ミソジニー
「分かったよ。それで・・・一体何の用だよ」
「あ、そうだ。あのさ、この引き換え券持ってあそこのクリーニング屋に洋服取りに行ってきてくれない?お母さんに今日頼まれてたんだけどさ、私さ、急に友達と会う約束できちゃってさ、時間ないんだは。お父さんはゴルフで出かけちゃっていないしさ。」
「ってクリーニング屋に行く時間くらいあんだろ?」
何だよ、パシリにするつもりかよ。
「もう時間ないのよ。これからお化粧しなきゃいけないしもう待ち合わせ時間ギリギリだから、お願いよ。あんただけが頼りなのよ」
本当いつもは説教ばかりするくせに肝心なときだけ俺頼みなのか。
「何の洋服?」
「お母さんの洋服とかお父さんのスーツとかでしょ?別にあんたには関係ないでしょ。」
あーそーかよ。
「じゃーお願いね。あそこ夜までは営業してるはずだから今すぐじゃなくてもいいけど、できるだけ早くお願いね。お金はもう支払い済みだからその紙渡せば大丈夫だから。」
そういうと姉貴はさっさと部屋を出ていった。
用はとっととすませたいと思ったので、やりかけのゲームをひとまずやめてすぐに家を出ることにした。でも、数十分もたっていないのに、俺が準備を整えた後に出かけようとしたときにはもう姉貴の姿はどこにもなかった。
「ったく人使いが荒いな」
そうぶつぶつと文句を言いながらも俺は仕方なしに姉貴の命令通り駅とは逆方面の地元の商店街にあるクリーニング屋にいった。
「宜しくお願いします」
と言いながら俺は店の人に引換券を渡した。
「竹井さんですね、えーとこちらの3点になりますね」
と言われて服を受け取った。姉貴の言っていた通り母さんの洋服と父さんのスーツらしきものだった。服を受けとると俺は自動ドアを開けてクリーニング屋を出た。今日は快晴のごとく天気は晴れ渡っていて、商店街も何だか明るい雰囲気だった。
家に帰る途中の道をてくてくと歩いていたら、街中でまた片瀬先生とばったりと出会った。
これで何度目の偶然だろう。
つくづくこの先生とは何らかのシンパシーを感じる。
片瀬先生は喫茶店の前で店の中の様子と店頭にある看板のメニューを交互に眺めているようだった。
先生は俺に気が付いたようで突然にっこり笑ってこっちを振り向いてきた。
「こんにちは竹井くん」
「こんにちは先生」
お互いに軽く会釈をした。
「クリーニング屋さん?」
俺が手に持っていた綺麗にクリーニングされたばかりの服やスーツを見て彼女はそう聞いてきた。
「あ・・・はい。姉貴に頼まれて」
「そうなんだ・・・」
「・・・先生は?」
俺はとっさにそう聞いた。
「私はちょっと買い物とかかな・・・」
そういってまた少しだけ微笑んだように見えた。
「あの・・・よかったら喫茶店でもどう?おごるわよ。ここの喫茶店新しくできたみたいで、今から入ろうかなって思ってたの。もし時間あったらだけど。」
そんなこと言われるなんて想像もしなかったからびっくりした。
でも先生とは何だか相性が合うっていうか、彼女からは女の嫌な部分をまったく感じなかった。自分が女嫌いだなんてことをいつの間にか忘れてしまうくらいだった。だからそんなこと言われて正直嬉しかったのが本音だった。
「はい・・・」
俺はそう返事した。
「そう・・・よかった」
先生もほっとしたようだった。
「じゃあ、入りましょう」
そう言われて誘われるがままに俺は先生とその「フレーユ」っていうこじんまりとした綺麗な雰囲気の喫茶店に入った。
内装は洒落たシックな感じでレストランも兼ねているようだった。壁はレンガのような造りになっていてテーブルやいすは年代物で高級品といった感じで、壁には可愛らしい鳩時計のようなものがかかっていた。
はじの席に二人で座って、コーヒーを二人分頼んだ。
「こういうところはあまり来ない?」
「そうですね・・・」
「そう。まあまだ高校生ならそうよね」
そういわれて先生に急に子供扱いされたような気分になった。
思いのほかコーヒーが早く来たので二人でさっそく飲むことにした。先生は角砂糖1つとミルクを少しいれた。俺は甘いのはあまり好きじゃないからミルクだけ入れた。
「私ね・・・自己紹介のときみんなには言いそびれてしまったけどね・・・こっちに実家があるのよ。」
そう言った後、彼女は少しだけコーヒーをすすった。
俺も合わせるようにコーヒーを少しだけ飲んだ。
「お母さんがね、骨折して入院しちゃってね。それで何か月も病院生活になっちゃって。もう今年で70で年も年だし。お父さんは私が小さい頃に病気で亡くなっちゃっててね。だからお母さん一人で心配だからこっちに戻ってきたのよ。それでたまたま地元の学校で臨時教員の応募してたから。どうせならしばらく近くにいた方がいいかなって。うち親せきがみんな遠くにいてお母さんの面倒見になんて来られやしないし。それに、退院した後も母だけだと何だかんだ心配だし。」
先生は相変わらず小さな声でゆっくりでなペースで話していたが、学校にいるときとはうって変わってあまり緊張してなく落ち着いた雰囲気を醸し出していた。そして何よりももっとよく話した。先生は普段はこんな感じなんだろうか?また先生の別の一面を垣間見た気がした。それはともかくとして、学校での初日の自己紹介のときに先生は自分の母親のこととかそんなことははっきりとは言ってなかったけど、でも家庭の事情がどうとかそんなような話はそれとなくしていたことはおぼろげながら記憶の片隅に残っていたので、俺はふとそのことを思い出した。そういった年取って体が弱り果てた親の面倒を見るだとかそんな込み入った大人の事情みたいな話は高校生の俺には非現実的であり未知の世界そのものだったけど、少なくとも先生が親孝行だってことはガキの俺でも何となく分かった。
「大変なんですね・・・」
「まあ・・・私は女手一つで育てられたところもあるから、やっぱり親は何だかんだ大切にしなきゃなって思うし。まあ、本当いうと母親にどうしてもって頼まれたからなんだけどね。誰かが面倒見てくれた方が正直助かるんだけど、そうも言ってられないし。」
「そうなんですか・・・」
俺には親孝行のことなんて全く分からなかった。俺は親や姉貴とか家族なんて嫌いだったし、大人になればもうきれいさっぱり縁を切ってさっさと離れ離れで暮らしたいくらいにしか思ってなかったからだ。
「俺には・・・よく分からないですかね・・・そういうのは」
俺がとっさにそういうと、
「竹井くんにもそのうち分かる時が来るわよ。親のありがたみとか。育ててくれたことへの感謝とか。といっても高校生じゃまだ難しいとは思うけどね。私も竹井くんくらいの年齢のときは親なんかうっとおしいだけだった」と先生は俺に諭すようにそう言った。
「そうなんですか・・・でも・・・いえ、たぶん俺は一生親のありがたみなんて分からないと思います」
「何で?何でそう言い切れるの?」
「俺は・・・親なんか嫌いですから」
俺はきっぱりとそう言い切った。
「そうね・・・私も親を憎んだ時期もあるは。自分のことなんか全然わかってくれないって。でも、それは大人になればいつしかわかる時が来る。親には感謝できることもたくさんあるって」