短編集101(過去作品)
これがアニメの中の予知能力の定義であった。
――俺の感じたのは予知能力ではなく、ただの偶然だったのかな――
と感じてしまうのも、アニメの影響だったに違いない。
五体満足では感じないことだろう。しかも、場所が自分を五体満足から切り離してしまった悪夢の場所というのも何かを暗示させているように思う。
虫の知らせという言葉があるが、どちらかというとそちらに近いかも知れない。これも予知能力と言えなくもないが、超能力というよりも、迷信、ジンクスの類のもので、他の人に話をしたとすれば、予知能力という発想で話すよりも、虫の知らせと言った方がすぐに納得してくれるに違いない。
「それならわしも以前にあったぞ」
年寄りならあるかも知れない。特に田舎に行けば行くほど、この手の迷信は信憑性が増してくるように思われる。
――人は死んで極楽浄土――
と考えられているが、それを知らせに来る人がいてもおかしくない。例えばついていたろうそくが急に風で消えるという話。もっと一般的には不吉な前兆として、下駄の鼻緒が切れるなどである。
もっとも今では下駄を履く人などほとんどいないので、そんな話は迷信として笑われておしまいかも知れない。かくいう最近までの坂田もそうだった。だが、最近になってなぜか虫の知らせや迷信の類をバカにできないのではないかと思うようになってきたが、それこそ自分に予知能力なるものがあるのではないかという無意識の意識が働いていたのかも知れない。
その時に何となく嫌な匂いを感じたような気がした。もし、不思議な予感がその時だけだったら分からなかっただろう。
――予感がある時には必ず前兆のようなものがある――
という意識と予知能力とは、切っても切り離せないものであるに違いない。
最初の事故を見て半年くらい経っていただろうか。冬の気配を感じられる季節に入りつつあったが、その日はまるで夏日のように汗ばむ陽気だった。
空気は乾燥していて、埃が舞っているのが、教室から校庭を見れば分かった。ずっと風が吹いているわけではなく、たまに吹いてくる風が突風なのだ。
教室では一番端の方に机があり、グラウンドが一目で見渡せるので、気がつけばグラウンドを見ていることも多い。無意識の行動なので、無表情ではないかと思うのだが、
「表を見ているお前を見ていると怖くなることがあるぞ」
と言われたのがその日だった。
「どういう意味だい?」
「いや、何か思いつめているようで、今にも飛び降りるんじゃないかって感じることがあるくらいだ」
「そんな意識はないんだがな」
相手の表情はそれほど深刻ではない。それだけに苦笑いで答えるしかない坂田だった。
だが、足が動かないと聞かされた時、本当に
――死んだらどうなるんだろう――
と漠然と考えたが、結論が見つかるわけもなく、教室の上から下を眺めていた。その時の表情はさすがに鬼気迫るものがあったに違いないが、今はそんなこともないはずだ。
――何か見えないものが見える時が、虫の知らせかも知れない――
虫の知らせは、別に起こることに関連していなければならないというわけではない。嫌な予感を感じさせる何かであって、他の人には分からないことが前提であろう。そういう意味でいけば、関連性のない方が理屈にあっているとも言えるだろう。
危険を察知できるようになった理由に坂田少年の事故が轢き逃げだったことも大きな影響があるかも知れない。事故の前後の記憶はないが、事故から精神的に立ち直りかけていた時、轢き逃げが原因だったことへの苛立ちを覚えた。
――どうして俺だけがこんな目に遭うんだ――
苛立ちは誰にぶつけることもできず、事故を起こしてまだ犯人が捕まっていないことで犯人はおろか、警察に対しても向けられた。言い知れぬ憤りはそのままストレスになり、爆発しかけていたこともあったが、何とか乗り切ることができた。精神的なきっかけと言ってもいい。
危険を感じることへの麻痺した感覚が、足の感覚の麻痺に繋がっている。危険を察知するようになれるまでは、夢の中で何度も事故に遭う夢を見て、おぼろげな意識の中でだけ、危険を感じていた。目が覚めてしまうと危険な感覚はなくなり、それが麻痺に繋がることへの憤りがあったものだ。
――人助けになるのかな――
危険を察知できる能力は、人を助けることができるものだろう。だが、そんな迷信めいたことを誰が信じるものか。もし自分が五体満足であれば、人の戯言、しかも、自分にとって不吉なことを口にする人の話など、まともに聞く耳を持っているはずもない。
――やっはり、人間なんて自分が当事者でないと誰も関心を持つわけはないんだ――
悲しいかな、その通りであろう。
それでも、二回目の事故は、目撃者ではなく当事者になってしまった。危なかったのは友達だったのだ。しかも母親が運転していた車、駐車場の中で切り返しをしていたところだったので、もし事故になっていたとしても死亡事故という可能性は低いかも知れないが、後ろにいるのに気付かずにバックするような状況だったので、死亡事故に繋がらない保障はない。
「危ないところだった」
スーパーの入り口で坂田を下ろし、坂田に気付いた友達が坂田に駆け寄ろうとした時だったのだ。
――自分に気付かなければ友達も危険な目に遭うこともなかったのに――
という意識があったのも事実である。だが、何よりも母親を加害者にするわけにはいかない。予知能力はいろいろな意味で坂田に大いなる影響を及ぼした。
「とにかく未然に防げてよかった」
接触すらしていないので、警察に知らせることもなく事なきを得たが、一歩間違うと、その場には人だかりができて、完全に当事者はパニックになっていたことだろう。目を瞑ると目の前に浮かんできそうであった。
被害者になったであろう友達、加害者になりかかってしまった母親、どちらも不可抗力ではないかと思える。もしあのまま事故が起こってしまった後の惨劇や、二人の心境が手に取るように分かった。
――教えてあげてよかった――
と思ったが、
「事故なんて起こしたら、最悪だもんね」
緊張の糸が完全に切れてしまったのか、母親が呟いた。
間違いなく本音である。
「あっ」
思わず口元を押さえたが後の祭り。口から発した言葉を、もう止めることはできない。今まで張り詰めていた感情、それは息子に対して気を遣いながらタブーの多い生活の中で、自分の生活もかなりの部分で犠牲にしながら暮らしてきたのだ。当然緊張の糸だって切れる瞬間があるはずだ。
坂田にもその気持ちは分からなくもない。中学生になればある程度の常識に対しての認識が備わってくるというものである。だが、足が動かないということは事実で、今のところ治る保障もない。一時たりとも緊張を解いてしまっては、自分で自分を抑えることができなくなりそうで恐ろしい。
そんなことを考えている時に母親の緊張の糸が切れた瞬間を見てしまったのだ。しかも、次の瞬間に、母親も気付いて、激しい後悔の念に襲われている。一番見たくない母親の顔、なぜならその表情を見たために、自分の緊張の糸を最高にピンと張ってしまう瞬間だからである。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次