ミソジニー
「本当あなた最低ね。二度と遥に近づかないでよ。あの子ショックで今日学校休んじゃったんだからね」
「そうよ」
俺は何も言えなくなってしまった。
そしてふと我に返ってすべての事情を説明しようとしたその矢先に
「ちょっとあなたたち何やってるの?」
急に誰かが止めに入ってきた。声のする方向を見たらそこには片瀬先生が立っていて、勇猛果敢というのか堂々と立ち向かってくるかのようにこっちの方へ歩いてくるのが見えた。
女子たちは先生が急に割って入ってきたので、一瞬ビックリしたようだったが、それと同時にばつが悪そうな表情もうっすらと見せた。
「いえ、別に。いろいろ世間話をしてたんです。恋愛トークとか。ね?」
「はい、そうです。別にやましいことなんかしてないですよ、先生」
とっさに危険を回避するかのようにいかにも体裁のいい説明をしている。
「嘘でしょ。どう見ても穏やかな雰囲気じゃなかったし。少ししか聞こえなかったけど、口論のように見えたけど。」
「いえ、これがいつもの私たちの通常トークですよ」
「そうです。」
片瀬先生はよく事情が呑み込めずにいたのかとっさに俺の方を見てきた。
「竹井君・・・そうなの?」
俺はこれ以上面倒なことに巻き込まれたくなかったという思いや、いち早くこの面倒なことから解放されてすぐにでもこの場を一目散に立ち去りたい気分だった。
「あ・・・えっと・・・はい」
とっさにそう思わず返事をしてしまった。
それに、こんないざこざに昨日今日赴任してきたばかりの先生を巻き込むのは何とも申し訳ない気持ちもあった。
「じゃあ失礼します、先生」
「失礼します。」
そういって本村加奈子たちは面倒ごとから逃げる口実がやっとできて安心したかのようにその場からせっせと去っていってしまった。
しばらく俺は言葉が出なくてぼーっとその場に突っ立っていた。
「竹井・・・くん?大丈夫?」
「あ・・・はい・・・」
俺はそう弱々しく返事をした。
先生は不思議そうな表情で俺の顔を覗き込むようにしてこっちを見た。
俺は、絶望と恥ずかしい気持ちで一刻も早くその場を立ち去りたい気分だった。
「じゃあ、先生・・・失礼します」
俺はそう言ってその場を去った。
その日は掃除当番だったので俺は放課後教室に残って床拭きをしていた。
もう一人の当番の永倉が
「竹井、俺ちょっとごみ焼却炉に入れてくるは」
と言ってきたので
「あー頼むは。」と俺はどうでもいいというような感じで語尾もしっかりしない口調でそう返事をした。
永倉はゴミ箱を両手に抱えながらさっさと教室を出て行ってしまった。
俺はその後、しばらくモップで床拭きをしていた。俺はあまり時計とか見ない主義なので正確に時間をはかっていたわけではないが、5分くらい床拭きを続けていただろうか?そんな中、突然片瀬先生がまたふいにひょっこりと教室に姿を現した。
「こんにちは」
俺は腰が抜けそうになるくらいびっくりした。
まさか先生が入ってくるなんて思いもしなかった。
先生は大体放課後になると部活の見回りやら職員室でテストの採点とかしているのものだとばかり思いこんでいた。だから掃除当番の見回りなんてあまり来ないのかと思っていて、それでとてもびっくりした。
「あれ、先生・・・ど・・・どうしたんですか?」
俺は別段何も悪いことなどしてないのに、いたずらをしているのを母親に見つかった子供みたいにまごまごしながらそう聞いた。
「ちょっと・・・時間空いたから」
しばらく沈黙があった後、片瀬先生は一番前の空いている席の椅子にさり気なくそっと座った。
「竹井くん・・・。今日、何かあったでしょ?」
直球玉みたいな質問だったので俺はドギマギしてしまった。
「え?」
「あの・・・女の子たちと・・・何かあった?」
「いえ・・・別に・・・何もないですよ」
「嘘・・・目が嘘ついてる。」
目が嘘ついてる・・・?
意味がよく分からないけど、先生は他人の心を透視することができてしまうのだろうか?
「正直に話してよ」
「あ・・・いや・・・その」
何だかまるで心の中をえぐり取られてすべて見透かされているみたいで怖くなった。
「それと・・・この前の金曜日も・・・峰岸遥さん?あの女の子と理科実験室の前の廊下で何かあったでしょ?」
それも知ってたの?
ますます怖くなった。
先生はエスパー?
もう先生の前では何も隠せないんだって思って正直に全部話すことにした。
峰岸遥にラブレターをもらったこと、他の女子たちが彼女のことを悪女だと変な噂をしていたこと、そしてそんな彼女が信じられなくてラブレターを目の前で破り捨てたこと、そしてそのことを知った彼女の友達らに体育の授業の後に散々責められたこと。
すべてを話した。
「なるほど・・・そういうことだったのか。これで話がつながった」
片瀬先生は、納得して満足したかのようにうんうんとうなずいた。
「何で・・・こんなこと聞くんですか?」
俺が聞くと
「何で・・・?」
先生は少しの間黙ってポーズをとるかのように動きが止まった。
「さあ・・・何ででしょう?」
彼女はしばらく目を細めて窓の向こうの遠くの方を見つめたかと思ったらその後
「私にも分からないは」
と深くため息をつきながら拍子抜けしたようにそう言った。
「分からないって・・・」
俺は何だか意味が分からなくなった。
「竹井君・・・たまにこういうことってない?自分でも何だか分からないけど・・・うまく説明できないけど、その人のことが気になるっていうか。恋愛とも友情とも家族関係とも違う。けど、何だかよくわからないけどその人のことが気になって気になって・・・頭から離れないっていうか。しいていうなら・・・そうね・・・その人が・・・自分と同じ何かを持ってるみたいな。うまく説明できないんだけどね・・・」
自分なりに先生の言ってることを俺はかみくだいてみた。
「シンパシーみたいなのですか・・・?」
俺は聞いてみた。以前俺が感じたそれがそうだったからだ。
「そう・・・それ。竹井君よくそんな難しい言葉知ってるね。しかも英語なのに。へーまだ高校生なのに感心」
「いや別に・・・この前読んだ小説にそういう言葉が出てきたから」
「へー竹井君小説とか好きなんだ。私も好きなんだ。どういうのが好きなの?」
「えっと・・・まあSFとか推理小説とか・・・」
「へー私はイギリス小説と恋愛ものかな。あとサスペンスとか社会派のやつも好きかな。」
そんな感じのやり取りをした。
しばらく黙った後に片瀬先生がまた話し始めた。
「私・・・そんなに頭もよくないし、人前で話したりすることも苦手なんだ。だから別に教師って柄じゃないと思うし。でもね、人の気持ちとか考えるのはなぜか昔から好きなんだ。だからね・・・竹井君が何となくまだ嘘をついている気がするの」
「え・・・?」
俺はドキッとした。ふいについた嘘?
「ラブレターを破り捨てたのは、彼女の悪い噂を聞いたからだけじゃないでしょ?」
「え・・・?」
そう言って先生は少し微笑んだ。
片瀬先生の言おうとしている言葉の意味がまったく分からなかった。
けど彼女が俺から何かを読み取りシンパシーを感じてくれていることはうっすらとではあるが、何となく分かった。