短編集101(過去作品)
と思って考えないようにしようとしたことでも、そこから先を考えてしまう。考えないではいられないのだろう。
鬱状態だという意識があるから余計なことを考えるのであって、普段、途中で考えるのをやめるのとどちらがいいのか坂田には分からない。
鬱状態になる原因としては、やはり人を助けることができるようになったのは、自分が助からなかった事故の後だというやるせなさが、憤りとなって襲ってきているからだろう。言い知れぬ憤りはストレスとなって、ストレスがさらに能力を高める。真綿で首を絞められるような思いだ。
それにしてもこれほど事故が多いとは思いもしなかった。ある日いつものように予感が働いたが、普段よりも鮮明に浮かんでくる思いだった。自分がその時にいた場所からかなり離れたところで起こる事故で、少し時間的にも余裕のあるものだった。
それほどの大事故ではない。目を瞑って浮かんでくる光景に、血の香りを感じないからだ。今まで感じていた匂いというのは鉄分の香りを多く含んでいて、それが血の臭いだということに気付くまで、少し時間が掛かった。
自分が救急車に運ばれた時に感じた香り、それを今思い出している。血の匂いとともにもう一つ感じたのは、石の匂いだった。
マジマジと石の匂いを嗅いだことなどないのに、どうしてそれが石の匂いだと分かるのかと聞かれると答えようがないが、雨が降った後、すぐに晴れ上がる時があるが、アスファルトに沁み込んだ雨が、埃とともに蒸発する時に感じる匂いに似ている。また、逆の時もあり、カラッと晴れ上がっていて急に雨が降ってくる前など、同じような匂いがしてくることがあるのが面白い。
その日は、血の匂いというよりも、石の匂いの方だけを感じた。
――大事故ではない――
と感じたのは、それからである。
目を瞑って浮かんでくる光景は、事故の様子だけではない。その時々で違うのだが、被害者の顔が浮かんでくることは多いが、加害者の顔は、まず浮かんでこない。このあたりが、
――まるで夢を見ているようだ――
と思える由縁であった。
夢というのは潜在意識が見せるものである。自分の中に意識がなければ見ることのできないものであろう。夢で見ることはすべて意識の中にあることで、どんなにイメージがあっても、実際に意識していることでなければ夢の中には出てこない。逆に起きている時に湧いてこないイメージが湧いてくるのが夢なので、
――夢の中では何でも見ることができる――
という錯覚に陥るのだろう。
だが、実際には見ることができない。飛ぶということでも夢の中ならできるのではないかと思って、飛んでみたことがあったが、飛ぶことはできなかった。飛び降りた瞬間に目が覚めてしまうからである。夢を支配しているのは、人間の意識だと言えなくもないだろう。
事故を思い浮かべていると、状況が見えてくる。学生服を着た中学生風の男が歩いている。
――また友達なのだろうか――
という思いで見ていると、小柄で少し背を丸めて歩く横からの姿には見覚えがあった。いつも後ろから見ていることが多かったが、その人の歩き方には特徴がある。
――根上だ――
思わず舌打ちしたくなった。根上というのは坂田にとってあまり好きではない男だったからである。
根上とは小学生時代から何度も同じクラスになったことがあり、坂田少年が交通事故に遭った時も同じクラスだった。
悪いやつではない。ただ時々人がカチンとくるような発言をする。坂田少年がケガをした時もそうだった。
「これで運動会に出なくて済むんだね」
本人はきっと覚えていないだろう。というより、口から出た瞬間から過去のことになっているのではないだろうか。あっけらかんとしているところがあるように見えるのはそんなところからだ。
だが、逆に彼は臆病でもある。人から何か突っ込まれるようなことを言われると、まったく返答できなくなってしまう。言い訳が嫌いな性格だということは分かるのだが、それ以前に言い訳すら思い浮かばないようだ。
話をすぐに先読みして、結局言葉に詰まるくらいなら最初からジタバタとした言い訳をしたくないのだろう。言い訳を続けて言葉が続かなくなるのと、どちらがたちの悪いことだろう。坂田には分からなかった。
他の人からはあっけらかんとした性格に見えるようだが、坂田にはオドオドしたところしか見えていない。あまり好きな性格ではないと最初から思って見ているからに違いない。
そんな根上が事故に遭うのを予知してしまった。
事故の様子が見続けていると、
――危ない――
と思う瞬間があった。いくら予知して見えていることとは言え、さすがに事故の瞬間というのは目を覆いたくなるようなという表現がピッタリで、思わず目を閉じてしまいたくなりそうだ。元々目を瞑っているのだから叶わないことだが、目を逸らすくらいのことはできてしまう。
だが、その時は目を覆うというよりもマジマジと見てしまっていた。被害者が根上だということだからかも知れないが、それだけではない。
――大事故ではないんだ――
という思いが強かったからだ。
狭い道ではあったが、スピードを上げて走ってくる車。歩行者がいるにも関わらずスピードが落ちることはない。
――運転手には見えていないのかな――
と思えるほどだ。そのまま凝視できる自分が怖いくらいだ。やはり、被害者になるであろう男が根上だからであろうか。
「あっ」
普通の夢なら、目が覚めている瞬間である。目を凝らして見ていると、危うく轢かれてしまうところを間一髪、かすっただけで助かったようだ。身体が横に一回転しながらガードレールにぶつかるが、それほど強烈な衝撃ではない。車のスピードの速さに巻き込まれたような感じである。だが、いきなり後ろから予期せぬ車の突進に、追突されていないとは言えかすっただけでも衝撃は波のように襲ってくる。腰をガードレールに強打し、そのまま倒れて気絶しているようだ。
車はと言えば、坂田の視界から消えていた。ものすごいスピードで接近して、ブレーキを踏むことなく根上に巻き込み、そのまま通り過ぎていた。
――轢き逃げだ――
と思った瞬間、坂田は自分の顔から汗が滲み出てくるのを感じた。まわりから見れば血の気が引いているように見えるかも知れない。
――自分の時もこんな感じだったんだ――
と、自分の事故を自分で見てしまったような気になったが、実際はもっとすごかったことだろう。何しろ足が動かないのだから……。
一度カッと目を見開いてみた。目を瞑っているのが怖くなったからだ。だが、次の瞬間、もう一度見たくなって目を閉じた。
普通夢であれば、一度覚めてしまうと、もう一度同じ夢を見るのは、ほとんどといっていいほど不可能に近いが、予知能力ではもう一度同じ光景を見たいと念じれば戻ることができる。それも能力の中の一つなのかも知れない。
しかも同じ光景をもう一度見ることもできるのだ。
――スローで見てみたいな――
しかも事故の瞬間だけ……。
作品名:短編集101(過去作品) 作家名:森本晃次