ミソジニー
片瀬先生は誰か生徒に問題を解かせようとしているようだった。
ふと俺は先生と目が合ってしまった。
俺はびっくりして視線をふいにそらしてしまった。ひょっとして見ていたことに気づかれた?
片瀬先生は不思議そうに俺を見ているようだった。やばい当てられる・・・と思った。
「えっとじゃあ・・・この問題を山田くん。解いてみて。黒板に来て書いてもらえますか?」
よかった、俺じゃなかった。俺はほっとして思わず息がもれそうになった。
「あの先生、俺山村です。山田じゃなくて」
クラス一のひょうきんもので通っている山村という男子生徒がそういうとみんなが一斉に爆笑し出した。
「あ、ごめんなさい。本当ごめんなさい!山村君・・・」
顏を赤くしていつもの倍くらいの大きな声でびっくりしたように片瀬先生は叫びながら訂正した。
「先生、たのんますよ。俺山田です。なんちゃって」
山村がそういうとまたみんな笑い出した。
片瀬先生も苦笑いしながら
「本当ごめんなさい、みんなの名前まだ覚えたてで。すみません。」
と謝った。
「先生、何回謝ってるんすか?」
またみんな笑い出した。
昼休みになって俺はまた購買で焼きそばパンとジュースを買った後に、グランドのはじっこにすわって昼食を一人で取ることにした。サッカーをして遊んでる男子どもがいた。
「シュート」
ある男子がゴールを決めた。
「よっしゃー」
そう言って仲間とハイタッチして喜んでいた。
そういやあいつ確か中村雄也ってサッカー部のキャプテンだったな。どこのクラスか知らないけど確か同じ学年だ。普通は誰がどこのクラスにいるかくらいみんな当然のように知っていることなんだろうけど、俺は驚くほど他人には興味がないからそんなことすら知らなかった。
サッカーをしている間中、応援団のファンクラブかのような女の子たちが遠くから中村をきゃーきゃーと黄色い声を上げながら応援していた。
「中村君、頑張ってー」
「サンキュー」
中村は応援団の女子たちに決めポーズを取るかのように気取って手を振りながらその声援のする方に向かってにっこり笑顔で返した。
お前はJリーグのスターサッカー選手か。バカじゃねーの。
確かに中村はイケメンでスポーツ万能だって学校中で有名で、ご覧のように性格も明るくておまけに女子に大人気だった。それくらいは風の噂で俺もそれとなく聞いていた。もはやそんな男は学校では天下無敵だった。やっぱり女はああいういかにももてそうなやつが好きなのかね。俺みたいに何のとりえもなく根暗で、おまけに女嫌いな男なんて考えてみれば到底好かれるはずもない。こんな男だから、マドンナ女子に目をつけられた挙句、騙される羽目になったのだろうか?
そんなことを考えながらボーっとしていると、ふと自分の前に何やら人影らしきものが映っているのに気づき、そして誰かの視線を背後にうっすらと感じた。
何が起きたのかと恐る恐る振り返ると・・・そこにはあの片瀬先生が立っていた。
「え?」
俺は突然のことに驚きのあまり茫然となり、声がすぐに出なかった。
「ここ、いいですか?」
「え?あ・・・はい」
何のことやら分からなかったが、この状況でダメですなんてその場で言える空気は一ミリもなかったのでそのように返事をするしかなかった。
すると片瀬先生は慎重に確認するかのように俺の横にすっと座った。
しばらく片瀬先生は黙ったまま細い目をしながらグランドをじっと眺めていた。
「竹井・・・蒼太くんだよね?」
先生が突然俺の名前を呼んだので思わずドキっとした。
「あ・・・はい。そうですけど」
俺はドギマギしながらそう答えるのが精いっぱいだった。
「よかった・・・間違ってたらどうしようかと思った。」
先生は一瞬ほっとしたようにみえた。
「あの・・・何か・・・用ですか?」
片瀬先生は少しだけ笑ったように見えた。
「いえ・・・あの・・・」
先生はしばらく考え込んでいるようにみえたがやがて
「・・・初日のときは・・・助けてくれたのあなたですよね?」
と聞いてきた。
「え・・・?」
初日ってあの先生が教室でからかわれていたときに俺がとっさに立ち上がって怒ってしまい墓穴を掘ったときのあれか・・・思い出すだけでも恥ずかしくなってきた。穴があるならどこかに入ってしまいたい気分だった。
「いや・・・あのとき・・・私、初日でものすごい緊張していて頭の中が真っ白だったから・・・そんな状態なのにあんなことが突然あったもんだから、どうしたらいいか分からなくなって・・・本当に助かったの・・・だから、そのお礼いいたくて・・・」
先生は感謝するかのようにそう言った。
「別に・・・そんな・・・」
俺は何だかよく分からないが、とりあえずそう返事をした。
「ありがとう」
先生はさらに重ねてお礼を言った。
「何で・・・急に助けてくれたの?」
先生は突然不意打ちのように聞いてきた。
「いえ、別にそんな・・・大した意味は・・・困ってそうだったので・・・」
片瀬先生は少しだけにこっと笑って
「そうなんだ。竹井君って優しいんだね」
そう言った。
「え?」
「普通は高校生くらいの男の子はあんなことしないなと思って。すごく感心したんだ。いや、感心っていうと何だか偉そうだけど・・・感激しちゃったっていうか」
「へ?」
思わず声が上擦ってしまった。
「ありがとう」
何度もお礼を言われるとさすがに気恥ずかしいといよりもむしろ気まずい雰囲気にすらなってきて、何も返せなくなってしまっていた。
「私ね・・・まだこの学校に来たばっかりで慣れないことばかりで・・・お恥ずかしながらまだ生徒の顔と名前もおぼつかない状態で。でも竹井君の名前だけはなぜかしっかり覚えているの。不思議なことに」
そういうと片瀬先生は急に立ち上がって
「じゃあね」
と俺に向かって言ってその場を足早に去っていった。
後ろを振り向くと先生が校舎の方へ歩きながら向かっている姿が見えた。
自宅のベッドの上で先生との校庭での会話を思い出していた。何だか不思議な感じのする先生だな。的確な表現は見つからないが、つかみどころがないというか、ふわとした何だか今にも宙に浮いてしまいそうな・・・それはまるで雲を掴むような、そんなありとあらゆる非現実的な言葉を次から次へと連想させる・・・そんな感じのする人だった。
俺は滅多に人のことなんか好きにならない。友達を作るのも面倒だったし、学校生活にはほとほとうんざりしているし正直高校生にしては心底冷めきったやつだ。若いくせに青春を謳歌しようなんて発想はそうそうない。おまけに女嫌いだ。恋人なんてもってのほか。恋愛なんてする気にもなれなかった。でも、先生のことはなぜか嫌いになれなかった。なぜか不思議と親近感がわいた。シンパシー・・・そう、シンパシーだ。もしこの世に的確な表現があるとしたらそれ以外到底見当たらなかった。あるいはテレパシーともいえるのか。いや、心が通じ合っているわけじゃないからやはりシンパシーだ。
金曜日になった。
峰岸遥に返事をする約束の日だった。
ドリカムに決戦の金曜日という歌がある。
世代的には全然違うのだが、母親がドリカムのファンでよく家で聞いていたからなぜだか知っている。