭を就職活動へと向けることが最初の苦労であった。四年生になれば、さっそくまわりの同級生も、学校側も、就職活動という言葉を嫌が上にも意識せざる終えなくなってしまう。
 トラウマと言えば大袈裟かも知れないが、その時にも確か寝汗を掻いていた時期があった。その頃は一人暮らしでもあり、誰も寝汗のことを気にする人もいなかったのであまり意識をしていなかった。だが、それでも時々同じ夢を見ることがあったが、今から思えば同じ夢を見る時に限って、寝汗は激しかったように思う。
 夢の内容まではハッキリと覚えておらず、断片的にしか意識はないが、試験の日は分かっていたはずなのに、勉強をしていなかったり、勉強をしようとしても、資料が揃っていなかったりと、焦ることばかりである。三年生までにそんなことはなかったはずなのに、あまりにもリアルで、自分でも、
――本当に大丈夫だったんだろうか――
 と思えるほど卒業できたことが信じられないくらいだった。
 就職活動は困難を極めたが、それでも無事に就職できた。コネがあるわけでもなく、何か自分では分からなくとも人が見ればどこかいいところがあるのではないかと思えるほど自惚れてしまいそうだった。
 春の時期というと、まだ寒い夜もあれば、だいぶ暖かい夜もある。冬の布団のままでいいのか少し薄めの布団がいいのか迷うところである。
 寒いからと言って厚手の布団を掛けて寝ると、決まって寝汗を掻いていた。仕方がないことだと思っていて、それほど大きな問題だとは思っていなかった。一時間おきに目を覚ましてシャツを着替えるようなことになっても、
――そのうちになくなるだろう――
 という程度であまり気にしていなかった。
 だが、夢の内容とは別に、いつも誰かに見つめられている気がしていた。その目に見つめられると金縛りに遭ってしまい逃れることができなくなる。
 ギリシャ神話で、絶世の美人なのに、髪の毛がヘビのメドゥサという化け物が出てくる。彼女に見つめられたら、どんな生き物でも石にされてしまうという伝説を思い出した。何が恐ろしいと言って、その魔力は死んだ後でも効力を発揮するというところに、女の執念のような恐ろしさを感じていた。目に魔力があるという話はこれ以外にもあるのだろうが、それだけ相手の目を恐ろしく感じるのは、今も昔も同じことである。
 元々、あまり身体のことを気にする方ではなかった。不養生といってもいいくらいで、身体のことを気にしないだけではなく、それ以外のこともあまり気にする方でもなかった。
 無頓着な性格は、大らかなところもあるので、大学時代には友達も多かった。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次