ミソジニー
彼女は突然教室を出て行こうとした。
「先生・・・あの・・・・」
「ん・・・?どうしたの竹井君?」
「あ・・・いや・・・別に・・・」
俺は何を言ってるのか自分でも分からなくなった。
「でも・・・先生の思い違いかもしれないから・・・」
俺が慌ててしどろもどろになっていると先生はそう言いながら教室を出ようとした。
教室を出るとドアの入り口あたりで先生は振り向き際に
「でも・・・もし当たってるとしたら・・・自分のこと話したくなったら・・・いつでも相談してちょうだい」
そう言ってまた足早に職員室の方へと戻っていってしまった。
家に帰ると俺はまた部屋のベッドの上であおむけになり物思いにふけった。
リビングでまた母と姉貴が何だか俺の話をしているようだった。
「何か最近蒼太のやつ部屋に籠ってばっかで大丈夫なの?」
「ほんと、最近あの子何考えてるか全く分からなくって」
「実は何も考えてないんじゃない?」
そう言って二人でお笑い番組を見ながら笑い転げていた。
リビングのドアが開いている上に二人の声がバカでかいから上の階にも会話の内容が響くように聞こえてきた。
うるせーな、と思って俺は二人の声が聞こえないように部屋の扉をバタンと閉めた。
そして先生の言った言葉の意味を考えた。
・・・・いつでも相談してちょうだい?
一体何だろうか?
俺の中で彼女の存在は不思議な魅力でますます大きくなっていった。
次の土曜日、姉貴が例の藤報堂とかいう広告代理店で内定をもらったとのことで、そのお祝いに家族で青山の高級レストランで外食を取ることになった。ものすごい豪勢なフレンチレストランだった。就職が決まったからってなんでこんなすごいところで食事をするんだ。俺は姉貴のことなんかどうでもよかったので別に嬉しくもなかったし、付き添いで仕方なくついてきただけだった。
「美佳の就職祝いを記念してかんぱーい」
昼間っから家族でワインを片手にとって上機嫌に乾杯していた。もちろん未成年だから俺だけは仕方なくシャンパンだったけど、とってつけたようにグラスを持ち上げてから「乾杯」とつぶやいた。高そうなフレンチのフルコースだ。見たこともないような未知の世界の食べ物が次から次へとテーブルへと運ばれてきた。少なくともどれもこれも俺の辞書にはないような名前のつきそうな料理だった。
「美佳、藤報堂なんてこんなすごい広告代理店に受かって本当にすごいな。お父さんは嬉しいぞ。会社の連中についつい言いたくなっちゃうよ。竹井家の自慢の娘だって。」
「お父さんってば会社で美佳の話ばかりしてんのよ。もう恥ずかしいんだから。」
父と母がそんな話をしてると姉貴は
「もうお父さんってば、こっちが恥ずかしいわよ。やめてよね。別にそんな大した会社でもないんだから」
姉貴が謙遜してると
「いやいや、藤報堂っていったら広告業界じゃトップクラスの優良企業じゃないか。娘がそんな会社に行けることになったんだ。母さんも嬉しいよな?」
「えーまあ」
そう言って二人はお互いに笑い合った。
うちの両親は本当優秀な姉貴が自慢らしい。
うちの親父は竹井賢治といい、ごく普通の典型的な会社員だ。そこそこの大学を出て、そこそこの会社に勤めてあまりパッとしないサラリーマン生活を長年送ってきた。だからなのか自分の娘が優秀なのが信じられないくらい嬉しいらしい。姉貴が有名大学に受かったときは親父が親戚中家に集めてお祝いしたりしていたし。何をそんなにはしゃぐことがあるんだろうかってその時そう思った記憶が少しだけ残っている。
俺は三人が姉貴のことで楽しそうに話しているのが面白くなくてむすっとした表情をしていると
「おい、蒼太なんだ、そのふてくされたような顔は。もっとお姉ちゃんの就職祝いなんだからそんな辛気臭い顔するな」
「そうよ、雰囲気台無しじゃない」
そう親二人に同時に説教されるように言われて俺はますます仏頂面になってしまった。
「いいのよ、お父さん蒼太のことは気にしないで。私のお祝いのために気乗りしなかったのにわざわざ無理に来てもらってるんだから」
姉貴は優良企業から内定をもらってえらく上機嫌そうだった。
そんなこんなで家族で話していると、ふと向こう側の遠く離れた席の方を見るとなんと片瀬先生が現れて、そしてさりげなくといった感じでテーブルの席に座った。よく見るともうひとり連れの男がいた。30代後半か40代くらいだろうか?大人の男に見えた。どう見ても兄弟って感じじゃなかった。
何だかふいに気まずくなった。
片瀬先生とその連れの男は席に座って、しばらく二人で会話をしているようだった。俺は先生のことが気になって家族そっちのけで彼女から目が離せなくなった。
何やら二人とも嬉しそうに微笑んで会話をしているようだった。何だかあの大人の男が自分の知らない先生を知っているようで途端に悔しくなった。俺は先生とシンパシーを感じ合って心が通じ合っていたはずで、そんな期待が急に覆され、優越感が途端にもろく崩れ去ってしまったような気がしていたたまれなくなった。
「おい、蒼太聞いてんのか?お前も少しはお姉ちゃん見習って勉強もっと頑張ったらどうなんだ?大学だってちゃんと行くつもりなんだろ?昔からお前は自分に甘いっていうか努力もしないし根性もないし。親に将来の心配かけさせるなよ。俺たち家族はみんなお前のこと心配しているんだぞ?」
俺がぼーっと二人の様子を眺めていたら親父のうるさい声が耳に入ってきた。親父は少し酔い始めているのか何だか急に攻撃的というか説教臭くなってきた。こんな場所で勘弁してくれよ。こっちが恥ずかしくなってきた。
「ちょっとお父さん酔ってるの?もーやめてよ。私のお祝いの席なんだから。こんなときくらいそういう話はやめてよ」
姉貴は上機嫌な気分が壊されたのか、おやじを遮るようにそう言った。でもいつもは姉貴が散々そういうきつい説教を俺にしてんだろーがって内心そう文句をたれるかのようにつぶやいた。
食事が終わって家族全員でレストランを出る際に、俺は片瀬先生の座っていたテーブルの傍をそっと横目で見ながら横切った。
その時先生がこっちをちらっと見たような気がしたが、俺に気付いたかどうかまでは分からなかった。
次の日曜、俺は自分の部屋で真昼間からゲームをしていた。最近はまってる新作のシューティングゲームだ。別段他にやることもなかったしいい暇つぶしになった。
「ちょっとー蒼太?入るわよ?」
そう言って姉貴が部屋にノックもせずにずかずかと入ってきた。
「何だよ?」
「ちょっとー部屋締め切ってゲームばっかりやってさ。暗いわね。休みの日なのにデートする彼女もいないわけ?本当情けないわね」
そう言いながら姉貴は俺の部屋の窓を大きな音を立てながら力いっぱい開けた。
「週末くらい部屋の換気ちゃんとしなさいよ」
「うるせーな。」
俺がぶっきらぼうにそう返事をすると、姉貴は急にムスっとした顔つきになった。どうやら機嫌を損ねたようで俺に軽く平手チョップをかましてきた。ガツンと音がなった。
「いってーな」
俺は頭を押さえてそう言った。実際に少し痛かった。
「せっかくアドバイスしてやってんだから、ちゃんと言うこと聞きなさいよ」