短編集101(過去作品)
三郎も小学生の頃に探検をした。その時の思い出が本を読んでいてよみがえってくることもあった。
だがたいていは、旅行に行った時のことが思い出としてよみがえってくる。名所旧跡を見るのが好きな三郎は、お城や武家屋敷などに興味があった。防空壕も歴史の中の旧跡だと思うことから旅行に行くと名所旧跡をまわるのが好きになったのかも知れない。
高校時代までの三郎はあまりお金には無頓着な方だった。旅行に出かけると、金銭感覚が麻痺してしまい、すぐに贅沢をしてしまった。せっかくの旅行、しょっちゅう出かけられるものではないのだから、少々の贅沢はかまわないだろう。
一度生まれ故郷ということで父親から聞いていた街に出かけたことがあった。別に何かがあるというわけではなく、
――まだこんなところが存在するんだな――
と思えるほど、寂れた街だったのだ。
街の地主という人がいるが、その人が昔から街を支配していて、まるで昔の封建制度が今も生きているようなところであった。そんな世界が今でも通用するわけもなく、街の人たちは都会に出て行ってしまい、ほとんど過疎化している街だった。
さすがに地主の家だけは、大きく聳え立っていた。父の話では親戚筋に当たるらしいのだが、あまり親交はないとのこと、それでも地主の親戚筋というのはほとんどが絶えてしまっていて、何かあれば一番の親戚は父ではないかということだった。
――お金があってもそれでは寂しいよな――
最初に話を聞いていて、寂れた街を見たので哀れな気持ちになったのも仕方がないだろう。少しでも盛んな産業があればここまで寂れることはなかったのだろうが、それも仕方がないことかも知れない。
喫茶「ノクターン」で自分の育った街、そして生まれ故郷の街を思い浮かべるのは、ミステリーを読んでいたからで、時代背景がどうしても生まれた街を思い起こさせた。
小説を読んでいる時だけは無欲になれた。時には小説を読んでいても、他のことを考えてしまうこともあるのだが、その時に何を考えていたか、我に返ってしまうと覚えていない。
小説を読んでいると、自分だけの世界に入り込んでしまうからであろう。自分だけの世界に入り込んでしまうために小説を読んでいるといっても過言ではないが、その時に違うことを考えてしまうというのは、まだ何か他に自分では気付いていない不安が募ってきているからかも知れない。
元々三郎は余計なことを気にする方であった。必要以上のことを考えてしまって、時間の感覚が麻痺してしまうほど、他のことが目に入らなくなってしまうことがある。下手をすれば電車に乗っていても、考えごとをしているために乗り過ごしてしまうということもあったくらいだ。
そんなこともあって、気持ちに余裕を持ちたくて喫茶「ノクターン」で読書をするようになった。それでも最初はなかなか落ち着かず、余計なことを考えたものだ。いきなり本を読むことで気持ちに余裕ができるくらいなら、そんなに苦労はしないというものである。
だが、気持ちの余裕というのは、その気になればできてくるものなのかも知れない。読書をすることで、自分の環境が変わり、そこで気持ちに余裕ができる。考えた通りになってくると、自分に自信も出てくる。大学時代というのは、そんな時代ではないだろうか。
――自分に自信を持つこと。あるいは、自分をよみがえらせること――
それだけでも大学に入った価値があると感じていた。
気持ちに余裕が出てくると、欲というものを考えるようになってくる。
欲が悪いというわけではない。欲を持つことが自分の中でエネルギーとして活性化してくれるのであれば、欲はありがたいことだ。
――何も考えていないよりもいい――
小学生の低学年の頃など、何も考えていなかった。今から感じるから何も考えていなかったように思えるのかも知れないが、思い出そうとしても思い出せないのは、やはり今の自分からは想像もできない発想をしていたからに違いない。
だが、それなりに欲を持っていたのは間違いないだろう。それを自分で欲だと感じることもなく、何をしていいのか分からなかった頃。そんな時期だったに違いない。
小さい頃から理屈っぽいことを考える子供であったことには違いない。算数が好きだったこともその一つで、どうして算数が好きだったかということは、その頃は分からなかった。
だが、自分の頭で理解できないことは、不思議に感じながら行動していたのだろう。だから頭の中で整理できないままの行動は、行動だけが先行し、記憶にも残っていないのかも知れない。
――どうして、これをしなければならないんだ――
という疑問がいつも頭の中にあったのかも知れない。それは勉強であってもそうだった。好きな算数は誰から言われるでもなく勉強していたが、他の科目はほとんど勉強しなかった。歴然とそれが成績に現われてくる。
「どうして、他の科目はダメなの?」
と親から責められても、納得させるだけの言い訳ができるわけもない。何しろ自分で理解していないのだから。
そんな心の矛盾が小さい頃の三郎にはあった。その頃からあまり記憶力がある方ではないと思っていたのだが、今考えると、自分で納得できないことは、最初から覚えておこうという意識がなかったに違いない。あくまでも無意識であるが、それがトラウマとなって、今でも物忘れが激しいに違いない。
それが直接の原因かは分からないが、必要以上のことを頭に詰め込むことは無理だと思うようになっていた。頭の中だって無限なわけはない。新しいことを覚えていけば、片方で、どんどん古いことは忘れていく。そのことを誰が意識しているだろう。三郎の頭の中では、意識して頭の中の記憶について忘れてしまうのも仕方がないという気持ちになっていた。
だが、面白いもので、時々知らないはずのことをふと思い出したように感じることがある。夢で見たことを起きてから思い出すのだろうが、潜在意識の中で見る夢が不思議な世界を形成していることを証明しているように思えてならない。
――読書をしているからだろうか――
夢の中で、時々出てくる昔の光景、それは本を読んでいる時に浮かんできたイメージそっくりであることに夢の中で気付いていることが時々あった。
今までの三郎であれば、きっと夢の中で気付くということはなかったに違いない。
夢の世界というのは、まったく現実の世界とは違うもので、自分の考えていることだけが夢として作られる世界である。
自分が普段考えていることは、逆に夢の世界だったりすることが多い、何となく矛盾したようにも感じるが、考えてみれば、現実の世界で見えているもの以外は、すべて三郎の夢の世界に繋がっているように思えてならなかった。
そう考えると、本を読んでいて、何か考えごとをしてしまうことも不思議ではない。本を読むと眠くなるというのは三郎だけではないだろうが、それが夢の世界へ誘っている途中ではないかという考えは唐突なことだろうか。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次