短編集101(過去作品)
そんなことを感じていると、予知能力が急に落ちてくるのを感じる。さっきまで感じていた事故が起こってしまった後に残る友達と母親の二人の心境が分かっていたはずなのに、急に分からなくなる。予知能力のすごさは、状況が分かるだけではなく、起こってしまった後の当事者の心境まで分かることだった。
――本当はそこまで知りたいとは思わない――
と思っていたが、起こってしまう事実だけが分かっても、その後の心境が分からなければ、中途半端な事実だけが分かっても、しばらくそのまま頭の中から離れずに尾を引くことになるだろう。
その時の心境は居たたまれないものである。本当であれば数日頭に残ってしまって、その後の生活にも影響してしまうだろう。最初に予知した時はそうだった。二、三日記憶に残った後、何となく精神的に落ち着かない。普段と違っていた。
――何を考えてもすべてが悪い方に考えてしまう――
元々、身体が不自由になってから傾向はあったが、そんなにひどく考えることはなかった。
慣れてきていると言えば語弊があるだろうか。
――仕方がない――
と、どこかで割り切らなければいけないという考えが根付いてくるようになっていた。
それを鬱状態だと気付いたのは、最初の事故を見た時だった。事故を予知したことを誰にも言わず、自分の中だけで惨劇を感じていた。事故が起こった瞬間、そして、その後の処理、被害者、加害者の心境、すべてが分かっていたはずだが、その時に母親の呟いた一言、
「まあ、大変ね」
この時、母親には呟いたという意識はなかったかも知れない。じっと事故を見ながらあまりにもひどい惨劇に、
――一歩間違えれば自分が巻き込まれていた――
という状況を逃れられたことだけに集中していたからだ。隣に座っている坂田のことが眼中になかったのも仕方がない。
いや、存在としては意識していたはずだ。もしあの事故に巻き込まれていたら、自分たち二人は即死だったはずであるという意識を持っていることを一瞬だったが、坂田は感じていた。
母親の何気ない一言は、相手に悟られることなく、坂田の心の中に響いていた。
それまで何を考えていたか、忘れてしまったのだ。そして新しい感覚として、
――結局皆他人事なんだ――
という考えが頭を擡げてくるのだった。
何気ない一言は、言ってしまえばもう取り返すことはできない。もし自分が発した一言であっても同じだ。坂田は言い知れぬ憤りを感じていたが、それは母親に対してではない。それよりもいつも何も考えずに言葉を発しているかも知れない自分に対してだった。
――そういえば、それほど考えて喋っていないな――
と坂田は今さらながらに感じていた。自分の何気ない一言が、ひょっとして誰かを傷つけているかも知れないなど、考えたこともない。傷つけていないにしても、今までにそのことを考えなかったこと自体が問題なのである。思わず自己嫌悪に陥ってしまったとしても仕方のないことだ。
車に乗っていても、明らかに色の違いを感じた。全体的にまわりが黄色く見えている。黄砂が降った時のように、空気が淀んでいるように見えるのだ。特に昼間の風のない時間帯、あるいは、夕方の日が沈む寸前に、少しだけ明るく感じる時間があるが、そんな時に目の前がぼやけて感じるのだ。
昼間の暑い時間帯は、陽炎が沸き立つような時間帯で、頭がぼやけてしまう時間と言ってもいいだろう。また、夕方の時間は、ろうそくの火が消える前に、急に明るくなる時間があるというが、まさしくそんな時間帯である。
「夕方のそんな時間を、風のない時間で、夕凪っていうんだ」
と、友達が教えてくれた。その時間に不吉なことが起こるという迷信もあるそうで、その話を聞いた時は迷信などまったく信じる気にもなれなかった時だったので、聞いた言葉は頭の隅に追いやられていた。
鬱状態になると、昼と夜とで感覚が違ってくる。
引きこもりになりかかっている坂田の心境を、まだ自分の足に対してのコンプレックスだと思っていた母親は、何とか表に出そうと、時々夜、近くの小高い丘に夜景を見に連れて行ってくれた。住宅街から小高い丘までは、車の通りも少ないところなので、夜でも安心だ。
「ここはあまり誰も知らないだろうから、夜景を見るには最高の穴場かも知れないわね」
と母親が話していたが、まさしくその通りだろう。丘の傾斜が緩やかなので、誰が見ても夜景が見えるような気がしない。下手をすれば、
――五階建てのマンションの方が高いのでは――
と感じるほどのところである。
だが、下から見ている光景と、上から見る光景とではまったく違うということを坂田は知っていた。
坂田は少年の頃から高所恐怖症であった。高いところに上るのは怖いと思っている。少しでも高ければ立ちくらみを起こし、貧血でぶっ倒れるのではないかという恐怖があった。交通事故に遭って、高いところに上れなくなったことで忘れていたが、却って上れなくなったことで、高いところへの興味が出てきたのも夜景を見るのを楽しみな性格にしてしまった。
小高い丘の上から夜景を見ていると、
――自分の住んでいるところがこれほど小さな世界なのか――
と感じるほどである。少しいけば、その向こうには山が聳えている。丘の上から見ればちょっとだけ高いくらいにしか見えないが、下から見れば明らかに「丘」ではなく「山」である。
中途半端な高さから見る上の世界と、下の世界とでは、これほど大きさや距離が違ってくるとは思わなかった。実に面白いものである。
鬱状態の時はなるべく来たくないと思っていたが、母親の楽しそうな顔を見ると、鬱状態の時でも、なぜか付き合ってしまう。それでも丘の上から見る夜景に魅せられていなければ、きっと断っていただろう。
鬱状態の時に見下ろす下界は、普段よりもさらに小さな世界に見える。そして何よりも大きな違いは、
――明かりがクッキリと見えることだ――
どちらかというと視力はあまりいい方ではない坂田だった。しかも日が暮れてからの視力は普段に比べて格段に下がってしまう。
普段はまるで蛍の光が露に濡れて、ボンヤリと光っている光景を思い浮かべていた。以前ホラードラマを見た時に、蛍の光が露に濡れてボンヤリと光っている光景を見たが、それを連想してしまっていた。蛍の光を連想するというのは、怖いもの見たさの心境になる時に多かったようにも思う。
最初に行った時の帰りに感じたのだが、信号機に差し掛かった時、赤い色と青い色が昼間に感じる時よりも鮮やかに見える。
いや、鮮やかという表現よりも、より原色に近いと言った方が正解かも知れない。
昼間見る時の信号機の色、青い色と言いながら、緑に近い色である。赤い色にしても、鮮やかな色のはずなのに、それほど鮮やかに感じない。
昼間は確かに表の明るさに鮮やかさが吸い取られているので夜の方が同じ明るさでも鮮やかに見えるのかも知れない。今までにも夜の信号機が昼間と違うのを感じたこともあった。
しかし、鬱状態の時はさらに鮮やかに見えるのだ。
鬱状態の時は、普段よりもさらに何かを考えてしまう。普段だと、
――まあいいや――
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次