ミソジニー
話していたのは峰岸遥っていう学年で三本の指に入るくらいの美人で男子に大人気の女子だった。いわゆるものすごい昔の時代の言い方をすれば学校のマドンナ的存在。一緒に話しているもう一人の女子は本村加奈子という確か峰岸遥の友達の子だったはずだ。
「竹井くん、こっち向いてたよ」
「うん・・・」
峰岸遥はそう言って恥ずかしそうにうつむいたが、そのあとはだんまりしてしまったようで本村加奈子もそれ以上こっちを見てこなくなった。何事もなかったかのように二人はまた授業を熱心に聞き始めた。
結局、何だったんだ?
昼休みの時間になって俺はいつも通り購買にパンを買いに行くことにした。パンを買って教室へ戻る途中、廊下で何人かの女子生徒たちが何やら内緒話をするかのようにヒソヒソと小声で話をしているのが聞こえてきた。
「えー遥ちゃん竹井くんのこと好きなの?」
「えー嘘」
「今この話題で持ちきりだよ。告白しようか迷ってるとか」
何だか数人の内輪だけの女子会みたいにみんなで集まって誰かの噂話をしているようだった。
一体何なんだ?
「でも、何で竹井くんなんか好きなんだろうね?顔はちょっといいかもだけどさ、別に勉強もスポーツもいまいちぱっとしないし、友達だってあんまいないだろうし。何か影薄くない?」
「ね、私もそう思った。あれじゃない?何か遥ってさ、美人だしお嬢様だし男子に超人気じゃない?何か噂によると彼氏何人もいたりだとか、この前なんか男寝取ったとかそんな話聞いたよ?」
「えーうそ?じゃあさ・・・ちょっとしたでき心で竹井君のこともたぶらかそうとしてるのかな?」
「そうじゃない?竹井君単純そうだし騙されちゃうんじゃない?怖い女よね」
何だ?俺のことを話しているのか?峰岸遥・・・?そういえば、さっき理科実験室で彼女はこっちを見てコソコソと何かを話していたような。一見謎だったがあれは俺のことを話していたのだろうか。
何だ、そういうことかよ。やっとその意味が分かった。なるほど。ほんと女っておっかねーな。しかも単純ってなんだよ、ふざけんな。心の中でそう叫んだ。
そう思いながらも彼女らとすれ違った。
「あれ、もしかして今の・・・竹井君じゃない?」
「嘘?今の話聞かれちゃったかな?」
「分かんない。でも聞かれてたら・・・どうしよう」
もう聞いちゃいましたよ、と内心そうつぶやいた。気づかない振りをしながら俺は何事もなかったように素通りしてそのまま足早に去り教室へと戻って行った。
授業が終わるといつも通り下駄箱で靴を履きかえようとした。すると、何やら手紙らしきものが下駄箱の靴の上にさりげなくそっと置いてあるのに気がついた。手紙は丁寧にきれいな薄青色の封筒に包まれていた。封筒の裏には「竹井君へ 峰岸遥より」と俺の日常生活では滅多にお目にかかれないいかにも女の子らしい綺麗な字で書かれてある。
何だか急に気恥ずかしくなり周りをキョロキョロと見まわしたが幸い近くには誰もいなかった。俺はさっさと自宅へそれを持ち帰り、自分の部屋で封筒を開けてみることにした。
自宅に帰り、部屋でやや緊張気味に封筒を開けて心の中で声に出しながら手紙を読んでみた。
「竹井くんへ
はじめまして。でもないけど・・・峰岸遥です。突然のお手紙でびっくりさせてしまいごめんなさい。同じクラスなのに普段は竹井君とあまり話せなくて私のことよく知らないと思うけど勇気を出してお手紙を書くことにしました。唐突すぎるかもですが、私は竹井君のことが好きです。今年同じクラスになったときからずっと好きです。自分でもよく分からないんだけどいつの間にか竹井君のことを目で追うようになって、いつの間にか好きになってしまいました。こんなこと突然言われて迷惑かもしれないけどもしよかったら金曜日の放課後、理科実験室の前の廊下で待ってるのでお返事聞かせてもらえますか?
峰岸遥」
こんなような内容の手紙だった。これは世間で言うところのいわゆるラブレターってやつなんだろうか?クラスのマドンナ的存在の女子からラブレターをもらうなんて普通の男なら飛んで喜ぶくらいの大事件なのだろうか?例えば・・・にやにや妄想しながらマドンナ女子からの手紙を読んでいたとする。そして、読み終わった途端にその嬉しさのあまり天井に頭がくっつきそうなくらいハイジャンプして・・・そして、その後は突然上半身裸になって踊り狂って、近所迷惑も考えずに窓の外まで聞こえてしまうくらいの歓喜の雄叫びを上げるような・・・そんなようなことだったりするのだろうか・・・。それくらいのビッグニュースなのだとしたら・・・?最初はぴんとこなかったが、今どきなんでもLINEで、メッセージを送り合えるこのご時世にわざわざ手の込んだ手書きのラブレターだったことが、さりげなくちょっと嬉しかったりもする。でもそれと同時になぜか素直に喜べない感情も心の奥底に見え隠れしていた。それは・・・あのことが脳裏によぎったためだ。まさに、廊下で女子たちが話していたあの意味ありげで奇妙な会話の内容が気になったからだ。
「えーじゃあちょっとしたでき心で竹井君をたぶらかそうとしてるのかな?」
「そうじゃない?竹井君単純そうだし騙されちゃうんじゃない?怖い女よね」
廊下でひそひそ話をしていた女子たちは確かにそう言っていた。
俺は一字一句とまでは言わないが、大まかな内容は聞き逃してはいないはずだからこれが100パーセント疑いの余地のない真実であることは確かだ。つまり、これは罠だということだ。そうに違いない。そもそもクラス一モテる女子が何でわざわざクラス一存在感のない男を好きになるんだろうか?それに、そもそもの話・・・俺は女なんか一切信用しないんだった。俺の姉貴を見てみろよ。本当にひどい女なんだ。女は長いこと付き合ってたような男でも面倒になると平気ですぐ鼻をかんだテュッシュ紙をゴミ箱に放り投げるかのようにいとも簡単に捨てることができるんだ。まるで使い捨てみたいに。女は男と違って純情じゃないし、薄情で冷徹で残酷なんだ。絶対に騙されちゃいけない。絶対返事などしにいくもんか。俺は自分に何度も言い聞かせるようにそう心に誓った。
次の日英語の授業があった。
一昨日授業があったばかりだっていうのにものすごい久しぶりに片瀬先生に会ったような気がした。片瀬先生は赴任してからまだ3日目だったが、初日よりは大分学校に慣れて緊張がとけたような感じだった。そのせいか思いのほかとてもスムーズに授業をしていた。先生が心配そうに見えたのは俺の思いすごしだったのだろうか?
「この仮定法というのは・・・Ifの後に主語+過去形を持ってきて・・・」
英語の文法の説明をしているようだった。
俺は英語なんてそもそも嫌いだし先生の言っていることはまるでちんぷんかんぷんだったが、さすが今まで英語教師をずっとやってきただけあって教え方はかなり慣れている感じがした。
俺は授業を聞いていたつもりがいつの間にか黒板ではなく先生のことを目で追ってしまっている自分にふと気が付いた。何だか自分でもよく分からない複雑な気持ちになった。
しばらく片瀬先生を目で追っていると
「えっと・・・じゃあこの問題を・・・」