短編集101(過去作品)
三郎にとって読書が夢の世界と現実の世界との境界線にあることを無意識に知っていて、そんな世界に自分の身を置きたいと思っているのかも知れない。本を読んでいる時に感じる心地よさは睡魔からだけではないのかも知れない。
最近の三郎の一番の楽しみというと、寝ている時だった。趣味だといってもいい。
――何も考えずに寝ていることができれば幸せだな――
高校時代までは寝ていても、いつ怖い夢を見るんじゃないかと思ってあまり寝ることが好きではなかった。だが、高校を卒業する頃から、夢を見るのを楽しみにできるようになっていた。実際にはそれも長くは続かないのだが……。
きっともう一度見たいと思うような楽しい夢を見たからに違いない。だが、悲しいことにそんな夢に限って思い出そうとしてもオブラートに包まれたようにハッキリと思い出すことができない。
――もう一度同じ夢を見れば、間違いなく思い出せるさ――
と根拠のない不思議な自信があった。
「夢というのは潜在意識が見せるものだ」
という話を誰かから聞いて、その話を聞いた時に三郎の中で、まさに目からウロコが落ちる気分だった。考えてみれば確かに夢の世界では、何でも可能な気はするが、見ることのできるものというのは、自分が考えられる範囲内のものである。現実の世界で不可能だと思っていることはいくら夢の世界であっても実現は不可能だということである。
ただ夢の楽しみは、うまくやれば成功できたと、跡から考えて後悔することが多い人生の中で、やり直しができるのが夢の世界だけである。
後悔は現実の世界ではどうにもならないが、夢の世界では、後悔をバネにして、一歩踏み込むことで、うまくいくという世界を作り上げられる。それが夢の醍醐味であって、
――何度でも見てみたい――
と思わせるところなのだろう。
飽きるまで自分の欲に没頭することが信条であった三郎だが、飽和状態に慣れてくると、今度は少しずつ不安になってくる。本当は最初から不安だったに違いないが、我慢することで得られるものに疑問を感じていたことで、反骨精神ではないが、自分は無理のいる我慢をしたくないという思いが強かったのだ。
決して悪いことではないと思っている。我慢せずに欲に任せた行動で、積極的になり、他の人が怖がってできなかったことも自分からできたように思えるからだ。
――後悔したくない――
これが三郎の気持ちの根底にあった。こみ上げてくる気持ちを抑えるのではなく、吐き出すことで得られるエネルギーを大切にしようという気持ちさえあれば、欲に負けることはないと思っていたからだ。
実際に負けていないかどうかは分からないが、人それぞれで、一つのことに集中することは欲であっても事の真髄に迫ることができると信じていた。今まではそれでよかったと思っている。
しかし、今はある程度の飽和状態である。
寝ていて時々怖い夢を見るが、現実の世界での飽和状態に対する不安が夢となって現われるようになった。それまでは寝ることが趣味で、寝ることで普段の欲を適当に抑えていたようにも思える。
小学生時代に好きだった女の子がいた。まだ女性に対して、好き嫌いの感情が芽生える前だったので、本当の意味での好きだったのかと言われると疑問が残る。好きだったというよりも、気になっていたと言った方が的を得ている。
その子は四年生の時に転校していった。近くの街ではなく、他県の大きな街への転校だった。同じクラスから転校していった人はそれまでにもいたが、ほとんどが男で、女の子は彼女が最初だったのだ。
それまでに転校していった友達は、同じ県の都会がほとんどだったので、それほど遠くというイメージはなかったが、もう一度再会することがほとんど不可能なところに転校していったのは彼女だけだったのだ。
もちろん、今までに再会できずにいる。そんな彼女の夢を何度見たことだろう。
ほとんどが楽しい夢、再会して何をしたというわけではない。同じ彼女と出会う夢でも、小学生時代そのままの彼女との再会だったり、高校生になった頃の夢では高校生の彼女に再会した夢だったりする。
高校生の彼女が出てきた夢では、彼女との再会というシチュエーションではなく、ずっと同級生のままずっと友達として一緒にいて、時には告白を考えているような気持ちだったりしたくらいだ。
告白の夢を見るなんて、高校生の頃に付き合っている彼女のいない頃ではあったが、気になる女の子はいた。気になる女の子を差し置いて小学生時代に気になっていた女の子をイメージするというのは、女性の好みの原点が、小学生時代に気になっていた女の子だったことを示すもののように思えてならない。
潜在意識の中での彼女は、次第に三郎の中で膨れ上がっていたに違いない。欲を抑えようとせず、表に出すことを考えていた三郎ならではないだろうか。
さすがに大学時代になってから、小学生時代に気になっていた女の子の夢を見ることは少なくなった。それだけ大学というところでの出会いが多いのだ。毎日のように友達が増えていく。そのことに新鮮な喜びを感じていた。
――これほど友達が簡単にできるなんて――
高校時代までの自分の周辺は、他人に対してはピリピリしていた。自分の考えていることを他の人に悟られたくないという気持ちが強いのか、皆それぞれ探りあいか、まったく無視するような雰囲気があった。ぎこちなさが滲み出ていたのだ。
大学に入ると誰もがオープンに見えてくる。だが、中にはそんなオープンな連中を冷ややかな目で見ている人もいて、悲しいかなオープンな気持ちになっている三郎には冷ややかに見ている連中の気持ちが分からないで同じように接してしまうことが多かった。
融通が利かない性格でもあった三郎も、そのうちに気付いてくるが、なかなか修正が難しい。冷ややかな目で見る連中とは一線を画すようになり、そのうち心の中で毛嫌いするようになってきたのも無理のないことかも知れない。
三郎が喫茶「ノクターン」で本を読むようになって半年くらい経ってからだろうか。ミステリーから次第にいろいろなジャンルの本を読むようになった。
人助けをする内容の本を読んだことがあるが、それはまるで自分のことのように思えてきた。
――人助けなど、自分にはまったく無縁だ。どうせならこっちが助けてもらいたいくらいだよな――
と感じていたのに不思議なことだ。
といっても、何を助けてほしいのか漠然としてしか分からない。何か誰かに助けてほしいという意識はあるのだが。それがどういうことなのかピンと来ない。それは三郎に限ったことではないだろう。他の人も同じように思っているかも知れない。
人に心の奥を探られたくないと思い、あまり人と話をしない人や無意識かも知れないが相手の気持ちを探ろうとする人などを見ていると、きっと同じような気持ちなのだろうと思えてならないのだ。
しかし、子供の頃に見たアニメや特撮、あるいは時代劇などで、主人公がヒーローで人助けをすることに興奮を覚えたものである。冷静に考えれば、
――どこが人助けなんだ――
と疑問に感じるところも多いのだが、子供心に、胸のすく思いをしたのも事実である。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次